10月18日(金)11日目 清滝寺、青龍寺
昨晩は6時頃には野宿をして7時か8時には眠ってしまったので「今朝」は2時に目が覚めた。「今朝」と言っていいのかわからないくらい早いが……。昨晩は雨が降っていたが、一時的に止んでいるようだ。時間を確認しようと思って手元のiPhoneを見たらまた保護フィルムがいつの間にか割れていた。昨日「割れてから一ヶ月以内なら半額で貼り直せる」とお店の人から保証書をもらったとき「そんなすぐに割る人いるんだ」と他人事だと思っていたが、すぐも何もたった一日で割っている。
いつもの通り早朝のうちに前日までのログを書き進める。今日も一日天気が悪そうな予報である。食べ物は一応あるので、場合によってはテントに引きこもる一日もありうる。とはいえ疲れもだいぶたまっているので、あと一時間くらい、6時くらいでもう一度寝て、それからどうするか考えようと、アラームを6時にセットして寝ていたら、しばらくして外から人の話す声がする。朝の散歩に出ていたおじいさんとおばあさんの会話らしい。「あら今日はお散歩早いですね」とおばあさん。「6時からは雨が降ると予報で言ってたから」とおじいさん。マジか。となると今のうちに撤収するのが最適解になる。まだ眠かったが飛び起きてちゃっちゃと道具とテントを片付け自転車でコンビニまで移動した。イートインスペースのあるコンビニで様子を見ようとしたのである。
コンビニで菓子パンやゆでたまごなどを買って食べながら、朝、友人とボイスチャットをする。当たり前の話だが、自分の中では生活すべてうっちゃってお遍路一つにかけている、いわば一時的に「お遍路オタク」になっているからお遍路に無茶苦茶興味あるし、なんなら一番札所から昨日まわった三十四番札所までお寺の名前をソラで言えるくらいになっているのだが、いつもの通りの日常生活を送ってる友人のような立場からすると、一体何をごちゃごちゃやってるのかよくわからない。なんか長旅してお寺まわってるみたいだけど……くらいの認識だったりする。何箇所寺をまわるのかもわからないし、寺のまわり方にルールがあるのかどうかも知らない。なんなら四国四県もそれがだいたいどの位置にあるかも知らない。それが仕方のないことだけど少しさびしい。まったく興味ないならないで全然構わないのだが、社交辞令でもなんでも興味を持ってくれてるフリをされると、その「フリ」の縁起がヘタクソだとイラッとしてしまう。だったら興味ない、でいいのにと思ってしまう。興味持ったフリに合わせてこちらが話をさせられるのが結構苦痛だったりする。
とはいえ、お遍路も出発してから十日も過ぎ、最初は不慣れな旅であったものが今はそんな旅こそが日常になってしまっている。新しい会社に勤務しはじめた人が、もう意識しなくても電車の乗り換えができるようになったり、決まった時間に起きられるようになる。それと同じで自分も朝起きて札所まわってお札を納め、般若心経を唱え、日が暮れる頃に宿をみつくろって……が完全にある種のルーティンとしてできあがってきてしまっており、バックグラウンド作業にできるようになってきた。慣れること自体は悪いことではないが、仏へのお勤めは懸命にしようと思うし、他人の親切や優しさに謙虚であろうと思う。
予報では雨とのことだったが、まったく降る気配がない。いい天気である。これはいけそうだ。まずは三十五番清滝寺へと向かう。土佐市の街中を移動ししばらくすると目の前に坂と「清滝寺↑」の看板が。いつものパターンである。自転車を乗り捨て、歩きで坂を登る。慣れたものだ。そこそこの坂でそれなりの時間歩いたが、それにしたって神峯寺や焼山寺のことを思い出せばなんてことない部類だし、ほんとは辛いはずの金剛頂寺や鶴林寺を「お接待」で登らせてもらってる分考えたらイージーモードだし、竹林寺や禅師峰寺と比べてもかわいらしいものだ。……と、こんな感じで経験値のせいでよくも悪くも「慣れ」が発生してきている。
ただお寺自体はこれまた大変素晴らしかった。このパターンは「初」ではないだろうか。なんと大師堂と本堂が真横に隙間をあけず並んでおり、ほぼ「連結」しているように見える。先ほど遍路旅自体が日常と貸し、慣れ、ある種のルーティンとなったと書いたが、寺についていえばそれでも毎回こちらの想像を越えてくるというか「そう来たか」という「新手のスタンド使い」感があるのがおもしろい。こちらも連日寺を見ているのでこちらの見識も上がってきてるのかもしれない。大師堂と本堂が真横に連結ひながらも二つの別のものとして屹然と建っている様が素晴らしく、しばしの間、見入ってしまった。
