【民俗学】禁忌?禁煙?たばこの文化史【VTuber #諸星めぐる】
昔の映画を観ていると、ちょっとした時間・談話・会話の間をもたせるため…いろいろな場面でタバコが登場します。
ちょっと前まで「当たり前」だったたばこも、今では文字通り公の場では煙たがられてしまう傾向にあります。
しかし、たばこそのものの歴史、息づいてきた文化を知ることはとても大切です。
現在、東京都墨田区にある「たばこと塩の博物館」にて企画展開催中です!!
常設展も本当に面白いので、東京に行った際にぜひ!!
そんな今回は「たばこ」について解説していきます。
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たばことは
たばこの定義は実はかなりアバウトです。
タバコの葉を加工して作られる製品
このタバコとは、ナス科のタバコ属の植物の事を指します。(今回の記事では、表記を分けて記載しています。)
なぜこんなアバウトなまとめになるのか、たばこが親しまれてきた時期や地域によってたくさんの製品や用途が存在したからです。
今回は、そんな日本のたばこの文化史を中心に語ります。
たばこのはじまり
そもそも「いつ」たばこを利用し・摂取するようになったかは不明です。
ただし、紀元7〜8世紀のマヤ文明の遺跡には既に神が「たばこ」を咥えていることから、すでにマヤ文明ではたばこは普及していたと推測されています。
15世紀末にコロンブスが到着した時点でアメリカ大陸には既にたばこの文化は発展していました。
利用方法としては
・吸う
・噛む
・嗅ぐ
(煮汁をなめるなどの特殊な方法もある)
この中で「吸う」たばこは広く普及していた。
方法は様々
アステカ王国では、メキシコ竹や葦などを使った“アカジェトル”
アマゾン川流域では、“噛む(=噛みたばこ)”や“嗅ぐ(=嗅ぎたばこ)”などのスタイル
と、それぞれの地域でスタイルの主流が異なっていました。
このアメリカ大陸でのたばこは儀式にも欠かせないものであったと考えられています。
たばこからでる煙(紫煙)は、神々への供え物であると同時にお告げをもたらすものとされ、火や煙の動きから戦いの勝敗や未来の吉凶を占っていました。
さらに“病気を引き起こすのは体に宿った悪霊のせいであり、霊力を持つ呪術師がそれを追い払うことで回復する”という考えの元、治療にも使われていました。
その後、メソポタミア文明では誕生祝いや結婚祝いの場に「たばこ」が出されるようになり、次第に嗜好品としてのたばこの風習が広がります。
これ以降、たばこはヨーロッパ各地、アジア・北アメリカ、そして全世界へと伝来。
疫病や食糧難に苦しむ当時のヨーロッパでは、薬として使用している先住民の報告をしたため、たばこの研究が始まりました。
ほかにも、メディチ家のカテリーナ・ディ・メディチが、嗅ぎたばこを頭痛薬として使ったことなどから、フランス王侯貴族の間に流行していったといいます。
日本の歴史
たぶん16世紀(1570~1596年)に外国より伝来したと考えられています。
と、いうのも確たる資料が現存していない。
明確に記録上に残っているのは徳川家康とたばこの出合いです。
スペインは当時、日本との間に友好関係を結ぼうと考えていました。
そのため、海外との貿易に前向きだった家康に謁見を申し出た際に、
病床に臥せっていた家康のために、「薬」としてタバコの種子を献上しました。
これ以降、たばこは庶民の間で喫煙の風習として広がり始めたそうです。
たばこの浸透を受けて、徳川幕府は「たばこ」の禁煙令を幾たびか発しました
理由は
反幕府勢力の抑制と年貢米の確保のため
この反幕勢力とは、当時の幕府に楯突くカブキ者たち、
年貢米確保というのは、米よりも原料のタバコ株を育てまくる農民が増えていった
という背景が隠されていました。
