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書くことで掬われる感情がある。

書いてみないとわからないことがほとんどなのだが、書いてみると
ああこの時自分はこう思っていたのだなと気づく。

金魚掬いのようにそっと、魚の流れに任せるようにうまく掬っていくと、そこには何かがある。この時点ではまだ何かである。

ではその何かが何であるかを紐解いていくために必要なのは、自分の過去との対話である。

前しか向かねえ、という人は全力で行動すべきだし、それでうまくいく人は僕は羨ましいと思っている。

ただ、僕の場合は、その何かが、過去の事象と結びついたときに無常の喜びを感じていることに気づく。

喫茶店に本を持っていく。この本はどこで買ったんだっけな、と巡らせる。
近所の書店の場合もあれば、旅先での書店の場合もある。やむを得ずネット通販で購入したものもある。(ただし、ネット通販の場合も独立書店から購入するように心がけている。というより最近は、だいたいよみたいなと思った本が、あまり流通していないことが多いからだ。)

本を読みながら、その時のことを思い出している。
金沢の宇都宮書店で買った(金沢なのに宇都宮なのか)高橋源一郎『さようならギャングたち)この本はあまりにも面白かったため、金沢の観光はほとんどせず、美術館に行ったきりあとはスタバをはしごして、ギャングを読み耽っていた。

名古屋のON READINGでかった小川和『日常的な延命』これは名著だ。
これも旅行中ずっと読んでいた。
名古屋は喫茶店が多い。はしご酒、もといはしご珈琲をしながらひたすら読んでいた。僕は、この時死にたいと考えていた。日常的な延命が必要だったのだ。

浜松の何書店だったかな(忘れてしまいました)で買った、長田弘『私の好きな孤独』この日は暑かった、浜松城はサウナと化していた。早々に退散し、鰻を頬張り、あとは、喫茶店を梯子しながら本を読んだ。
新幹線も含めてちょうど一冊読み終えた。その日はなにわ男子のコンサートが近くであったらしく、帰りの新幹線の車内はファンファンファンファンファンファン…私。みたいな感じだった、仕方がないので本を読み耽っていた。

さて、東京で買った本は多すぎて紹介し切れないのだが、大体はルノアールで読んでいた。その中でも坂口恭平『継続するコツ』は痺れた。この本を読んで、自分でも何かを書いてみたいと思った、というのはよく覚えている。
何かを書きたい、作りたいと考えている人は読んでみてほしい。
坂口恭平は憧れの存在でもあるのだ。

本を読むことは、時間がかかる。
だから時間のことを考える人は読まなくても良いと思うし、
何かに絶望したときに本が欲しくなる。
だから本を読まない人生というのはある意味では、幸せなことかもしれないのだ。

僕が本を読んでいるのは、失敗の連続だからである。
ただ、失敗するからこそ次にどうしましょうかね、と考えることができるのではないだろうか。
大学を出たけどフリーターになった僕。
ブックオフで働いて、読書に目覚めた僕。
そこからピアノに没頭した僕。
音楽を学ぶことを心から楽しんだ僕。
鬱になった僕。
そこから這い上がるかのように文章を書き始めた僕。
書いたは良いけれど大して売れずに沈む僕。

ということは次はまたなにか面白いことを挑戦するターンなのかもれないなと思っている。

浮き沈みの多い人生というのは、辛いけれど、それすら楽しむことができれば良いのではないかと思い始めている、というより楽しまないとやっていけないじゃないか、もう発狂してもおかしくないところスレスレでやっている。

人生何年かはわからないが、楽しめるのなら長生きしたいし、そうでなければフェードアウトしたい。
でも自分の人生を強制終了することはできるのかもしれないが、それはしたくない。
さて、僕はあと何年生きられるのだろうか。考えても仕方のないことなので、まずは明日をいかに楽しく過ごすかだけを考えようと思う。

最後に
Kindleで発売した書籍『愛すべき凡庸な日常』を読んでいただいた方本当になりがとうございます。
これは、今の僕のできる文章というか生き方そのものです。
もし、応援してくださる方がおられるのならばこれほど嬉しいことはありません。
もしまだ読んでいないという方。本は腐りません、いつか読んでくれたら嬉しいです。Kindle Unlimited
対象ですので、とりあえず読んでみるというのもありかもしれませんよ。



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