天気もいい今のうちにどんどん札所をまわってしまおう。次は土佐市を一気に南下して宇佐町へ。そこにある三十六番札所青龍寺を目指す。自転車をとめてお遍路アプリで場所などを確認していたら、後ろからおじさんが声をかけてきた。「遍路やな。それやったらこの道を……」と言いかけておじさんフリーズ。道を教えてあげようとしたのだが、どう道を行くと言えばいいのか緊張して混乱して止まってしまっている。こちらが助け舟を出そうとして、目の前に地図の看板があったので「現在地はここみたいですね」などと伝えるのだが、もう完全にテンパっていてこちらの声が耳に入らないようだ。「とにかく次は青龍寺。お気をつけて」という非常にざっくりした話になったタイミングでお礼を言ってその場を去った。
なんか高知の人ってめちゃくちゃおしゃべりじゃないですか?すぐ人に声をかけてくる。ちなみに今後もそんな高知人がこの日記の中に登場するとは思うが、森は土佐弁は苦手やき、標準語かなんかそれっぽい関西風で表記するが、実際にはかなり「ちゅうちゅう」「きぃきぃ」土佐弁だということをここで注記しておく。
宇佐町に入ったのだが、そのあまりの景色の良さにいちいち立ち止まってしまうため、なかなか先に進まない。高知県、確かにとんでもない田舎もあるし、一般的に見れば(相対的に見れば)この宇佐町も「田舎」なのかもしれないが、ここまでお遍路をしてきた感覚からすると「室戸だけ別格」という感じ。他のエリアはなんだかんだ言うてもコンビニが結構あったりスーパーやコインランドリーが比較的簡単に見つかるという実感がある。この宇佐町も景色は大変素晴らしく、釣り人などにとってはユートピアを絵に描いたようなまちだが、近くにコンビニも数軒あるしどれも新しくきれい。スーパーもあるし飲食店もそこそこあるしで、相対的にだいぶ「都会」だという印象を受けた。
宇佐町にかかっている、赤い大きな橋がある。宇佐大橋というのだが、これがまたこの周辺から見る景色が美しくて言葉を失う。Henro Helperで近隣をチェックしてみると、この橋のたもとが公園になっており、そこが非公式のキャンプ場になっているとのこと。今日はこの調子で進めば次の次の寺まで行けそうな気がしたが、いやあ、ここにテント張らずにいつ張るの?って話だ。迷わず今日は宇佐町で「一日町民」することに決めた。と、その前に青龍寺である。ここだけは本日中に打っておかねば。、
宇佐大橋を渡り海岸沿いを進む。順調である。目の前に「青龍寺700m」の看板が見えた。今回は山もなさそうだ。もうほとんど到着したかと思ったその目の前に「魚介食べ放題」の看板が……。
高知に入ってからこちらもだいぶお遍路に慣れてきたし、ゲームでいうところのプレイヤースキルは確実に向上している感じがあるのだが、他方で「誘惑系トラップ」の強度も確実にレベルアップしており、なかなか前に進むことができない。こちらのお店も「あと少しで青龍寺」という場所に、もう完全に明らかにトラップだろうという感じで置かれている。90分4600円でソフトドリンク飲み放題、魚介も牡蠣、海老、帆立、栄螺、長太郎貝などが焼き放題の食べ放題らしい。気づくと会計でお金を払っていた。いや、こんなんスルーすんのマジで無理やろ。
長旅で自転車での長距離移動に山登り。済ませてきた後でのこの好物の羅列。目の前に大量の牡蠣が並んでいる様を見て、どうしていいのかわからなくなり、なぜかブッフェにあるたこ焼きと唐揚げを皿に載せてフラフラしているところを「お兄さん、どうしたの?」と他の女性客から声かけられるくらいに混乱していた。あ、ちなみに本当によく高知の人は他人に声かけてきます。女性もめちゃくちゃ声かけてきますね。さすがに自分が40代の中年なので、20代とか30代の方が声かけてくる……とかはないけれど、それ以外はみんなフツーに声かけてくるのでびっくりしました。
それでも気を取り直し、貝を網に乗せ、焼く焼く焼く!