しかし、風習は止められず禁令は形骸化します。
その後、日本では鎖国も相まって、独自にたばこは進化していきます。
このため、「たばこ」の製造や販売が産業として発達したのも江戸期なのです。
煙管と江戸
江戸期の日本では「キセル」による喫煙が普及します。
すぐに吸えるキセルの喫煙には、髪の毛ほどに細かく刻まれたたばこが不可欠でした。
この細刻みたばこが世に現れたのは江戸時代中期18世紀中ごろ。
日本刀の製造技術から産まれた「たばこ包丁」によって、毛髪ほどの細さに刻むことができるようになりました。
こうして町中に「たばこ」のみを扱う専門の店舗=「たばこ屋」が見受けられるようになり、
そこここに「細刻みたばこ」の製造・販売を専業とする店が増加します。
家族単位で営まれたそれらの「たばこ屋」では、おかみさん(=かか)が葉たばこの下準備をし、主人(=とと)が葉たばこを刻む“かかぁ巻き、ととぅ切り”と呼ばれる形態がとられていました。
手軽な庶民の嗜好品のたばこの需要はどんどん増え、手作業では追い付かなくなります。
そして江戸時代末期(=19世紀初期〜中ごろ)に生まれたのが、「かんな刻み機」と「ぜんまい刻み機」の2つの器械です。(それぞれの性能はURLを参照ください)
この「細刻みたばこ」の定着に伴い、人々は吸うための道具であるキセル自体の美を求めるようになります。
キセルはもともとはヨーロッパのパイプや東南アジアの喫煙具を模倣したものと考えられ、その原型は長く大きなものでした。
ここからたばこが細かくなったことから、火皿が小さく、携帯しやすい短さになり、デザイン性を求められるようになります。
「キセル」には、木や陶器、ガラスや石も素材として使われました。
めちゃ綺麗なので、ぜひ骨董市や博物館などで本物を見て欲しいです!
キセルの他、たばこを吸うための付属品も進化していきます。
たばこの付属品たち
たばこ入れ
「キセル」や「たばこ」を1つにまとめて携帯するための道具
庶民にとってのささやかなアクセサリーでもありました。
「懐中」:懐に入れるタイプ
一つ提げ:袋を根付で留めて、腰から下げる
提げ:たばこ入れの代表的なスタイル
腰差し:「キセル」を収めた筒を腰に差して使用
たばこ盆
家屋内での喫煙に用いられた
当初はありあわせのお盆だったものが変化していった。
明治時代以降
明治時代に入ると、外国からさまざまなたばこが輸入されるようになります。
紙巻きたばこ(シガレット)はハイカラのシンボルとして、国内でも製造されるように。
明治中期になると、たばこ産業は問屋制手工業から機械制工業へと近代化していきます。
明治後期には、政府が国家の財源確保のため、たばこに関する法律を次々と制定し、たばこ産業は国営化。
紙巻きたばこは大正期に入ると刻みたばこを上回る製造量になるほか、昭和初期には紙巻きたばこの変化も起きる。「両切たばこ」の製造数量が、明治期より人気を博していた「口付たばこ」を上回りました。
現在主流となっている「フィルター付きたばこ」が日本に登場したのは、昭和30年代のことです。
おまけ:たばこの俗信
「行灯の火でたばこをのむと、願い事が叶わなくなる」という言い伝えがあるのは、たばこ呑みの悪い癖を戒めたのでしょうか。
鳥取県には「炬燵(こたつ)の火で煙草を吸えば成功しない」という俗信があります。
「化かされそうなときはたばこをのむと良い」狐や狸の類はたばこのヤニの臭いを嫌うから、化かされそうだと思ったときは、たばこをのむとよいという意味です。
たばこには「忘れ草」という異名の他にも、「延命草」「養気草」「返魂草」「相思草」「大平草」「南霊草」「思案草」「分別草」「長命草」などの草の付く呼び名があります。
いかがでしょうか。
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