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2021/06/22即興詩「便秘」

誰かにジェラシーを感じているうちは
健康的ではないと思う
諦めきれないもどかしさを
今もなお抱いている証拠
ざっくり言えば
「便秘」しているのだ

やり切ることが人生の目的だとするならば
そのように成し死にゆく人は
一体どのくらいいるだろうか
私など 少なくとも
今は死んでも死にきれない

かといって
やり切る生き方を毎秒できるかというと
そんな強迫観念に駆られて生きたくはない
窮屈もまた
健康ではないからだ

誰かにジェラシーを感じられるほど
自分は人生に情熱を抱いていると思えるなら
それは一つの
健康の形かもしれない
「便秘」止まりで
よかったのかもしれない


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書きながら、「え、書いてもいいの?」と思ったが、他に表現のしようがなかった。
「便秘」
音に出すとなんだか下品な気もするが、漢字だけ見ると、すこし奥ゆかしさを感じるのは気のせいだろうか。

この詩は決して本物の「便秘」の話ではないにしても、自分がしたいアウトプットが滞ることで、やはりそれも便秘状態であると思う。
続くとしんどくなる。
愚痴でも何でも吐けばスッキリするし、出すということはごく自然なことなのだと、最近強く思う。

以下、余談。
愚痴と悪口は違うので、不満を明らかにすることはあったとしても、その言葉が誰かを傷つけないかどうかの点検は常にしようと思う。

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