平塚・名古屋訪問記


「見知らぬ土地に行ったやつが故郷に帰ってくると、化けるってのは本当だね。この前、知床から帰ってきたやつに会ったんだが口は矢になってやがるし、体が床にぺったりくっついてんだな。あれぞ正に知床に行ったって感じだよ」
「そういうおまえも、馬が群れを成した体になってるが大丈夫か?」
「そりゃ群馬に行ったからねぇ」
「俺は髪の毛が千枚の葉っぱだよ」
「そいつはおまえ、千葉に行ったんだな」

峯岸達夫 「地方変態」

風のようにどこまでも

 呼ばれればどこへでも行く鳥のように、ウクレレ一本サラシに巻いて電車にトントコ揺られながら、降り立ったのは神奈川の秦野。蒸し暑くじめじめとしてしつこい夏が体を包んだ。相も変わらず日本の夏は、重い荷物を背負わせるかの如く圧力をかけてきて項垂れる。
 それほど水量が無いからその名が付いたのかは分からないが、秦野駅を降りて水無川沿いをぼんやり歩きつつ、私ははだの万葉の湯を目指した。道中、突然の雨に降られたが雨宿りをして回避し、建物の中に入って受け付けを済ませて湯へ入ることにした。
 久しぶりの日本の湯とサウナは格別だった。このような便利な施設を格安で楽しむことができる日本の素晴らしさを改めて実感する。ちょうど一年を過ごしたオーストラリアでは、日本のように気軽に温泉に入ったりサウナを楽しむというようなことは難しい。何よりも娯楽にかかるコストが日本よりも高いのである。
 恐らくは、海外から日本へ来た外国人も同じことを思うのだろう。安くて高品質な日本の魅力に魅せられてしまったら、もはや自国へは帰りたくなくなるのではないか。海外の人々を日本の魅力溢れる沼に落とし込めば、きっと誰もがそうなる。今はまだ日本人しか知らないものが海外の人に知れ渡るのは時間の問題であろう。
 寝床はカプセルタイプのものだったので、のんびり横になって疲れを癒そうかと思っていたところで突き上げるような揺れに襲われた。備え付けのテレビを点けると、震度は大きいところで5弱であった。これぞ日本の醍醐味と言えば笑い話になるかもしれないが、オーストラリアにいた時には一度も経験しなかった地震を久しぶりに体感し、「日本に帰ってきたな」と改めて思った。

秦野に来た理由と平塚ブルースについて

 秦野に来たのは理由があった。ひとつは温泉やサウナを久しぶりに楽しみたかったというのもあるのだが、翌日に平塚でウクレレの演奏会があったのだ。おむすびチャンネルというプラットフォームを通じて出会った仲間たちでウクレレを弾く者たちが集い、「平塚ブルース」という曲を平塚で演奏するという素晴らしいイベントだ。
 馴染みのない読者のために、「平塚ブルース」とは筆者が作った曲である。おむすびチャンネルで配信をしていたうえぽんさんという方の配信の中で、「平塚ブラザーズ」というワードが生まれ、それを元に筆者がデモ曲を作った。また、実際に平塚近辺に住んでいるかっちゃんさんという方の意見や、Koji-Tさんという平塚に所縁のある方からワードを頂き、歌詞に詰め込んで出来上がったのが「平塚ブルース」である。
以下にその歌詞を記す。

平塚ブルース

その手を繋ぎたくなる街 そんな場所に行きたい

平塚ブルースを
聴かせておくれよ
平塚ブラザーズ

その手を繋ぎたくなる
街のどこかで会おう
平塚ブラザーズ

一年に一度しか
会えないわけじゃないけど
僕と君との距離は
ミルキーウェイ
ミルキーウェイ

平塚ブルースを
聴かせておくれよ
平塚ブラザーズ

思いの襷を
繋げて走れよ
平塚ブラザーズ

くすの木が揺れるように
僕を揺らす撫子
いつ咲くのだろう
愛をおくれ
愛をおくれ

平塚ブルースを
鳴らしておくれよ
平塚ブラザーズ

いたずらな潮風に
思いが駆けるよ
平塚ブラザーズ

平塚ブルースが繋いだ縁

 オーストラリアでこの曲を作ったとき、まさか平塚という土地で自分が大勢の人たちと一緒にこの曲を演奏することになるとは思いもしなかった。まさに曲が生んだ縁に導かれるがままに、私は平塚へ行きKoji-Tさんとかっちゃんさん、そしてウクレレを演奏し平塚ブルースを練習してくださった皆様と一緒に平塚ブルースを歌ったのである。
 最初はカラオケ店での演奏で盛り上がり、あっという間に2時間が過ぎて次に平塚ビーチセンターの付近で平塚のビーチをバックに皆さんと平塚ブルースを演奏した。その後はお店を貸し切って飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを楽しんで、あっという間に一日が過ぎていった。
 自分の作った曲を一所懸命に演奏をしてくれて、それをみんなで共有しあう時間というのは、何物にも代えがたい喜びだ。きっと多くのミュージシャンが同じように、大勢の観客に向けて曲を作ってシンガロングして喜びを分かち合うのだろう。なんて素晴らしい世界であろうか。

