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10月19日(土)12日目 岩本寺


昨晩は絶好のキャンプロケーションを見つけ、最高の野宿をした、はずだった。が、ここに思わぬ落とし穴が。それくらい絶好のロケーションだということは当然、地元の人も観光客もその場所を利用する、ということである。別にそこまでマナー悪いとかではないのだが、テント張った近くで、おそらくは地元の若者たちがバーベキューをはじめた。その音が気になって夜中に何度か目が覚めた。いや、ほんと大騒ぎしてるとかでは全然なく、非常に節度とマナーを守って常識の範囲内で楽しまれていたのだが、こちらのモードが「誰もいない自然で一人野宿」だったのでそれでも「うるさい」「煩わしい」と感じてしまう。人間というのはつくづくおもしろく、そしてまた不便なものだと思った。

それ以外にも自分とは別に同じ場所でキャンプしている人がいたり、宇佐町はおそらくは宇佐町全体が釣りスポットとしか言いようのない地形をしているので早朝の釣りに来る人もいた。誰もこちらを邪魔してこないし「野宿なんかしちゃダメですよ」と文句を言ってくる人もいないわけでむしろ野宿野営地としては最高の場所である。結局のところ、人間何にしても文句をいう人は文句を言うのだ。人がいなければ人がいなくて不安、不便、危険。いたらいたでうるさい、集中できない、めんどくさい。だから大事なのは環境ではなく、そこに住みなす心である。そもそもが人生は基本とんでもないクソゲーだというのが仏の教えである。生き、老い、病み、死ぬ。これが何やっても回避できないってゲームとして終わってるでしょう。我々 そんなクソゲーの実況解説者みたいなものなのである。それがわかっていて「とんでもないクソゲーのクソ場面来ました!!」とやって人の注目を浴びる人間もいれば、動画が回ってるのに、いつまでもコンセントに手をかけて「抜きたい…‥抜いてもいいかな?」と言ってる人もいるってだけの話。もちろんこれは「あるレベル」「ある次元」ではそうだというだけの話なのだが、でも根本でそれくらいに思っておかないとやってられないだろう。

さて今朝もテントを片付けて撤収しなければなのだが、また雨である。こちらのお遍路をウォッチしてくれており、また少なくない金額のサポートをしてくださってるやまざきしんじさんと話していたら「しかしほんと天候に恵まれてるよね。全然雨降ってないもんね!」と言っていたのだが、雨、降ってます。降りまくってます。なんなら自分が野営、キャンプしたときはほぼほぼ雨です……。こういうのを見ても、経営者感覚溢れる人生の楽観ゲーマーは実は何でもポジティブに捉えてるだけなのである。そしてネガティブな人は常に悲しんだところでどうにもならない事実を悲しんでるだけだとわかる。

よろしい。データをあげてみようか。森がここまで野営してきたのは初日の徳島県鴨島。雨だ。次の日神山町で野営。これは晴れ。次は海陽町でキャンプ。晴れ。室戸市キャンプ場でキャンプ。晴れ。土佐市仁淀川の川沿いに野営。雨。高知県宇佐町でキャンプ。雨。6回中3回雨だ。これがやまざきさんによれば「いやー、天候に恵まれてるよね!」になる。そもそもが初日のスタート時から雨だったし……。

というわけで雨の中、テントを片付け撤収をする。宇佐大橋という橋が上にある。この下は雨でも濡れないので、そちらに持ち物を移動させパッキングした。テントはぐしょ濡れだけど仕方ない。どうせ次に張る時に晴れているとは限らない。雨なら最初から濡れてたからって何も気にならないし、晴れてたら晴れてたでその時乾くのだから何の問題もないだろう。

そう、この頃からだいたい何が起きても「どっちでもいい」というメンタリティになってきた。たとえば雨が降ると全身びしょ濡れになる。びしょ濡れになると確かにすごく気持ち悪い。しかしでは晴れていたらどうかというと、結局自転車こぎまくって汗かきまくるのでズボンがジメジメと湿って気持ち悪いのである。もちろんお風呂に入れたり洗濯できたりするととても気持ちがいいし、感動さえするのだが、一生懸命洗濯して乾かしてすべてコンディション万全にして快適にしても、ものの数時間自転車こいだらまた同じような状態になる。だったらもう別に風呂も洗濯もいつしても別に大してどうでもいいことなのでは?と思うようになった。

そう思っていると不思議なもので、あれだけ降っていた雨も少し止んできた。今のうちに行けるところまで行けるしかない。今日は宇佐町からまた橋を渡り山を越え、四万十町にある三十七番札所岩谷寺まで行かなければならない。現在地から見ると56km先である。

