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お米と田をめぐる【解説】

コメは「ハレ」の日の食べ物

めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員VTuberの諸星めぐるです。

みなさんは普段お米をどれくらい食べているでしょうか。
最近では米離れが嘆かれる印象ですが、戦後の配給制に伴い日常的に食べられる食品として定着したのにすぎず、江戸時代には「金」の代わりであり、さらにさかのぼっていけば「神祭」に用いる特別な力を持つ食べ物だったのです。
三重県員弁町では「米を食べるのは明治初期まで人生で3度だった」という、極端な例もあります。
今回は、そんな非日常の食べ物「コメ」の呪力と祭事について解説していきます。
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日本人とコメの関係

ハレの食


日本各地にコメを貴重な「ハレ」の日に食べる食べ物であるとしていた事例はたくさん存在する。
長野県北部の真田町では、普段は刈ってきた稲束を一年間田の神として屋内に下げ、魚の骨をのどに詰まらせたときにはこの米粒を3粒食べると効果があるとされている。
(コメ以外にも穀物3粒は特別な意味がある)
また、東北地方の山言葉では「草の実」と呼ぶらしい。

歳神として米を迎え入れる信仰の地域もあり、年末年始は「稲作の終始」に置き換えられている。
「お米には7柱の神様がいる」という言葉は、これらの信仰が元なのかもしれない。

日本の原風景って感じ


古くは特定の稲穂を神の一部とし、神事の時だけのものとして用いる地方もあった。
日本海側では米俵を歳神として祀る農村が多い。
鳥取県岩倉の農村では俵2つの上に板を這わせて「歳神様の足」としている。

お供え物とコメ


お賽銭のルーツは「おひねりにした米」といわれている。
そもそも、日本には散米の風習があり、これは神話の時代から存在している。
8世紀ごろの風土記の逸文には「高千穂」にて高千穂の峯に降り立った神々が籾を取り出して四方に撒き、日月を明るくしたとある。(高千穂の名前のルーツ)

とても行ってみたい高千穂の夜神楽


まよけとコメ


散米には供物としての目的に加え「悪魔祓い」の目的もあったとされている。
別パターンとしては、三重県鳥羽の海女たちの中には「6月11日のゴクアゲ(弁天祭)」に米を膳に盛って【アワビの種子撒き】として散米する。

長野県諏訪市では籾を苗代にするときに焼米にして、その糠を撒きながら「蛇もムカデもどおけどけ、おらあ鍛冶屋の乙息子、鉈と鎌あ持ってるぞ、胴中切られてぴりつくな」とはやしながら家の周りに撒く。
そうすることで虫除けの呪いとした

田植えと行事

小正月の「リハーサル」


日本では小正月の時期に田植えの予行演習としての「田打ち正月、仕事始め」を行う地域が多い。
(現在はライフサイクルで時期を固定されがちだったが、地域によってもまちまちだった)
これは、一度予行をすることで、田の神様と約束を交わす儀式であった。
小正月のこれらの行事は行う内容によって呼び名も変わり「苗祭り」「鍬はじめ」「お田植え」などと異なる。
この行事にはシロ替え(代替え)を行うために駆り出される馬や牛も参加させられる行事も含まれる。
さらに、正月仕事はじめの日には「田の神」が田に降りられる日なので、田んぼを飾る。
そのうえで田に入って2、3回鍬入れを行い、そこに松や米を供える。

三嶋神社(愛媛)のお田植え祭の様子


コメと占い


日本全土にある正月行事に「粥かき」がある。
おかゆを粥かき棒でかき混ぜ、付着する米の多少で今年の豊作の吉兆を占う儀式だ。
これに用いた棒は春先まで大切に保管され、苗代の水口や畔に立てて。虫よけなどの呪いにする地方も多い。
この粥かき棒には実は2本の箸で十字にして飾る呪いの地域がある。
島根県ではこのむずび方で米の種類を分けることもあるらしい。
いわゆるこれが、春の七草と結びつき、七草がゆのルーツとされている。

苗代しめと聖地


苗代といって、籾から苗を作る行事は都合の良い田んぼを借りて使うが「泥を持っていかれる」という理由で嫌がられたらしい。
関東地方ではこの苗を作る行為「苗代しめ」とよび、あくまで稲作とは異なるものと考えたらしい。
苗代田には粥かき棒や祈祷札を置き、とても大切な場所とした。

石川県珠洲群では籾だねを下ろすときに、女性は行えなかった(神聖化)。

水口や田の真ん中に木を刺すことは、籾撒きの目印でもあり、そのまま自生した場合は地方によってはその木を神木としてあがめた地方もあった。

相良郡平尾の水口祭りでは「水口に土を盛り、松や榊、ツツジやヤマブキを挿した」
苗印の木には「神様の腰掛」としての意味もあった地域もある。

これらは正月のうちに、田植えの忌み日をさけ、行事の予定を立てる。
近畿地方では「サンバイおろし」が行われ、田植えに先立ち依り代を供えて神おろしをおこなった。


いよいよ田植え


田植えは早乙女らにとって、最高の婚活イベントであり、わざわざこの日に一張羅を作ったり卸したりして、挑んだ。
逆に新妻にはつらく当たるなど、お祭り感が強めだった。

五月の節句は田植えの時期とかぶり、とても大事だった。
田植えの前の物忌として「女の家」に女性はあつまり、年に一度の休息日として過ごした。
後の時代に菖蒲を屋根にふき、魔除けと身を清める行いをして、田植えに挑んだとされる。

虫追いの儀式は5月以降の田植え後に行われ、以降、田を守るのは「案山子」(かかし)である。
案山子の語源は「かがし」とされ、強いにおいを発するものを置くことで虫をよける呪いとしたとされる。

今のかかしは臭わない



「泥うち」


未知の通行人に対して、突然泥をかけるイベントが、昔はポピュラーだった
当時も結構な頻度でトラブルが起きていたらしい。
さてこの奇習、「泥田坊」のイメージと勝手に親和性が高まる諸星である。

これが泥田坊

泥は当時の農民にとって大事なものであり、田植えから上がった早乙女は「早苗祝いをする」としてわざと泥を塗ることもあったらしい。

この時の泥にはとても高い霊力があると考えられていたと思われる。
この時期には泥塗りと同じように壁の「墨塗り」「水かけ」を豊作の祈願として行う。

田植えの終了

田植えの終了のことは「サノボリ」と呼ばれる。
〈さ〉は田植もしくは田の神を意味し、地方ごとの呼称も多い。
サノボリは四国、九州地方に、サナブリは東北、関東地方に多い。
田植えを終えた神様が「山」「天」に還っていくという信仰である。

田植えにまつわる神事


「御田植祭」
各地に田植えの成功や豊作を祈願する祭りごとは存在している。
なかでも有名なのは大阪の住吉大社の御田植祭
毎年6月14日に開催される大規模なお祭りだよ。


参考書籍

いかがでしたでしょうか。
今回はここまで!
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