焼いてる最中に隣の席のまた別の女性が話しかけてくる。「上手く焼けます?難しくないですか?」。高知の他の市町村から来られた方らしい。出身聞いたのだが土佐弁がきつくて聞き取れなかった。ともかく今回はこの店は2回目、前回は上手く焼けなかったので対策を練ってリベンジに来たのだという。「なんかカレー盛ってきちゃいました。この上に焼いた牡蠣やエビを置くと映えるんだそうですよ」。そんなこと言われたらこちらもやるしかなくなる。ただただ呆然としつつ、阿呆のように貝や海老を焼いては食す90分……。
サクサクと札所をまわる予定が思わぬ罠に捕まってしまった。これはお遍路にとって最大の難所だろうと思ったが、こんなのに捕まるようなアホ遍路はいるわけないらしく、白装束に輪袈裟かけてフラフラと店の中に入ってくる人間は自分以外に見なかった。みんな意思強すぎ。精神修行しすぎとちゃうか。
思わぬトラップで90分間のタイムロスをしてしまったがこんなに後悔のないタイムロスもない。店を出るとそのまま標識通りに進んだらほんとすぐ三十六番札所青龍寺に到着した。いや、ほんとすぐでした。
こちらの寺は山の上にではなく、麓にすぐ「青龍寺」の看板が出ていた。街中系でもないのに山を登らせないタイプの寺は珍しいなと思っていたら、門をくぐると延々と上まで階段が続く。仁王門とそこから見える階段によって、異世界を幻視させるその構築性は見事で感動を覚えるのだが、いざ自分が階段を昇るとなると当然「勘弁してくれ」である。とはいえ、これまた大変素晴らしいお寺に出会うことができた。札を納め、般若心経を唱え、祈願をして寺を去る。
その後は帰り道の途中にある温泉に入り、汗を流しリラックス。温泉の開始は14時からとのことだったが、その時間より前に行っても入れさせてくれた。フロントの方も大変丁寧で親切だし感じがいい。温泉の泉質もこれまた最高で疲れが一気にとれた。
屋外の露天風呂につかっていると、周囲を囲む竹垣のところに大きな蟷螂がいる。足をかけて一生懸命その竹垣を登ろうとしているのだが、すべって登れない。湯につかりながらずっとこの蟷螂を見ていた。蟷螂は一歩一歩、ロッククライミングの要領で竹垣を登ろうと足を引っ掛けるのだが、その足がなかなかかからず苦労している。別の場所にひっかけようとしたり、別の足をひっかけようとしたり。ずっと見ていると、なんだかその蟷螂が仏の目から見た人間のように思えてきた。と、ついに蟷螂が足を踏み外し、下に落ちてしまう。温泉の湯でびしょ濡れである。憐れに思い運んでやろうと思って蟷螂を後ろからつかんだのだが、蟷螂は度重なる不幸のため、今度は敵から襲われたと思ったのか、鋭い鎌をこちらの指に食い込ませた。少し痛みは感じるが大したことはない。おそらく蟷螂が登りたかっただろう場所に置いてやるとしばらくして羽を伸ばして飛んでいった。人間もこの蟷螂と同じだ。仏は見ておられる。慈しんでおられる。助けだってある。けれどもそれに気づかず、悩み、惑い、怒り、文句を言って苦しんでいるだけなのである。
その後はスーパーに行き、買い物をし(また買い物中におじいさんから話しかけられる)先に目星をつけていた例の公園にテントを設営し、トマトジュースで割ったビールを飲みながらごはんを食べてたらすぐに眠くなり、そのまま眠ってしまった。
明日からは三十七番岩本寺、そして最南端の札所、三十八番金剛福寺が待っている。
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