雨が降ってるのに体中濡れてるのになぜだか朝一からテンションが高くてたまらなかった。昨日は食べ放題で好きなだけ食べたり、その前も高知市内で酒を飲んだりしていたので、体が「楽しい」に飽きてきてしまっているというか、快楽を貪っているだけの状態は仏教的に言えば決してハッピーではない。それよりも早く修行させてくれ、キツいやつカモン!みたいなメンタリティになっていた。

AC/DCを脳内でかけヘドバンしながらオラオラと自転車をこぐ。AC/DC、お遍路にめちゃくちゃ合う。だいたいがテンポがそんなに速くなく、遅くもない。徒歩や自転車といった人力移動と同じくらいのテンポ感なので心地がいいのだ。特にマルコムヤングのサイドギターが素晴らしい。アンガスのソロもかっこいいし素晴らしいプレイヤーだが、間違いなくAC/DCの要はマルコムである。マルコムのザクザクしていて切れ味は鋭い、しかし「うんとこしょ」なギターリフに、アンガスの自由奔放なギターが倍テンで絡むのがAC/DCの醍醐味である。歌詞も「地獄もそんなに悪くない」だの「地獄へのハイウェイ」だの「地獄の鐘」だの非常に仏教にマッチしている。

という感じで最初はノリノリのテンションで元気よく自転車に乗り、そのまま須崎市を通り過ぎ、中土佐に入る頃からだんだん顔が険しくなってきたのは、お望みの「修行編」がスタートしたからで、そもそも今日、走り始めた時は、真横を見ると海、堤防がある横を、まるでプールサイドでも走るように、海抜7メートル位置を移動していたのに、気づくと今は標高400mのなぜ山の中にいるのか、まったく高知の地形は果てしなく意味がわからない。さっきから延々坂道の車道、コンビニどころか自動販売機すらない場所を走っている。終わりが見えない。「七子峠まで3km」などと書いてある。七子峠ってなんやねん。てか、あと3kmもこんなの続くのか……。絶望して自転車から倒れるように転がり降りた。あまりに汗がひどいので途中から手ぬぐいを頭に巻いていたのだが、その手ぬぐいを絞るとビシャーーっと汗が流れ出た。スラムダンクかよ……。

でももうここまで来たら生き残るには「先に進む」しかない。しばらく進むとようやく七子峠に到着。「峠を越える」などとよく言うがまさしくその言葉通り、七子峠を越えると今度は逆に延々と下り坂である。下り坂は下り坂で危ないので気は張るのだが、それにしたって足はとっくのとうにパンパンだからこがずに進むのは本当にありがたい。

高知にはややこしいのだが「四万十町」と「四万十市」の二つの自治体がある。峠を越えて今到着したのは四万十町のほう。四万十という地名が喚起する田舎の風景と「町」という自治体としての規模の小ささから、相当な田舎を覚悟していたのだが、それがそうでもない。確かに田舎なのだが、国道沿いは通りも激しく、ロードサイドにある個人商店からは活気を感じる。昨今の地方創生で予算もついたのだろうか。新しい看板やデザインの店も多いと感じた。

雨が降ってきているが、元からそもそも汗だらけ。濡れようが濡れまいがどうでもいい状態になっている。しばらく行くと小ぶりな街並みが見えてきて、目の前にようやく三十七番札所岩本寺(いわもとじ)が見えた。到着だ。

もうここまでかなりいろんなパターンの寺を見てきたので、別段どんな寺が出てきても驚きはしない、といつも思うのだがいつも「次の寺」に出会うと驚かされる。というのも今回の岩本寺はなんと仁王門からキース・ヘリング・ライクなグラフィティアート風、しかも本堂へと向かう石畳にもカラー使用という「イマドキ」な寺だったからだ。




さらにすごいのは本堂で寺の側面、天井一面にプロ、アマ問わずさまざまな人のアート作品、イラストが並ぶ。なんていうか伝統とか由緒なんかより今やろ?爆発な寺だった。実際、お遍路さんもたくさん来ていたが、雨だというのに地元参拝客も多く、寺はかなり賑わっていた。

中でも驚いたのはスマホの充電スペースである。宿坊内ならいざ知らず、境内にそんなものを用意していた寺はこれは初ではないか。ご丁寧に天井から2本のリーラーコンセントが伸びている。技術家庭科室で見た「アレ」である。

さて参拝も済み今日はこれからどうしたものか。というのも次の札所は四国最南端、足摺岬にある金剛福寺で、ここからおよそ100km離れてる。

無理である。

今晩はこの近辺に泊まるしかない。岩本寺は境内に立派な宿坊がある。宿坊はこれまで泊まったことがなかったからここらで一泊してみるのも悪くないと連絡してみたが満員とのこと。他の宿も紹介していただくがそこそこ値が張る。そう思い、スマホを見ながら自転車を押していると、寺の前にある果物屋兼かき氷屋さんの角にいた中年の男性が声をかけてきた。「宿お探しですか?」。見ると自分と同じ自転車遍路らしい。これまた自分と同じスペシャライズドの、ロードバイクにキャンピングギアを載せている。「私も宿なくてさっきこちらのかき氷屋さんに教えてもらったんですよ。その民宿、もう一人入れるか聞いてみますね!一泊4000円ですよここがいいですよ。もしもし、はい、もう一人いけますか?…………オッケーです!」。押し切るわけではないのだが結構な「圧」でグイグイ来られたのでお任せする。自分も今日はヘトヘトだし、どうせ民宿泊しか選択肢がない。4000円ならかなり安いほうだ。

