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地域は活性化しない

拡大時代のまちづくりから、縮小時代のまちづくりへ

少子高齢化、人口減少問題の本質は100年の間に異常ともいえる人口爆発が発生したこと。その異常な人口増加を正常と考え、社会経済システムや地域観を設定していることである。人口減少問題とは人口が急激に増加した後で、急激に減少したときに生じる、社会システムや制度および人々の価値観の不整合問題。

それを解決するためには「少子化対策」や「地域経済再開発政策」などの地域再発展論ではなく、人口・世帯減少を前提とした「地域縮小論的パラダイム」の構築が必要であり、小さくても人々が健全に生きていけるマチづくりを志向するべき。

近い将来、地方と都市のパラダイムシフトが起きる。
その時に飛躍できる農村は、もう準備をはじめている。
盲目的に地域活性化、人口増加を唱えている人は要注意。自戒を込めて。

そもそも「地域活性化」とは何か。

元気のない町に元気を与える。経済が豊かになる。人口が増える。
そういう意味の地域活性化運動ならば、私は一緒にやりたくない。
地域の現状を【元気がない】【貧しい】【人口が少ない】という「足りない目線」の切り口、捉え方では解決できない問題だと考えているからだ。

ひとつの会合に出てみれば元気な笑い話は尽きないし、お金では買えない豊かさが既にあるし、人口の減少は当たり前のこと。現状の地域を低く見積もって、マイナスに捉えることによって自分の活動の成果を見せやすくするためのマヤカシなのではないかとさえ思ってしまう。

この町は現状でも、十分に素晴らしい。
そこがスタートラインなのではないか。

その上で、地域活性化をするならば、私はこう考える。
この地域に、もう一度、恋をしてもらうためにはどうすれば良いか。
きっと今は恋心が少し冷めてしまった状態に近いのではないか。
もう一度、地域にときめこう。
生まれた頃から住んでいる人は、地域へのときめきが分かりにくいかもしれないけど、自分の先祖がこの土地に住み始めた頃のことを考えてみるというのはどうだろう。

わくわくドキドキが毎日とまらない心もち

地域に恋する人が増えると、自然と色んな行動が巻き起こってくるんだろう。地域愛というと、ちょっと違う感じ。
中学生のころの、初々しい恥ずかしいくらいの恋心。

そんな気持ちを自分たちが住む地域に対して、自分が持っていることで、まだまだ色んなことができそうな気がする。勇気がわいてくる。心があつくなってくる。

もう一度、恋をしよう。

家族に恋を、隣人に恋を、集落に恋を、職場の人に恋を、お店の人に恋を、町行く人に恋を、苦手なあの人に恋を、先祖に恋を。

僕は北秋田に来た人は、北秋田がすきになることはもちろん、自分のふるさとに帰りたいと思わせるような場所にしていきたい。
地域円満化、地域円滑化。何か良い呼び方はないものか。

 やはり、移住者が1人増えてしまうことは、その人がいた「元のふるさと」から1人の人を奪ってしまうことなのだということは忘れずにいたいと思う。

参考文献「人口減少時代の農村の”ゆくえ”」
http://www.qsr.mlit.go.jp/suishin/cgi/070516/10tokuno.pdf

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