早川・小田原観光

 平塚ブルースを演奏する会を終え、翌日はKoji-Tさん、かっちゃんさんと一緒に小田原漁港へ行って海鮮に舌鼓を打ち、石垣山一夜城を訪れ、野面積みの石垣に大興奮。今村先生の「塞王の楯」のファンとして、穴太衆による石垣の積み方などは実際に目にすると心が沸き立った。
 その後は小田原の駅付近を散策し、最後は銀座ライオンでブートグラスに並々と注がれたビールを飲みながら、色々な話題で盛り上がり、あっという間に時間が過ぎた。名古屋行きの時間となったため、お二人に別れを告げて私は新幹線に乗って名古屋へ向かった。

なばなの里へ

 名古屋に着いたのは午後9時過ぎだったため、その日はホテルにチェックインをしてぐっすりと眠り、翌朝は再び押し潰されそうな暑さのなか、なばなの里へ向かった。
 小さな池と色とりどりの花もさることながら、私の興味は長島ビール園に注がれた。そこで地元のビールとおつまみを堪能し、夜のライトアップを見ようと思ったのだが、途中で飽きてしまいホテルに戻った。ぼんやりと読書をしてその日は眠った。

和楽器山本にて民謡三味線を注文、そして名古屋観光

 名古屋へ来た一番の目的は三味線を購入するためである。これもまたおむすびチャンネルでの出会いをきっかけに、和楽器の販売をしている和楽器山本さんのお店へ訪問した。
 元々、私は民謡や演芸に興味があった。民謡クルセイダーズをきっかけに日本各地にそれぞれの民謡があることを知り、そのリズムとメロディの素晴らしさを自分も産み出したいと思っていたのである。また、浪曲という日本の演芸では、浪曲師という物語の語り部とともに、曲師という三味線弾きの方がいる。物語に彩りを加える曲師がとてもカッコよく、いつか自分も三味線を弾いてみたいと思っていたのである。
 そんな矢先に、スイスで日本文化を広めるために活動されている人の話を聞き、どうせ海外に行くのならば日本文化に根差した楽器を持っていて楽しむのも面白いだろうと考えた。そのような経緯から、私は和楽器山本さんで三味線を注文することに決めたのである。
 おむすびチャンネルで私の配信を良く見てくださるYAMAさん、そして同じくKenさんとともに、三味線に関する様々なお話をYAMAさんからお聞きした。配信者になった方が良いのではないかと思うほど、饒舌かつ丁寧に三味線に関するお話をしてくださり、さらには琴のお話までたっぷり合計2時間弱、三味線選びについて教えてくださった。
 三味線作りにおいて私が重要視している点なども私の配信を見て事前に考えてくださっており、お話を聞いて納得の行く三味線を選ぶことができたと思っている。皮に関するお話や、三味線の構造、太棹・中棹・細棹の違いなど、初心者の私にとっても理解しやすく、自分の求めているものがよりクリアになる説明をして頂き、完成した三味線が届く日が楽しみで仕方がない。

 三味線の注文が終わったのち、Kenさんの運転でYAMAさんがピックアップした名古屋市内を観光。円頓寺商店街、四間道、美濃忠、堀川、コメダ珈琲でのシロノワールなど、YAMAさんによる解説を交えて散策をした。私が以前名古屋に訪れたときはノリタケの森くらいしか知らなかったので、一気に名古屋駅近辺の事情について詳しくなった。まだまだ面白いところが多い名古屋に、タイミングがあれば訪れてみたいと思った。
 あっという間に時間が過ぎ、コメダ珈琲でおむすび配信者のライチョウさんと合流し、GARB CASTELLOというイタリアンのお店へ行った。
 そこでおむすび配信者のぱぐおさんと合流し、話題は一気に投資談義へ。ここには書けない様々な事情やら、お得な情報などなどをぱぐおさんからお聞きし、おむすびチャンネルを通して繋がった人々で素晴らしい時間を過ごした。
 ウクレレを持参したのだが、結局一度も弾くことはなく話が盛り上がり、最後は味仙という台湾料理屋で台湾ラーメンを食べた。酒の後にラーメンで締めるのは久しぶりな気がした。美味しくてピリリと辛いラーメンを堪能し、Kenさんに名古屋駅まで送っていただきお開きとなった。
 もしもおむすびチャンネルでの繋がりがなかったら、和楽器店に行くこともなかったかもしれないし、視聴者の皆様と盛り上がることもなかったかもしれない。改めておむすびチャンネルに登録して配信者をやって良かったなぁと心の底から思った。

そしてまだ、旅は続く

 一番の目的であった三味線の注文を終え、おむすびチャンネルに集う皆様と至福の時間を過ごしたのち、私は再び東京行きの新幹線に乗った。日本に帰国してから様々な縁をいただき、楽しい日々を過ごしている。
次なる記事は、落語に関する記事になる。久しぶりに大好きな落語家を語れることが楽しみだ。

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