「自転車遍路ですか」「順打ちですか」「今日はどちらから?」などいろいろ聞いてくる。見た目は往年のお笑い芸人X-GUNの西尾に似ている。名前はKさんという。岐阜県から来ているというが聞くと本当は愛知県で、なぜ岐阜と嘘をついたのかは不明だ。無職。今年は閏年で閏年に逆打ちをすると大変功徳が高いと言われているため逆打ちで回っているという。逆打ちでここまでで四国に入ってから二週間ほどということらしい。ということは自分も同じような日程で行けるとすれば、あと二週間はお遍路にかかるということになる。

逆打ちで同じ自転車遍路ということはお互いに相手は「未来の自分」みたいなもの。いろいろ気になる情報を聞けるし、話に花が咲きそうなのだが、これが信じられないくらい盛り上がらない。いい人だし気もつかってくださる大変優しい方である。民宿についても「お風呂お先にどうぞ」などとおっしゃってくれたり。なのだが、一緒にいると楽しくない、おもしろくないどころかペースを崩されてイライラするのである。

特にそのような同意を取ったわけではないのだが、なぜか今晩これからは一緒に行動することになった。自転車でこちらは一人旅になれているから、少しペースを合わせるだけでも結構イライラする。それになんとなくなのだが「この人といてもいいものが撮れない」という、配信者的なカンもある。何も事件が起きなさそうなのだ。

そのカンは当たった。民宿の女将さんからすぐ隣にあるからと夕飯のお店を紹介されたので、Kさんと二人で店に入ったのだが、まずこのKさん、いわゆる「ナチュラルボーン無礼者」なのだ。店の人に「高級なお店じゃないと聞いたのですが高級店じゃないですよね?よかったあ!高級店じゃなくて!」から始まり、四万十ポークを推してる店なのに「四万十ポークって美味しいんですか?」などと聞くなど「いや、フツーそんなこと言うたらあかんやろ」を連発。そしていざおいしそうなごはんが出てきてと無言で食べる。食べ方もいわゆる「犬食い」で、人のことを言えないがにしたってすごく汚い食べ方、しかも最後まで「おいしい」ともなんとも言わず、ただただ無感動で食べるので辟易してしまった。食べてる最中の話題も「お遍路のこと」くらいしかない。お遍路のことも話しても聞かないし、聞いても大した話が出てこない。

何より腹立たしいのが「質問してくるので返事をすると否定してくる」クセだ。「やっぱり焼山寺は坂ばかりなんですか?キツいですか?」と聞いてくるので「キツかったですね。どの道行っても長い坂はあると思います」と返事をしたのだが、それを聞いてKさんは「でもこの道なら高低差ないみたいですよ?坂がそんなに辛くない道もあるみたいですよ」と言ってくる。Kさんが指した道は、自分が焼山寺からの帰りに通った道なので「あの延々続く下り坂を登るコースか」と思ったので「その道も相当坂がキツいです。帰りに通りましたが」と答えたのだが「でも坂ないみたいですよ?」と返してくる。「いや、通りましたけど坂きついですよ」と言うのだが「でも坂ないみたいなんです」とそれでも言うのでこちらもどうでもよくなり「ほな坂ないんとちゃうか」と答えざるをえなかった。「しかし外国人のお遍路さんってみんな歩いてるのすごいですよね」と言うので「歩いてる人もいらっしゃるけど、やっぱりバスや鉄道使ってる方もいらっしゃるみたいですね」と答えると「みんな外国人の遍路は歩いてますよ!」。もうこんな感じで自説?を押し付けてくるのでダルくなって途中から「そうですか」「そうなんですね」しか言わなくなった。

そもそもごこちらの話もまったく聞いてない。「鶴林寺の近くにある前川キャンプ場っていうキャンプ場は無料なのにとても環境がよくておすすめですよー」と言ってるのに対して「一泊いくらなんですか」と聞いてきたり。他人に対して本当にまったく興味も関心もない感じがめちゃくちゃ伝わってくる。それなのに一緒に行動しようとしてくるのが謎だ。向こうもおそらく「ノリの悪い人だな」とこちらのことを思っているだろうが……。

食事を終えてKさんと離れることができてようやく一息つけた。旅館はお湯も入れたし洗濯もできたしで最高。何も言うことなし。これで明日、万全の体制で最南端の札所、三十八番金剛福寺に向かうことができそうだ。

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