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ホワイトハウスの菜園と米国大統領選挙

アメリカ元大統領夫人であるミシェル・オバマの自伝『Becoming』(邦題:マイ・ストーリー)を読み終えた。彼女がホワイトハウスの庭の一角を菜園にして、子どもたちのための食育活動に力を注いだ話に以前から関心があったことから手に取った一冊だ。ミシェルが近隣の小学校の子供たちと一緒に土を耕し、野菜の苗を植え、大切に育て、収穫した野菜を使ってホワイトハウスのシェフを交えて子供たちと料理をした様子が生き生きと描かれている。土を触りながら子どもたちとお喋りするのが素晴らしい時間だったと振り返っている。彼女がホワイトハウスの家庭菜園で始めた活動は、やがて全米に広がり、今でも教育現場やコミュニティーガーデンで受け継がれている。私がオレゴン州ユージンで関わったガーデンも、その影響を色濃く受けていた。

We planted lettuce and spinach, fennel and broccoli, We put in carrots and collard greens and onions and shell peas. We planted berry bushes and a lot of herbs. What would come from it? I didn't know, the same way I didn't know what lay ahead for us in the White House, nor what lay ahead for the country or for any of these sweet children surrounding me."
レタスやほうれん草、フェンネルやブロッコリーを植えた。ニンジンや小ラード、タマネギ、さやえんどうも植えた。ベリーの茂みやたくさんのハーブも植えた。そこから何が生まれるのか分からなかった。それは、ホワイトハウスで私たちに何が待ち受けているのか、国に何が待ち受けているのか、そして私の周りにいるこれらのかわいい子供たちに何が待ち受けているのかが分からなかったのと同じように。

"Becoming" Michelle Obama

ミシェルは「(植えた苗から)何が生まれるのか分からなかった。それは、ホワイトハウスで私たちに何が待ち受けているのか、国に何が待ち受けているのか、そして私の周りにいるこれらのかわいい子供たちに何が待ち受けているのかが分からなかったのと同じように」と、菜園の営みを政治への思いと重ねている。

本の最終章では、2016年に共和党のトランプ政権へと移行する中、交代に対する彼女の深い失望が描かれている。トランプ大統領の就任式で感情を必死に押し込めようとする彼女の姿が目に浮かび、強く共感せずにはいられなかった。「私は三度目となる大統領就任式のステージに、アメリカ合衆国議会議事堂の前に座り、感情を抑えようとしていた。過去二回の就任式で感じた活気ある多様性は消え失せ、代わりに気が滅入るような一様性が広がっていた。それは圧倒的に白人男性が占める光景で…」と振り返っている。民主党のオバマ元大統領が、8年間かけて築いてきたアメリカの多様性を重んじる政策が、一瞬にして崩れ去ってしまったかのような場面は、当時アメリカで私が実際に体験したことと重なり非常に興味深い。

Sitting on the inaugural stage in front of the U.S. Capitol for the third time, I worked to contain my emotions. The vibrant diversity of the two previous inaugurations was gone, replaced by what felt like a dispiriting uniformity, the kind of overwhelmingly white and male tableau …
私は三度目となる大統領就任式のステージに、アメリカ合衆国議会議事堂の前に座り、感情を抑えようとしていた。過去二回の就任式で感じた活気ある多様性は消え失せ、代わりに気が滅入るような一様性が広がっていた。それは圧倒的に白人男性が占める光景で…

"Becoming" Michelle Obama

ちなみに、アメリカには民主党と共和党という2つの主要政党がある。共和党は主に白人男性の支持者が多く、保守的な政策を掲げる傾向があル。一方、民主党はより多様な支持層を持ち、女性や有色人種、LGBTQ+コミュニティなどの幅広い人々から支持を得ている。政権がこれらの異なる政党の間で移ると、政治の方向性が大きく変わることが多いため、人々の暮らしにも大きな影響が及ぶ。この時も民主党から共和党へ政権が交代した途端に、政策が大幅に変わり、社会や経済、医療福祉制度などにさまざまな変化が起こった。


