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【オリジナル曲】春の調べ(2022/3/27 @溝の口 neonera ワンマン企画)

隠れよう
深い夜に
誰の目にも
触れないから

風は空に
告げ口を
空は君に
口づけを

朝になれば
その悲しみも
星のように
空にとけて 眠る


思うように
生きられない
私のこと
嫌いでしょう


君を包む現実が
見せる愛に
気づくなら

今を超えて
君は生きるの
やがて響く
春の調べ 
奏でるのは僕ら

花も草も
すべてが
寄り添い
触れあい
今を生きる

隠れよう
長い夜に
希望の種を
育てながら

春になれば
蕾は開く
愛の花は
君に向けて
笑う

僕は君と
笑っていたい
今を超えて
この先ずっと
ずっと

春は、どの国においても、幸せで豊かな季節であるらしいです。
その時期に差はあれど(たとえばハンガリーの春は5月)、春という概念はどうやら世界共通認識らしい。
意中の人と出会うことも「春が訪れた」と言いますし、マツコデラックスさんの言葉を借りれば「パヤパヤ」しているのかもしれません。

しかし、僕は本当に「パヤパヤ」でいいのだと思います。


2021年、コロナ禍が二年の月日を刻もうとしている最中、僕はワンマンライブの開催を決めました。
意味づけなど無意味な勢い。
興行的な側面を度外視してなお果たしたい想い。
それは、その瞬間の自分を生きることに、他ならなかったからです・

僕は、このコロナ禍でさまざまな想いを回らしたし、またさまざまな想いを耳にし、目の当たりにしました。

恐ろしいなと思ったのは、気がつけば自分自身がその多様性を封じ込めようとする「べき」論に支配されかけていたこと。

何かの概念があり、それが正だとしてしまうと、それと違う考えは「反発」のエネルギーを持つことになる。
反発のエネルギーは、自覚があるならいいと思うのですが、そうでないなら意識の外で何かを傷つけることになる。

僕は、知らない間に自分自身を含むたくさんのものを傷つけていたことに気づきました。


心のあり方は、いつだって自由であることを教えられたとしても、それを「信じきれる」人はどれだけいるでしょうか。

良かれと思って誰かに「かくあるべき」を問うたことが、その人の感じる自由を抑圧したことに気づく人がどれだけいるでしょうか。

心の自由を感じるなら、それは他人の自由を許容することであることに気づく人がどれだけいるでしょうか。

(当然、奔放な振る舞いが許容されるわけではありません。それは他人の自由を阻害するものなので。自然法とは、つまりそういうところに存在すると思います。)

時間をかけながら、もしくはすっ飛ばす人もいるでしょうか、少しずつ不要な観念を捨てながら生きることを選ぶことで、その時の自信の心の伸びを許すことができるように思います。


僕はこの曲で

どんな時代であろうとも、心は自由なままでいい

ということを伝えたいと思い、書きました。

このコロナ禍で深い悲しみに陥った方も多くいらっしゃいますし、けれどコロナ禍が救った人もいます。ホッとした人もいるし、転機として人生の舵きりをした人もいます。

暗いイメージの物事のポジティブな側面を感じることが不謹慎だとされる世の中で明るくいきるためには、必要に応じて「隠れて」「逃げて」いいと思います。

隠れよう
長い夜に
希望の種を
育てながら

大切なことは、隠れることをネガティブなものにしない、ということだと思います。
そんな自分を受け入れていい。だってそれは、生きるためだもの。
誰に迷惑をかけるわけでもない。心のありようを誰かに咎められる筋合いはない。

僕は君と
笑っていたい
今を超えて
この先ずっと
ずっと

命は有限であり、無限です。
残念ながら、肉体は有限なようです。
だからせめて、少しでも多く笑っていたい。

そのためには、まずは自分の心の花を咲かせることなのではないでしょうか。

さあ、もうすぐ「長い夜」が明けることでしょう。


バンドメンバーに、最大の感謝を。

元のメンバーの不参加が決まり、二週間前にもかかわらず急遽引き受けてくれた、世界創造ピアニスト栗田さん。

僕の音楽生活の恩人で、いつも温かい父性と異次元のインスピレーションで空間をお作りになるベーシスト甲斐さん。

僕のライブではお馴染み、澄み切った空間を天才的に優しく紡ぐドラマー&パーカッショニスト矢崎さん。

必ず、またご一緒したい方々です。

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