サスペンダーズのコント『少年野球』がぶっ刺さりすぎて、自分の将来が燦燦に輝き始めた話

大人がこんなこと言うの、怖いよな
マインクラフトをやりなさい。
母さん、寿司とろうか
https://www.youtube.com/watch?v=2CyMb3AdqpY

サスペンダーズ『少年野球』

今となっては不思議なことだが、僕は小学生の頃に少年野球のチームに入った。当時は、【ミスター・フルスイング】という野球漫画が流行っていて、僕も主人公の猿野天国のように、豪快にフルスイングしてホームランを打ち、可愛い彼女と付き合うのだ、という思いを抱いていた。
だから、両親にお願いをして左利き用の大きなバナナみたいなグローブを買ってもらい、当時イチローがマリナーズに所属しているという理由で、マリナーズの金属バットを買ってもらった。
スポーツだけではなく、ありとあらゆることに【形から入るタイプ】だったから、そのときの僕はすっかり一流の気分だった。
自分でも恥ずかしいくらいに、自信に満ち溢れていた。
田舎の少年野球チームに入り、漫画に影響されて根拠のない自信を持っていた僕は、大して練習もしないのにやたらとバッターボックスに立ちたがり、立ったら立ったで、「ホームランを打つ!」とか、「早く俺に打たせろ!」などと言う、いわゆるイタいやつだった。
そんなこともあって、同級生や上級生とは全く仲良くなれなかった。気持ちだけが先走って、実力が全く伴っていない僕を、同級生や上級生は鼻で笑っていた。
僕がバッターボックスに立ったら、同級生が「森野なんかに打たれてたまるか」と、いつも以上に力の入った投球を見せた。
悔しくて、絶対に打ってやろうと思ったが、僕はまったく打てなかった。
その間に、一所懸命に努力をした同級生はメキメキと頭角を現し、レギュラーメンバーに選ばれた。僕は声と威勢だけがいい、ベンチウォーマーだった。そのうちに、あまりにも下手くそな僕は周りからいじめられ、それが嫌になって、結局少年野球チームを辞めてしまった。
もう二度と、野球なんてしないと誓う経験だった。

