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視線の先と、その線種。

「〇〇に似てる」というのが、驚く程に共感し合えなかった。

テレビで見たスポーツ選手が知り合いにソックリで驚いたので、共通の知り合いに伝えたら「えー、そう?」って。
私には2人が並んだら見分けが付かない一卵性双生児レベルに似ていたので、不思議に思って他の人にも聞いたら「んー、言われてみれば少し似てるかなー」と。
最終的に本人に聞いたら、「今まで2、3人に言われたことある。嬉しいよ」って。


しつこい私は、知人達の感覚の中にあるそっくりさん案件を教えてとおねだり。
今度は相手がびっくりするくらい、共感出来なかった。おねだりした割に、「そう?」とか言って申し訳ないくらい。

で、どこが似ていると私が認識しているのか考えてみると。
その類似ポイントは、私がその人の特徴として捉えているポイントと一致していることに気付いた。

なるほど。対象を認識する時に、どこを突出したポイントとして「その人らしさ」を捉えているかは、観察者によって違うんだ。
そして、それ以外の意識していない個性はあんまり見えていないらしい。
だから、似ているかどうかの判断は、自分自身が気にしているポイントの一致数によって変化するんだね。

人間の目線で観察者となる時に、
どこを見ているのか。
なぜ、そこを気にするのか。
どんな眼鏡をかけて観察しているのか。

純粋な観察ではないと、それぞれの経験が糧になったり邪魔になったり、視線がゆがむ。
観察後の記憶にも作用してくる。

これを応用してみると、人間と自然界との関係性がまた面白くなっていきそう。

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