2016年の大統領選挙とその余波 ヒラリー vs トランプ

2016年、当時住んでいたオレゴン州ユージン市で見守った大統領選挙のことを思い返している。オバマ元大統領の8年目の任期終了に伴い、後継者を決めるための選挙で、民主党のヒラリー・クリントンと共和党のドナルド・トランプが対決した。ヒラリーは大半の州で優勢を維持していたので、多くの女性が米国初の女性大統領の誕生を待ち望んでいた。私も娘と一緒に、その歴史的瞬間をアメリカの地で見届けることを楽しみにしていた。しかし、結果はヒラリーの敗北。ユージンの街全体が一気に陰鬱な空気に包まれたことを昨日のことのように思い出す。民主党リベラル派が圧倒的に多いユージン市では、トランプが新大統領など悪い夢であってほしいと誰もが切実に願った。

民主党ヒラリー・クリントン支持者の庭

現地校に通う娘も、選挙結果から受けたショックは大きく、険しい表情で友人と深夜までチャットで辛い気持ちを語り合っていた姿が忘れられない。翌朝、憂鬱な気持ちで娘を中学校へ送り出した後、学校から保護者へ一斉メールが送られて来た。「選挙結果を受けて、お子さんが精神的な打撃を受けた場合は、スクールカウンセラーや地域のサポートセンターで専門家のアドバイスを受けてください」と。

午後、娘が暗い表情で帰宅するなり、「ヒラリーは、選挙人の数では負けたが、投票数で負けていなかった。選挙制度はおかしいよ。不正疑惑もあっし・・・」などと堰を切ったように話し出す。学校では通常の授業は中止され、選挙結果をどう受け止めたらいいかを話し合いが行われるほど、教育現場も動揺していた。

近所の公立高校では生徒全員が抗議活動に参加したため教室は空っぽになった。プラカードを掲げ、選挙の不正疑惑に抗議するために街中をデモ行進していたという。抗議活動は欠席にならないという方針を高校が発表し、学生だけではなく、小さい子供からお年寄りまでが、様々な抗議活動や集会で民主主義の危機を訴えた。

その時期、私がインターンとして参加していたグラスルーツガーデンでは、政治の話題を避ける傾向があった。どちらの政党を支持しているかをはっきりと言葉に出すことはなかったが、間接的に何派なのか立場を探り合うような雰囲気はあった。畑作業を通して政治の分断を乗り越えようとする一方で、心の中には不安を抱えていたメンバーが多かった。

「トランプ支持の人とは、縁を切る」などといった投稿もよく見かけた。感謝祭やクリスマス休暇で親族が集まる場では、政治の話が出ると気まずい雰囲気になるとの悩みもよく耳にした。隣人のアシュリーは、里帰りをするたびに共和党支持の父親と口論になり気が滅入ると頭を抱えていた。

毎日胸の奥に鉛が入ったような感じだった。でも、周りの風景はいつもと変わらない。トランプが大統領に就任しても、2月には例年の様に可愛いらしい水仙の花が咲き始め、野鳥のさえずりが春の訪れを知らせてくれた。心弾む季節なのに、差別を発端とする事件が後を立たなかった。隣人の移民が当局に連れ去られたとか、道端でメキシコへ帰れと怒鳴られたとか、KKKが丘の上に集会場を建てたとか、ダウンタウンの電信柱にナチスのシンボルが刻まれているとか、ポートランドを走る電車の中で有色人種の女性が襲われたとか・・・ 安全な場所が次々と失われていくように感じた。人々の心の中に暗雲が立ち込めていた。

3月、ウィメンズマーチ(Women's March)という大規模な女性による抗議運動が全米に広がった。トランプの女性蔑視の発言が後を絶たない中、抗議運動は大きなうねりとなってユージンの街にもやってきた。友人のエリカに誘われ、娘と一緒にマーチに参加した。"This is what democracy is like" (これこそが民主主義の姿)と、冷たいみぞれの降る中、声をあげて歩いたことが今でも心に残っている。アメリカの民主主義の歴史の中で、デモがどれほど重要な役割を果たしてきたのかを実感した瞬間であった。

