新生 インクリメントPへの期待

パイオニア傘下の地図会社であるインクリメントPの売却のニュースに接してから1ヶ月程経過した。私は、インクリメントPの取引先という立ち位置で仕事をしてき経緯もあるので、拙速なコメントをあえて避けてきた。

これまで、半年あまりにわたり、いろいろな噂が立っていただけに、個人的にはホッとしている。一方、「地図データの品質は維持されるのだろうか」「これまで通りの取引先を維持するのだろうか」など心配する声も、チラホラ界隈から聞こえてくる。

インクリメントPとは

インクリメントPは、日本を代表する地図会社である。地図表示データ、道路ネットワークデータ、住所データ、POIデータを網羅して定期的にメンテナンスして提供できるのは、日本ではゼンリンとインクリメントPしかない。高い品質が認められ、様々なカーナビゲーションシステム事業者だけでなく、Google, Apple, HEREというグローバル規模のロケーションサービス事業者も顧客として有する。本来なら優良企業のはずだ。

では、なぜ一体こんなことになってしまったのだろうか。

インクリメントPは、パイオニアのカーナビゲーションシステム事業を担う戦略的子会社として歩んだ。

パイオニアの経営が順調であった2,000年代初頭までは、インクリメントPも地図データ構築に惜しみなく投資を行うことができた。初代社長に先見の明があったと思うが、パイオニア向け以外の顧客、さらにはカーナビゲーションシステム向け以外の地図事業(MapFan事業)を積極的に推進したことも、結果として現在の地位を築くことに繋がった。

一方、親会社のパイオニアはその後躓く。2009年のプラズマディスプレイ事業からの撤退、残った屋台骨の車載機器事業での経営判断の誤りなどが続き、経営危機に陥る。そうした中、100%子会社という立ち位置では、インクリメントPは本来すべき新規投資が制限され、製品力が低下しかねない。このままの関係では、両者とも先細りになる懸念があった。この悪い循環を断ち切るためには、分離しか選択肢は無かったと言える。当事者はもちろんだろうが、多くの顧客はやきもきしながらこの状況の推移を見守っていたと思う。

今回の売却の意義

今回の売却は、当面の経営不安を払拭し、インクリメントPが経営リスクを自社でコントロールできるだけでなく、地図会社としての本来的な立ち位置が得られた、と前向きに捉えて良いと思う。

地図は現実空間をデジタルデータに変換した公益性の高いインフラである。社会からのニーズは増えることはあっても減少することは無い。顧客からの高精度、高品質、高頻度更新のニーズは高まっていくばかりであり、設備投資や人件費は増加圧力が常にかかる。これを上回る収益を上げるためには、パイオニアという特定企業の事情に左右されるのではなく、幅広い顧客に製品を提供できるスキームが本来望ましい。

提供方法の変化にも機敏に対応する必要がある。従来の車載器向け独自フォーマットでの地図データ提供が主であった時代から、今はロケーションサービス向けの汎用フォーマットでの提供、さらにはAPIを介したサービスとしての提供に移行しつつある。

このように、地図会社の経営は、一方では、データ整備とメンテナンスにかかる膨大な経費に見合った売上をどうやって獲得するのか、他方では、変化の激しい事業環境にどうやって機敏に対応するかにかかっている。

パイオニアという電機メーカーの100%子会社という立ち位置を継続していては、いずれの面でも障壁が高い。第一に、地図会社は資本系列に関わらず幅広い顧客を獲得する必要がある。第二に、電機メーカーの時間軸と、ITの時間軸は桁が二つ程違う。2000年代前半以降、パイオニアが地図会社を経営することが時代に合わなくなっていたのだ。

期待すること

何をさておいても、これまで10年近く停滞しがちだった製品への投資が本格的に再開されることを願う。具体的には、以下の3点が想起される。

1. Automotiveからロケーションサービスへのパラダイムシフトに対応した製品ポートフォリオの再構築

まず、市場環境の根本的な変化に対応した製品ポートフォリオへの再編が必要だろう。地図データ本体に留まらず、POIデータについても、旧来のAutomotive(カーナビ)前提のものでは無い、動的で多様な属性を持ったものに発展させるなどの拡張が期待される。

2. 地図データの整備・メンテナンス手法の技術革新への投資

地図データ整備技術はグローバルレベルで劇的に進化しているが、ここでの投資を躊躇してはならない。日本の地図データは、密度が高く、「都市詳細地図」というポリゴンベースのデータセットがあり、それが人口カバー率で9割以上になるという点で、海外と比べて特異性がある。こうした実情にも的確に対応し、技術革新を積極的にリードすることが期待される。

3. 強力な組織と人材育成

地図会社は、そのデータを構築する組織と人材への投資が欠かせない。ここ数年間、残念なことに人材流出が続いていて、それは顧客が期待していることとは正反対の動きであり、不安を与えていた。まずはそれを食い止めて欲しい。

その上で、製品ポートフォリオに対応した組織と人材の採用と育成に力が注がれることが望ましい。さらに、地図を利用したいと思う企業の導入ハードルを下げるプロフェッショナルサービス部門の育成も期待したい。

終わりに

地図は日本の生活を支えるデジタルのインフラである。「インフラ企業」としての責任がインクリメントPには本来ある。今回新しく株主となったファンドが、その社会的責任を果たし、事業成長を強力に支援してくれることを私は心から願っている。




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