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涙が流れた時に何を得られるのか。

ここ数ヶ月で、僕は、3度涙を流した。なぜ、明確に覚えているのかというと、涙を流すことは僕にとって重要な出来事であるからだ。

まず1度目は、職場での出来事だ。仕事が辛いのをなんとか伝えようと、していたのだが、なかなかうまくいかずに、わからないけれど辛い、というような状態だった。上司も困っていたと思う。
そこで僕は、一度自分の頭の中を整理するために、ひたすら書きまくった。最初は単語を思いつくまま書き、そのあと箇条書きにし、最後には、卒業生を送る、送辞のような長い原稿が出来上がった。
僕は、それをもって上司の元へ行き、自分の思いを伝えた。
途中から涙が止まらなくなった。本当に卒業生を送っているような気持ちになった。すると、上司はそうか、やっと君の辛さがわかったと言ってくれた。もちろんそれも良かったのだが、基本的に他人の辛さを100%理解することはできないと思っている。
僕にとって一番良かったのは、涙が溢れたこと、そのものだ。感情を失い、死んだように働いていた自分、涙が溢れることで、ようやく人間らしさを取り戻したような気がした。僕は静かに泣いていた。だが、心が少しだけ浄化されるような感じがした。

2度目は、オーケストラのコンサートでの出来事である。
演目はシベリウスのバイオリン協奏曲。
僕は、途中から涙が止まらなくなってしまった。
ソリストの恐ろしいくらいの狂気と、それに反するような切ない美しい音色に僕は圧倒されたのだ。音楽というのは、言葉で説明するのは難しい。良いと思ったら体が何かしらの反応を起こしてしまうものだ。
感情がうまく追いつかなくなると、生理現象として、もしくは防衛反応として、涙が溢れるのかもしれない。もうぼろぼろ泣いていた。それくらい素敵な演奏だった。満員のホールで周りに泣いている人はいなかったので少し恥ずかしかったが、それくらい心に直接くらわせてくる音楽というのは、改めて素敵だと思った。
そしてやはり涙を流すと、どこか清々しい気持ちになって、前を向けるような気持ちにさせてくれるのだ。

3度目は、つい先日のことである。
「きみの色」というアニメーション映画を観た。
物語の中盤から最後まで僕は涙が止まらなくなっていた。
ちょうど心が辛い時期に見たというのもあるのかもしれないが、この映画も心に直接何かをぶつけてくるものがあったように思う。
帰り道、僕の足どりは軽くなっていた。

涙を流すこと。
感動する、悲しい、といった感情とはまた違う。
感動するぞ、ほら泣け泣け、といった演出はあまり効果がないだろう。おそらく泣けない。
なにか心に直接訴えかけてきたものに対して、圧倒される、もしくは何かに気がつく、今の自分とのズレが生じる、バグが起きる、そう言った時に涙というのは溢れ、制御できなくなってしまう。

そして、涙を流すと、心がすこしだけ穏やかになる。
涙を流すとは、今の自分の感情のずれや、バグのようなものを調整してくれる役割を果たしてくれる潤滑油のようなものなのかもしれない。

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