Women's Marchにて
男性も多く参加
タオルのバナー「難民歓迎」

3月末の日本への帰国が迫る中、私が愛してやまなかったユージンが穏やかな場所ではなくなってしまったことが残念でたまらなかった。友人からは「少なくとも今後4年間はアメリカに来るべきではない。日本に帰る場所があるあなたが羨ましい」と言われた。数十年前、ここに大学生として留学していた私が日本へ帰るときは、ユージンを去るのが悲しくて辛かったことを思い出す。今回は、そんな悲しい思いをしなくていい点では救われた。

アメリカが違う国になってしまったかのように感じた。大学院在籍中は、オバマ元大統領の政策のおかげで、娘は、オバマケアと呼ばれる医療保険制度の恩恵を受けた。学校の受付けやアイスクリーム屋さんの壁にはオバマ大統領の写真が掲げてあり、いつも見守ってくれているような気がしたものだ。彼は、移民が築いた多様性を誇るアメリカの象徴だ。そして、4年後、アメリカを去るときは白人男性優位を唱えるトランプが国を分断しようとしている時だった。私たちにとって一番いい時にアメリカに滞在できたことは幸運だった。

2020年の大統領選挙 バイデン vs トランプ

それから4年後の2020年の大統領選では、ジョー・バイデンがトランプに勝ち、民主党が再び政権を奪回した。アメリカに再び希望の光が差し込んだ瞬間を日本で見守った。就任式でのレディー・ガガの完璧なる国歌独唱を聴き、「ああ、これでまたアメリカへ行ける」と安堵感をおぼえたものだ。米国史上初の女性副大統領のカマラ・ハリスの宣誓もしっかりと見届けた。知性とエレガンスを兼ね備えた彼女のファンになった人は多いだろう。オバマ元大統領夫妻、サンダース上院議員ら民主党の重鎮が議事堂へ入場する場面から閉会までの4時間、スマホの小さい画面上で就任式を見守りながらさまざまな思いが巡った。民主党員のブルーのネクタイがなんとも目に優しかった。

2024年現在 ハリス vs トランプ

そして4年後の今、バイデン大統領が高齢のため大統領戦から撤退し、カマラ・ハリス副大統領が正式に民主党の候補者としてトランプと対決することになった。ハリスが党の求心力となり、彼女の優位が報じられる中、トランプ打倒の期待が高まっている。しかし、8年前のヒラリーとトランプの対決がまだ記憶に新しく、楽観視することはできない。ヒラリーがあれほど優勢だと報道されていたのに、敗北したことを思い出さずにはいられない。

さらに、トランプ暗殺未遂事件では、銃撃現場で星条旗の下で拳を振り上げるトランプの写真が、世界中を駆け巡った。皮肉なことに、この事件が彼の支持基盤を強化する結果となった。ミシェル・オバマが書いているように、まさに「何が待ち受けているのか分からない。」

女性として、そして民主党支持者として、ハリスの勝利を心から願う。今回の選挙で初の有色人種女性が大統領候補として名を連ねたことは、たとえ結果がどうであれ歴史的な出来事だ。今後どう展開していくのか目が離せない。ミシェルも全米を飛び回って、迫力ある演説でハリスを応援している。

ウクライナやパレスチナ問題、米中対立、インフレなど、今はアメリカだけでなく多くの国々にとって試練の時期だ。そんな中、もしカマラ・ハリスがトランプを倒し、大統領としてホワイトハウスに入れば、ミシェル・オバマが育てた菜園に新たな種を蒔き、色とりどりの花を咲かせ、多くの実りを収穫する姿が想像できる。彼女のリーダーシップが、新たな希望と変革を象徴するものになることを期待している。

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