サスペンダーズのコント『少年野球』を見て思い出したのは、そんな自意識過剰だった頃の自分の姿だった。
冒頭、GAPのシャツを着た依藤さんが『ぼく、少年野球のチームに入りたいんだ』と古川さん演じる父親に言う。
イシバシ君という友達に誘われて少年野球のチームに入ろうと思った依藤さん。僕には誘ってくれる友達はいなかった。
それまでのコントのように、依藤さんの強者感、いわゆる勝ち組の雰囲気が強調される展開のコント(サークルクラッシャー、復讐のバーベキュー、タイムカプセルetc…)かと思いきや、古川さんの探りによって、コントは想像もしない方向へと展開する。
少年野球のチームに入りたいという依藤さんに対して、古川さん演じる父親、古川パパは自分が身を置かなければならない環境に対して探りを入れる質問をする。
土日に少年野球に付き合ったり、保護者と協力をしなければいけなかったり、息子である依藤さんの少年野球のために生じる様々な人間関係に対して、古川パパは拒絶反応を示す。
これが、心の底から分かるのだ。
僕が子供だった頃は、自意識過剰だったから、周りとの関係なんて気にしていなかった。自分は野球の天才で、バットを振ればホームラン連発、カッキンカッキンと打ちまくるスーパー強打者と思い込んでいた僕は、それによってどんな風に周囲との人間関係が構築されるのか、自分の立場がどうなるかなんてことは何一つ考えなかった。
しかし、大人になって思うのは、そうした自意識過剰、もしくは自分が所属することによって形成される人間関係というものが、自分を苦しめるということ。と同時に、自分が心地良く感じられるかどうかすらわからない環境に身を置く恐怖、面倒くささみたいなものを意識してしまう自分がいるということである。
あらゆるしがらみによって、自分の時間、心、そうしたものが痛めつけられる、縛られてしまうことに対するとてつもない嫌悪感。それが、古川パパの言葉の奥底に揺るがない大地となって存在している気がした。
「お父さん、この年で新たな人間関係築くの嫌なんだ」
という一言に集約されているのは、それらの面倒くささを背負いたくないという気持ちの表れだと僕は思った。
どれだけ愛する息子のことであっても、自分が周囲との関係を構築しなければならないような状態に追い込まれることが、とてつもなく嫌なのだ。
子供の頃のように、何も考えずに輪の中に入っていけるほど、自分を俯瞰して見れないような状態にはない。どこへ行っても、自分を見つめるもう一人の自分の視点を得てしまったがゆえに生じる苦難。その労力たるや計り知れず。
ここに、依藤さん演じる少年と古川パパの心のギャップがある。
依藤さんは純粋に、少年野球に入りたい。なぜなら同級生がいるし、人間関係を広げていけるから。
だが、古川パパは少年野球に息子が入ることによって生じる人間関係の構築、広がりを嫌っている。両者の拡大と縮小の違いが面白い。
そして、古川パパの理屈が語られる。
古川パパは優しく「ごめんな、大人がこんなこと言うの怖いよな」と息子に言う。このリアリティに笑ってしまう。
自分も息子を持ったら、絶対に言ってしまいそうだ。
古川パパは古川パパで、心の中で葛藤しているのだ。
おそらくは、古川パパだけでなく、このコントを見る世代。子供の有無に関わらず、多くの人々は『新たな人間関係の構築』に対して億劫になっているのではないだろうか。
いわゆるイケイケなパーティ・ピープルには死んでも理解できないことかもしれないが、誰もが人と友好な関係を即座に作れるわけではない。初対面でいきなりタメ口をきけるような人間が世の中に溢れているわけではない。手際よくバーベキューを仕切って、後片付けもしっかりとやって、誰にでも気を配って、周りから「良いパパだね」とか「気配り上手な人ね」と言われるような人間ばかりではないのだ。
むしろ、人と関わることが苦手で、そういうことからなるべく遠ざかりたいと思い、バーベキューでは手伝おうとするも足手まといとなって、人間関係に多くの悩みを持つ人たちのほうが、僕は多い気がしている。だからこそ、そうしたクサクサした気持ちをどうにかしたくて、人々はどこかに救いを求めて芸術の海を泳ぐ。
そうして辿り着いた、一つの救いとなるコントをサスペンダーズは披露していると思うのだ。
流れ流れて、行き着く暇もなく沈んでいきそうな心を、そっと引っかけて救い上げてくれるようなコント。それが、サスペンダーズのコントだ。
古川パパの痛みが分かるからこそ、このコントは僕の中で燦燦と光る。
『寄せ書き』の最後の古川さんのシャウトのように、「よくぞ言ってくれた!」というような怒涛の古川パワーワードが炸裂していく。
純粋な依藤さんの言葉を次々と論破していく古川パパ。
古川パパの言葉からにじみ出る、過去の苦い経験。言葉と表情、そしてトーンだけで、これほどまでに過去の痛みを表現できる古川さんの凄さ。古川さんを知っているからこそ、肩入れしてしまっている自分もいるのかもしれないが、これほどまでに自分と見間違うような存在を僕は他に知らない。自分の中に小さい古川さんがいる気がしてならないのだ。だからこそ、目の前で言葉を放つ古川さんに、どうしようもなく共感する。
そうして、古川パパが次々に論破した後で、依藤さんはたどたどしくも勇気を振り絞って父親にぶつかっていく。
この依藤さんの姿に、僕は胸を打たれた。
それまでの、依藤さんの強者感には、古川さんにプレッシャーをかけるようなイケイケな人間だけが持つ雰囲気があった。それに対して、押しつぶされぬように避ける古川さん、じっと耐えながらシャウトする古川さん、そのプレッシャーを跳ね返す古川さん、もっと強い圧で圧し潰す古川さんを見てきた。
だが、ここには、古川さんがかつて抱えていたであろうピュアな気持ちを持った依藤さんの姿がある。
大人になるまでの間に、様々な経験を通して形成された古川パパの精神と、まだ何者にも削られることなく、まだ経験したことがないことの方が多い依藤さんの精神との衝突。
依藤さんが放つ言葉。
「ぼくだって、人と関わるの苦手なんだ」
そのあとで、「自分を変えたい」と言い放つ依藤さんの真っすぐな気持ち。
その気持ちをかつて僕は持っていたはずだ。
僕だけでなく、ひょっとしたら誰もが、人と関わるのが苦手で、そんな自分を変えたくて何かに挑戦したことだってたくさんあるだろう。
そうして、自分を変えることに成功した人もいれば、
自分を変えることができなくて消えてしまう人もいれば、
自分を変える必要は無いと気づいて、今のままで生きている人もいる。
今まさに、自分を変えようとして努力している人もいれば、
元の自分に戻りたくて悲しんでいる人もいるだろう。
古川パパの答えは、そのどれとも違う、それでいて笑いに昇華させた最高の一言だった。
「お父さんもその状態通ってるからぁ~!」
否定するでもなく、肯定するでもない。
何か説教臭く、考えさせることもない。
ただただ、その状態を通ったことがあるということを、力強く言い放つ古川パパ。
この一言こそ、サスペンダーズのコントの真髄だと僕は思う。
こんな言葉を聞いて笑えるのは、サスペンダーズのコントしかないだろう。
まっすぐな依藤さんの気持ちを受け止めて、「その状態通ってるから」と言い放つ優しさ。「お前の気持ち分かるよ」とか「あとになれば分かるよ」というような、大人だからこそ言える逃げのフレーズではなく、「その状態通ってるから」という向き合って、なおかつ受け止める最高のフレーズ。
古川パパの人生と哲学が凝縮されている気がして、
涙が出そうになるくらい、笑えて感動するフレーズだ。
きっと、息子ができたら僕も同じことを言う。
「その状態通ってるから」ということで、息子にも考える余地を与えている。この状態を通ると、どういうことになるかを息子に委ねているのだ。
その状態を通って、自分がどのように感じたかを息子に伝える古川パパ。おそらくは、息子を持つ父親の誰もが、古川パパの言葉に共感をするのではないだろうか。もちろん、それの良し悪しを語るつもりはない。ただ、この古川パパらしさは、自分と共通する部分が多いので共感する。
そうした古川パパの言葉に「わからない」という依藤さん。
考えた末に、「マインクラフトをやれ」という古川パパの提案。
この提案も凄まじい。
少年野球よりもマインクラフトを薦め、一人で充実した時間を過ごせる人間にさせようとする古川パパ。
これも良し悪しを語るつもりはない。ただ、このコントにおける古川パパの人生経験として、『一人で充実した時間を過ごせる人間』になることが『周囲と友好な人間関係を構築する人間』よりも優先されることであることが分かる。

