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空飛ぶ犬ぞり

「人間って、なんて、無力なんだ……」
人は、自分が状況をコントロールができると思うからこそ、自由に動ける。
しかし、私は今、身体が宙に浮くほどの無力感を味わっている。
あなたは、ブレーキの効かない乗り物に、乗ったことがあるだろうか?

3月のフィンランドの森の中。一面に、雪景色が広がっている。
念願のオーロラを見に、トナカイとサンタが住む町にやってきた。
オーロラを見れるのは夜なので、昼間は何をしようかと、ホテルが提供しているアウトドアプログラムの一覧を見ていると、犬ぞり体験の文字が目に入った。

ちょうどテレビで、日本人が犬ぞりレースに出るドキュメントを観たところだったので、
これはぜひ体験したい! と申し込むことにした。

受付に行くと、何頭ものハスキー犬が寝転がって遊んでいたり、スタッフになでられたりしている。
スタッフから説明を聞くと、そりには、前に座る人、後ろで立ってブレーキをする人と、二人一組になり、10kmの距離を自分たちでコントロールして走る、という。
一緒にスタートするのが他に3組で、親子2組と若いカップル1組。
犬は6頭の隊列で、リーダー、サブリーダーが決まっていて、どのポジションがその犬にとって一番いいかを考えてチーム編成されている。
スタッフから、私たちを担当してくれる犬チームを紹介された。
このチームのリーダー犬は、どうも、気性が荒いらしい。
リーダーを抑えるために、サブリーダーは状況が見れるタイプのメスと組み、しかも、そり4組中最後のポジションになった。
さらにスタッフから、このリーダーは、どうしても前を抜かしたくなる性分なので、前のそりに近づきすぎたら、ブレーキをかけてね、と言われた。
まぁ、自分たち素人で乗るのを任してもらえるくらいだから、そんなに心配いらないだろう、と日本基準の安全第一アトラクションのイメージで考えていた。
しかも、ブレーキ担当の友達は、車のレースに出るくらい、運転に自信がある人だから、大丈夫。

そして、いよいよ、そりに乗り込み、スタートすることに。
スノーモービルで、4組の犬ぞりの前を、スタッフが先導する。
私たちの前のそりには、お母さんと子どもが乗っていて、お母さんが怒鳴りながら子どもをコントロールしている。
「このお母さん、こわい……。絶対、ぶつからないようにしないと」
前のそりが動き始め、後ろの友達がブレーキを外すと、
「ワオーーーーーン!!」
犬たちが待ってました!  とばかりに勢いよく走りだす。
そりに乗っていると、ビュンビュン、と風を切る音がする。
道幅はそり一つ分くらい。横に振れると木にあたりそうで、ドキドキする。

おおお、思っていた以上に、スピードが出ているぞ。

前に座っている自分は、地面に近いので、体感的にもかなりスピードを感じる。
犬たちは、ハァハァ言いながら、獲物を捕獲するような勢いで、走っている。
途中、走りながら雪をかじり水分補給をする姿は、
まるで、マラソンレースで走りながら水分補給するレーサーのようで、
犬たちのアスリート魂から、本気度が伝わってきた。

これは、犬との時間を楽しむとか、そりで雪の森の風景を味わう、というものではなく、そりという競技だったのだ。

気が付くと、スタッフのスノーモービルは、かなり先頭を進んでいる。
間を詰めようと、犬ぞりのスピードが上がる。
道の先に、大きなカーブが、見えてきた。
友達が、車の要領で、カーブを回ったところでブレーキを徐々にかけようとする意図が伝わる。
私はカーブに備えてそりをしっかりつかみ、前方を向く。
と、その時、ブンッと、そりが大きく曲がった。
あれ、なんだか、全体が軽い感じ……
さらに、犬たちが意気揚々としだし、スピードが上がる。
まさか……
後ろを振り向くと、ブレーキ役の友達がいない。
来た道を横目でたどると、遠くに人の塊が落ちている。

えええーーーーーー!!!

どう考えても、このスピードでは、走ったところで、そりには戻ってこれない。
アップダウンとカーブが続く道を、暴走犬ぞりが走る。
目の前に下り坂がきた。
そのままのスピードで、犬たちは突っ込む。
その瞬間、そりが、空を飛んだ……

「人間って、なんて、無力なんだ……」

コントロールが効かない状況というのは、こんなにも、無力を感じさせるものなのか。
どうにかなるだろう、と思いながら、突っ込むタイプの自分がなんとか今までやってこれたのは、コントロールできる範囲が残っていたからだ。

もう、あとは、祈るしかない……
ここなら、サンタか。

頭にサンタを思い浮かべながら、祈るのにはしっくりこない感じがしていた時、はっと我に返ると、犬たちは、レースに勝とうと、前のそりに追いついていた。
さらに、リーダーが自分の体を前のそりの横に入れ込み、追い抜こうとしている。

「Stop!Stop!STOP!!!」

その時、ものすごい剣幕でお母さんの声が響き、リーダーがびっくりして、後ろに下がった。
お母さんが、リーダーを睨みながら、ブンブン、手を振り回している。
その怒号に、さすがのリーダーも、追い越す気持ちが萎えたのか、スピードが下がってきた。
そこへ、スノーモービルで友達を拾ったスタッフが追いつき、ようやく、そりが止まった。

「ほんとに、死ぬかと思った」
落ちた友達を、じっと睨む。
「ごめーん……」
その軽い声の調子に、こちらの大変さが伝わっていないのがわかる。

以前、車好きの人から聞かれた質問。
「車で何より大事なのはなんだと思う?」
その時の私は、エンジン、と答えた。
その人は、
「ブレーキなんだよ。ブレーキが効かなかったら、怖くてスピードが出せないでしょ」

この体験をした今なら、はっきりわかる。
自分の能力を拡張するものには、ブレーキが大事。
道具にしても、スキルにしても、地位にしても。

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