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根っこにあるもの

わたしの本業は福岡県糸島市にてクラフトとアート、作り手の顔が見える自然素材のものを扱う小売店を20年以上運営している。初めはインターネット販売で、そして数年後から実店舗を。自分で土を練り器も焼く、幼少期からずっと親しんできた書も台湾で作品展を開催していただいた。かと思えば、墨で染色を始めたりと、文字で表すとなんと【まとまりのない人】だと思われるだろう笑。日本では一つのことを続ける、極めることが美徳とされる国なので、わたしのような人間は隅っこがよく似合う。なかなか理解はされない。

今年2021年に、そんなわたしの製作活動を行う名前を本名から宗田檸檬へと改名した。それはなぜかと言うと、個人事業主として店から製作まで色々とやっていると、全部ひとりで抱えることになり、それぞれを切り離すことが出来ない上に客観性も失われるからだ。

コロナ禍で必要のないものは目に見えるものも見えないものも少しずつ処分してきた。そして残されたものの中で、この先、何をどうやって展開していくのか。そのひとつが改名だった。そうしたことで製作するのは自分自身なのだが、もうひとりの自分がアーティストである宗田檸檬を客観的に見ている。身体はひとつだけど、人生はふたつある。そんな感じかも知れない。これがわたしにとって右脳と左脳を使い分けるかのように思考がクリアになり、とてもやりやすいことに気づいた。もっと早くそうしておけば良かった。

福岡県糸島半島で暮らして22年目。ひとつひとつ田畑を耕し、蜂を育てるなど、天候や体調に左右されながら地味な作業を重ね少しずつ、しかし確実に形にしてきた。

店の仕事も製作活動も同じだった。わたしの中にある小さなズレや隙間に気づき、常に軌道修正してきた。正直なところ、だからと言って軌道にはなかなか乗せてはもらえない。今だって何かが噛み合っていない。

わたしの仕事や活動の根幹となるものは、ただひとつ。【人間が自然の中でどう生きるのか】ということ。わたしたちの暮らしと仕事と製作活動はこの一言に尽きる。

四季とともに暮らすこと、目の前の土を掘って水と共に練り器を焼くこと、松の根から作られた墨で文字を書き、波や花をモチーフに衣を染めること。わたしたちは目の前にある物質とどう生きていくのか。どう生きていけば良いのか。その自問自答に対する答えが、たまたまわたしは【表現】であるということ。

わたしの根っこは【目の前の自然と共に表現活動を行なっていく】ということ。軸はただひとつ。ただそれだけだ。





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