見出し画像

黒井健 を追いかけて(4)

 黒井健さんを語る上で宮沢賢治は避けて通れない。「画業50年のあゆみ―黒井健絵本原画展ー新津美術館ー新潟市」では第5章「宮沢賢治に描く」で賢治に関わる作品が展示された。   
 黒井さんは永田萌との対談の中で(『永田萌対談集 絵本、好きですか?』大和書房1994)「黒井さんはこれから何を描きたいですか」と質問されて「宮沢賢治。」と答えている。「好きだから。だったら描いてもいいかもしれないと思っている。」「そろそろ勝手に考えたものを勝手に書いてもいいかなとも思っている」「宮沢賢治自身が好きだと思って描くだけ」と強い調子で繰り返し語り、賢治の絵を描くことが当面の課題だと断言している。
 黒井さんが宮沢賢治に惹かれるのは、「分からない」からのようだ。わからないけれどただただ心に引っかかり、ずっしり残ったと語っている。
 ある画廊のオーナーに依頼されて『銀河鉄道の夜』の絵を描くことになったのが黒井さんと宮沢賢治との出会いだった。原作を読んでもちっともわからなかったが、涙がぽろぽろぽろ流れたそうだ。黒井さんは賢治の心根を知りたくて詩集を持って賢治ゆかりの土地を訪ね歩く旅に出た。雑誌『MOE』(白泉社)の連載もあり、その原稿料をつぎ込んで岩手に通い詰めたようだ。これによってできあがったのが『イーハトヴ詩画集雲の信号』(偕成社1995)と『黒井健 NoteBookわたしのイーハトヴ』(偕成社1997)だ。
 今回あらためて、この2冊を読み返してみた。『雲の信号』は賢治の『春と修羅』『春と修羅二集』『春と修羅三集』『詩手帳』『手帳』の中から21編の詩が選ばれ、それに絵がつけられている。一番古い画の制作が1991年だった。『私のイーハトヴ』はその姉妹編で、『雲の信号』以降に制作された賢治詩の風景画を中心に取材ノートの中から抜き出したスケッチが描かれている。賢治の詩だけの『雲の信号』と異なり、こちらはMさんへ、Kさんへと、現地で書いた手紙の下書きという体裁で、旅の報告が、黒井さんの言葉で臨場感たっぷりに書かれている。雪でタクシーが前進しなかったり、水沢の天文台の見学ができなかったり、なかなか思うように旅を進められなかったようだ。思うようにいかない嘆きを賢治の生き方に重ねている。一方で土地の方から案内を受けた喜びや、「賢治さんをのことをすっかり忘れて」5月の岩手山を見る喜びについて綴られている手紙もあった。
 黒井さんが描く宮沢賢治の絵本は『猫の事務所』(偕成社1994)と『水仙月の4日』(ミキハウス2012)の2冊である。『猫の事務所』は、かま猫が3人(匹)の書記にいじめられる悲哀を描くが、登場する猫を擬人化するのではなく、人間を擬猫化することでキャラクター作りをしたという。また物語の舞台である第六事務所の建物をスケッチしたり模型を制作したりするなど、用意周到に準備して細部まで丁寧に描かれた絵本である。登場する家具の足を猫足にするという、こだわりの工夫もある。このときにトレーニングとして描かれた擬猫化人物が、ゆっくりホテルにくつろぐ時間を描いたのが『HOTEL』(河出書房新社1992)だ。この大人のための絵本は、長らく絶版だったが2006年に瑞雲社から再版になった。原画展では第4章「心象を描く(自作)」で展示されていた。
 一方『水仙月の四日』は最初、偕成社から依頼があったが、長い間あたためて放置していたために別の画家が描くことになってしまったという。それでもどうしても描きたかった黒井さんは、ご自身でミキハウスに持ち込んでこの作品の絵を描いた。この作品は、もともとは賢治が生前に出版した『注文の多い料理店』に収録されている童話だ。岩手の春先に発生する突風を伴う吹雪を題材にしている。この冷たい雪を表現するためにパソコンを用いている。30%はCGで、70%は手をいれて描いたそうだ。
 『銀河鉄道の夜』の黒井さんの絵本は、実はまだできていない。もちろんずっとこの作品を絵にしたいと思ってきたそうだ。画業50周年の絵本原画展では、「ケンタウルス祭の夜」(2012)と「銀河鉄道ステーション」(2015)の2点のオリジナル原画が展示されていた。今も一点ずつ描き続けているというが、いつか一冊の絵本ができあがることを期待している。
 
参考文献
①『永田萌対談集 絵本、好きですか?』(大和書房1994年)
 
②第5回お茶大ECCELL子ども学シンポジウム 2012.6.23 
  絵本の挿絵について
 ~絵本作家 黒井健氏をお招きして~
   「お茶大子ども学ブックレット vol.13」
③「絵本・渡井の出逢い~南吉さんと賢治さん~ー第二十八回新美南吉顕彰
  講演会ー」 「新美南吉記念館研究紀要」(新美南吉記念館編2015)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?