この後で母親が帰ってくる。
今までのサスペンダーズのコントであれば、古川パパの哲学を受け入れられず、依藤さんが「パパが少年野球に入れてくれないの!ママ説得して!」と言って強者感を出して、古川さんが「いばらの道、歩き始めちゃったか~」と、途方に暮れるパターンも考えられた。
サスペンダーズのコント『フクロウカフェ』における、傷ついた古川さんに対して、最後に突き放すタカコちゃんのパターンである。
だが、そのように突き放すオチではない。
古川パパの言葉を受け入れて、息子である依藤さんは母親に「マインクラフトを買って」と言う。
この瞬間、サスペンダーズのファンは感動したのではないだろうか。
それまでのサスペンダーズのコントでは、第一期の奇人古川さんと振り回される依藤さん。第二期では奇人古川さんにブチ切れのツッコミをする依藤さん。第三期では勝ち組依藤さんに憤慨しまくって理論を展開する古川さん。第四期では無神経な依藤さんに反撃する古川さん、そして、今回のコントを第五期とするならば、古川さんの人生哲学と、それを受け入れる依藤さんのスタイルがある。
あくまでもYoutube上に上がったコントからの推察だが、このコントで初めて、古川さんが承認されたように僕は思う。
それまでは、古川さんがどれだけ思いをぶつけても、押し返されたり、避けられたり、うやむやになったりすることがあった。
しかし、このコントでは、息子の依藤さんが古川さんの言葉を受け入れる。
あれほど強者感、古川さんとは線を引いて、別世界のイケイケ人間だと思われていた依藤さんが、このコントでは見事にそのオーラを消している。否、消しているどころか、古川成分を50%くらい内包している。
その事実に、サスペンダーズのコントを見てきた僕は感動している。
奇人を奇人として披露し、激しく罵倒されてきた古川さん。

類まれなる才能を持ちながらも、それを最後には失ってしまう哀しみのコント『知恵の輪』
古川さんの優しさをまったく受け止めない依藤さんが手酷く怒鳴られるコント『寄せ書き』
そして、様々な過去の苦しい体験を乗り越えて、古川さんなりの思いで語る哲学を受け止める依藤さんが見せるコント『少年野球』
これほどまでに、サスペンダーズのコント史に燦然と輝くコントを見ることができて、僕はたまらなく嬉しいのだ。
やっと認めてもらえた古川さんが最後に言い放つ、「母さん、今日寿司とろうか」の喜び。
これなのだ。
この言葉にこそ、喜びがある。
誰にも認められなくて、自分だけの考えがゴツゴツと自分を苦しめて、
世間とも、周りとも折り合いがつかず、どうしようもなく一人ぼっちでも、
息子がいて、妻がいることの喜び。
おそらくは、サスペンダーズのフォロワー(息子)も生まれれば、
サスペンダーズを認めてくれる人々(妻)も今後、増え続けていくだろう。
そして、この文章を読んでくれる人にもまた、あなたをフォローしてくれる人もいれば、あなたを認めてくれる人々が必ずいる。
だから、絶対に諦めちゃダメだ。

コロナ禍にあって、多くの芸人が演芸という舞台を去っても、
サスペンダーズが積み上げてきたコントは必ず誰かの心に届く。
今、こうしてこの文章を書いている僕の心にもぶっ刺さった。
僕だけじゃなく、多くの人々の心にぶっ刺さるコントを、
これからもサスペンダーズは作り続けていくと確信している。
芸人の生きざまを、
サスペンダーズの生きざまを
これからも、見続けていきたい。
サスペンダーズのコント『少年野球』を見て、
僕の将来は燦燦に輝くものになるだろうと、改めて信じられた。
そう、どれだけ暗い道を歩もうとも、
きっと僕を認めてくれる人々がいる。
腐らず、焦らず、諦めず、
燦燦と輝く人生を、日焼けするくらいに歩んで行こうじゃないか。

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