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都度利用地域多様性林 について

都度利用地域多様性林 について

都度利用地域多様性林 は 森谷が提案する新たな森のかたちです。

都度利用 → 一斉造林・一斉皆伐・大規模伐出 ではない、使う度に、少しずつ、機に応じて 木を利用していく 人工林のありかたです。

地域 → 木材を長距離移動させず、小さな地域内で流通させる林業のありかたです。また、林分の所有や管理をなるべく近くに居住している地域住民や地域団体などで行う制度です。

多様性林 → 多様性とは生息生物の多様性、樹種の多様性、樹齢の多様性、樹形の多様性、所有形態の多様性、利用の多様性、景観の多様性・・・など、あらゆる意味で多様な森林のありかたです。

(都度利用地域多様性林 と対抗するもの)

都度利用地域多様性林は、次のような森林・林業・木材 のありかたへの疑問と否定の思考の上に考えられています。

大規模な同一樹種の林分を一斉に伐採・植林・利用していく企業的な森林管理のありかたと、それを支える林業理論。

多様な生物の生息地になり得ない、均一で樹齢の揃った人工林施業。生物や生物多様性に興味や知識の少ない林業・建築・工芸・芸術などの諸業界の人達のありかた。

土地所有者、林木所有者、施業者、管理者、伐採者、製材者、加工者、消費者、設計者、が細かく分業されているような職業や業界、さらに学問の世界の分断的状況。

林業(造林・育林・収穫・製材)、農業(果樹・特用作物・作物・蔬菜・園芸・畜産)、工業(木材工業・機械工業・)、芸術(工芸・デザイン・建築・造園・景観)などを区分して「訳隔てる」思考と、それを支える教育や学問のありかた。

森や木材について知らないか、知っていても断片的で情緒的な一般の消費者や都会居住者のありかた。森についての非合理な思考と皮相的なとりくみ。

その他、ありとあらゆる世界の矛盾が、理想からは遠い森と木の扱いの深因となっています。

(どんな森なのか)

同一樹種でも樹齢が異なる木が同じ森の中に生育します。樹齢千年の樹下に樹齢数年の幼木が育ち、周辺にさまざまな樹齢の樹木が育っています。

伐採はしますが、できる限り植林はしないで、種子の芽生えによる更新を期待します。施業は幼木を見分けて選択的伐採という方法をとります。

完全な自然林ではなく、あくまでも人工林です。人の手が入ることによる自然と人為の共進化を図る森です。天然原生林と極端な人工林の中間形態です。

小さな林分もありますが、広域で都度利用地域多様性林とする思考もあり、広域の中に近代的な施業による人工林と、里山林、特用林、薪炭林・・など多様な林分を含んで全体として成立させることもできます。また、果樹農業、作物農業、自然公園、生物保護地域、造園公園、景観林などとも連続的で区分をしない考え方で、計画設計していきます。また社会要因による、それらの適切な移行も技術としてもち、同時に千年の森をも保証するような思考をとります。

原生林思想にとらわれず、ある程度「つくる森」であっても良いのですが、できる限り「なる森」となる力を利用して、できるだけ自立して、人手のかからない施業で済む新たな林学をつくります。

森の所有や施業や利用の担い手の多様性を求めます。工芸業者組合の所有林、次世代の建築を目的とした利用者林、農業や地域の小産業での民生利用のための入り会い林、芸術家集団の素材林、食品業者組合の調理素材林、学校の教育林、子ども達の保育のための森、伝統文化継承のための素材林・・・など、長期に渡り所有管理できる主体により関わりで成立する森のありかたです。

もちろん、水源涵養、土砂流出防止、防災、居住環境など多様な人との関わり方で、広域での森林計画と中規模部分や小部分の森のありかたと体系的に整合するような森のありかたです。ただ、それらは森の多面的機能の中で発揮されるもので、都度利用地域多様性林と共存あるいは共進化的総合性として思考される筈のものです。

(その成立の不可能性と壁)

すぐにでも成立しような森ですが、日本の今の現状では決して成立しえない森でもあります。上記に掲げたような理念を遮る大きな迷妄の中に今、人々がいるからでしょう。

区分しない・・・思考がないと、この森は成立しません。「自分は林業家である」「自分は建築家である」「自分は農業者だ」「自分は教育者として森に関わる」「自分は造園家だ」「自分は政治家として森をつくる」・・・など、「自分」がある限り、このような森は成立しないのです。ひとりで、木を伐り、製材し、加工し、そのデザインも自らして、販売もして、経営のなりたたせ、必要な政治や社会的活動もして、それらを統一する哲学や美学をもち、多様な人と交流する能力がないと、このような森は成立しないのです。

分業社会そのものが森や農地や国土全体を崩壊させているので、その回復のためには、人が「全能性」を回復するしか方法はないのです。森を扱うには、初歩的な感情ではどうにもならず、高度な専門知識と技能が必要なのですが、同時に森をみる眼、世界全体を見通す知恵もないと、成立しない森のありかたです。

このような森が成立しないのは学問のせいでもあります。ですので、既存の林学理論や輪生学は、むしろ壊してしまい、もう一度、原理である、生物学や生態学、人類学や法哲学など諸基礎学からあらたな「森の学問」を再構築する必要があります。学の再構築など、とてもとても望めない現状からは、都度利用生物多様性林は永遠の夢でもあるかも知れません。

この森は、千年計画と千年の社会的組織持続が必要ですので、その意味でも、千年継続する社会のありかた、継承の課題、それを保証する哲学や思想の問題となります。それは、まだ、人類は発明していないような気もするし、もう存在している気もします。ころころ変わる林政や流行の学や構成概念など見ていると、千年の森を保証する主体な何なのか考えることになります。

(都度利用地域多様性林に至る遍歴と経過)

私は農学部農学科の出身で、育種学を学びましたが、昔は幅広い勉強をするのが農学部だったので、造林学や造園学も少し学びました。森への興味はそれ以来続いています。途中、教員などしつつ、そんな事から離れていた時代もありましたが、生物保護の課題や生物多様性などと関わるようになり、その中で森林と関わるようになりました。

 森を保全するためには、今は、木材を適切に利用する事が大事であると考え、木工に携わるようになり、ろくろや漆芸を師匠についてならい、今は、それを家業にしています。そのためには、さらに芸術にも関わらないと工芸作家とは言えないのので、さまざまなアーティスとも知り合いができました。

そして、森を考える中で、それを支えるために環境思想の課題、林政や農政、さらに社会的継続や教育などの課題にあたり、そこから自然と人間について統一的に考えるために、環境思想、環境美学、環境文学、日本思想史、知識論をかじってきました。森の支える思想の原理として「知識単位学」がライフワークになっていて、それは都度利用地域多様性林と同等な地位にあるものです。

(最後に)

都度利用地域多様性林は、永遠の夢であると共に、もし成立したとすれば、「ただの森」「ありふれた普通の森」だと思います。そして懐かしいような帰っていきたい昔の森なのかも知れません。永遠に成立しない森ですが、どこかに、そんな森を形成する萌芽となる小さな試みが、身近な少しでも始まると良いと思い、理念の森についてお話しました。


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