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生まれてこない方がよかったのか

どうして幸福になり得よう。悲惨に満ちた世界に住みながら。すべての街角のすべての貼り紙に「死」と書いてある。いや、もっと悪いことがー暴虐、非道、苦悩、文明の堕落、そして自由の終焉が。(歳月/ヴァージニア・ウルフ)

『生まれてこない方がよかった』は、古代ギリシャのソポクレスや、イギリスのシェイクスピア、ドイツのゲーテなど、著名な作家が書いた戯曲の中に出てくる台詞ですが、それを誕生否定の思想として擁護したのがショーペンハウアーシオランベネターなどの哲学者で、この立場を反出生主義と呼んでいます。中でもベネターは、苦痛と快楽の非対称性に着目し、誕生害悪論を提唱したことで有名です。

『もしある人が存在するとすれば、その人は人生の中で多かれ少なかれ苦痛を感じる経験をするであろう。この苦痛の経験はその人にとって悪である。もしある人が存在しないとすれば、そもそも苦痛を経験する主体が存在しないので、この状況は善である。であるから、苦痛に関して言えば、存在するよりも存在しないほうがより善いことになる。
 では快楽についてはどうだろうか。ある人が存在するとすれば、その人は人生の中で多かれ少なかれ快楽を感じる経験をするであろう。この快楽の経験はその人にとって善である。ではもしある人が存在しないとすればどうであろうか。このとき、快楽を経験する主体が存在しないのだから悪である、というふうにはならないのだとベネターは主張する。』
(生まれてこないほうが良かったのか?/森岡正博/筑摩書房/P50/2020)

私は育て親である大叔母が生涯独身でしたが、生前、この世に子どもを持つことが忍びなく結婚をためらったと話しており、結婚適齢期に戦争が始まった世代なので、そういう考えを持つ人もそれなりにいただろうなと納得したことがあります。私自身も、わりと早い時期から厭世観を持っていたと思いますが、反出生主義のような考えを持っていたのは思春期の頃くらいで、大人になってからはそこまで強い信念は持っていないように思います。

海外では90年代から既に、環境破壊の問題を解決するため、出産をやめて世界人口ゼロを目指す団体(自主的な人類絶滅運動)まで存在していたようですが、日本ではコロナによる影響か、最近になって注目されるようになり、それを裏付けるかのように自殺者が急増しています。反出生主義は自殺を肯定する思想とは根本的に異なるものの、日本のような宗教への信頼度が低い国では、メディアは慎重に扱う必要があると思います。

私は10代の頃から主にヨーロッパ圏のペンパル(同世代)を中心に交流してきたのですが、キリスト教(カトリック、プロテスタント、ロシア正教、ギリシャ正教など)やユダヤ教などの一神教においては自殺が禁止されており、その道徳観に影響されているからか、自殺についてどう考えるか質問したところ、無神論者の友人も含めて全員が『愚かな逃避行為』と答えていました。一般的な日本人にとっては違和感があるのではないでしょうか。

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「日本だけ異様に高い信頼度」マスコミを盲信する人ほど幸福度は低い(本川 裕氏)PRESIDENT Online(2021/02/13)

人類の絶滅については諸説ありますが、仮に隕石の衝突のようなものではなく、ウィルスなどのパンデミック、急激な気候変動、深刻な少子化などで徐々に世界人口が減っていくと考えた場合、子孫が絶える直前に生まれた人々は、自分が生まれてきてよかったと思うのでしょうか。また、人類そのものが誕生したことについてどう感じるのでしょうか。私は自分がそういう時代に生まれたら、どちらでもよかったと考えるような気がします。

人類の歴史を1人の人間の一生に喩えると、人類はちょうど中年期の危機に差し掛かっているのかもしれません。競争の激化した現代社会に生まれる子どもたちは、両親や祖父母など先代のアイデンティティを基準にして、より優れた特性(容姿や学力など)を期待されることが多く、社会の発展があまりにも速いため、遺伝的な進化が追い付かなくなり、出生後に社会から求められるものと、自分が持って生まれた素質とにギャップが起きやすくなっているのではないでしょうか。

劇場版『ブラック・ジャック』では、製薬会社の研究所に人工受精児として生まれたジョー・キャロルが、人類の能力開発に寄与すべく、体内に大量のエンドルフィンを分泌する新薬を開発しますが、後に重篤な副作用をきたすことが判明し、ウィルスの介在により感染者が次々に不遇の死を遂げます。ジョーは自らの出生を語るシーンで、幼少期に教育施設の中で他の人工受精児との競争を強いられたこと、勝ち残った後の人生に何ら不自由はなかったものの善悪の判断力が失われてしまったと明かします。結果的には、自らの理想を追求するため人体実験を行い、多くの人々を死なせてしまったことになりますが、これこそ自身の誕生肯定への希求であったといえるでしょう。



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