歴史の学び方を間違えていた話
歴史を学ぶことは辛い?
歴史を学ぶ。そう聞いて、どんなイメージを持つだろうか。
学生の時は、日本史や世界史の教科書を開き、最初から最後まで書かれている事柄を等価値に並べて理解・暗記することを「歴史の勉強」だと思っていた。
最近は、日本史や世界史を石器時代から現代まで全部書いてある本を何種類も買っては、積ん読している。こういう本を最初から最後まで読み通すことが歴史を学ぶことだと思っていた。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われるように、歴史を学ぶことは必須だとよく言われる。確かに、自分のように歴史に弱い人間であっても、歴史を知っていたからこそ、出来事を深く理解できた経験は何度もある。だから、無理をしてでも歴史全般の解説書を買って読み、もう少し勉強すべきだ。暗記しなくてもいいが、歴史の流れ全般を知っておくべきだ。そう思っていた。
ただ、この切り口は私にとっては大変辛い。解説書の大半が自分の興味のない事柄の羅列だ。本によっては工夫してあるものもあるが、石器時代から現代まで1冊または数冊程度で述べねばならないため、事実の羅列+多少の感想や考え方を述べる程度になっている。勢い、手に取っても数ページで放り出してしまう。何度もそれを繰り返した。
面白い歴史書も存在する
一方で、面白い歴史書に出会うこともある。
日本軍の小失敗の研究―現代に生かせる太平洋戦争の教訓 (光人社NF文庫) | 三野 正洋
https://www.amazon.co.jp/d/4769822596
これなどは、大東亜戦争時の旧日本軍にどのような問題があったのかを詳しく述べている。読んでいけば、現代の日本の組織と共通する問題点を見つけ出すことは難しくない。
例えば、以下のようなくだりがある。
現代の旅客機などは「いざというときに正反対の操作をする」ことのないように、機種移行の際は十分に訓練を行う。それでも、JALのMD11乱高下事故では、当初パイロットの移行訓練が不十分だったのではないかと疑われた。
あるいは、「間違いやすい操作を操縦者に強いるのは、設計思想として間違っている」とまで話を広げるなら、AT車でペダルの踏み間違いやギアの入れ間違いによる事故が起こりやすいのは、運転者の熟練度の問題として扱うのではなく、操縦システムの問題として扱うべきではないか、という視点に至る。
興味あることを深く学ぶべき
歴史を学ぶことの意味はいくつかあろうが、最大の意味は現代に生じている問題点を考える糸口になることだと思う。であれば、広く浅く年代や人物や出来事を記憶していることもよりも、興味のある出来事を深く知っておくほうが意味がある。広く浅く記憶していても問題に対して何らかの解法を導くことは難しいが、深く知っておけば解法が出てくる可能性は上がる。
学校を卒業すれば、資格試験でもない限り、大半の人にとっては興味のないことを学ぶことは辛いし、続かない。歴史においては、石器時代から現代までの流れそのものに興味を持っているのでもなければ、全般的に学ぶことに意味はない。であれば、興味の持てる人物や出来事に絞って学ぶことが、そのまま歴史を学ぶことになるのではないか。
あまりにも一般的で、同じことを言っている人もたくさんいるはずだが、冒頭に挙げた部分に出会って、やっと自分で腑に落ちたので、書き留めておきたい。
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