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時間のかかる読書 #1百年の孤独と百年の孤独を代わりに読む

時間のかかる読書が好きだ。
それは、本の分量だけでなく、一度に読んでしまうには惜しいという読書も含まれる。

今は、『百年の孤独』と『シュルレアリスムとは何か』と『カフカの日記』を読んでいる。本当は一冊ずつ丁寧に読むほうが良いのかもしれないが、そればかりはどうしようもない。一冊に集中することが難しいんですよね。
これだけしか読まない時期、というのを設けるとなんだか今日はそんな気分じゃないな、と思って読むのをやめてしまう。適度に分散させておくとなんだかうまくいったりするものだ。

百年の孤独を読むのは、おそらく1年ぶりくらいである。
ちょうどマッチョな兄貴が帰還したところまで来た。まだ序盤と言って良いだろう。
なぜかわからないが、長男って、だめな感じで描かれることが多いですよね。

朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」では、ゴリ演じる「にいに」は、トラブルメーカーとして、なんかうまくいきそうなところで登場し、色々やらかして、掻き乱して、ダメにしてしまう。朝ドラではこのパターンが結構踏襲されている。

なぜ長男をダメな人間として描くのだろうか。
カラマーゾフの兄弟でもそうだ。
長男ってさただでさえしんどいんだからせめて優しくしてよと思うのだけれど、そうはしてくれない。

子育ての方針は各家庭により異なるが、まあ大体は初めての子供というのは手探りで育てられるし、適度に甘やかされる。勉強はできるが社会にうまく馴染めないというのがなんとなく特性としてあるように思う。
下の子は上を見て育つので、何をしたら怒られるとか、そういうのを無意識に学習するので、意外とうまくやっていることが多い。
プロ野球選手なんかも、兄の影響で野球を始めた、ということも多く、兄の立ち振る舞いから色々と学ぶのだろうか。

かくいう私は長男である。そして兄弟の中で一番自由きままである。
狂人なのかもしれない。
正直いってあまりよろしくないだろう。
弟は、すでに家庭を持って落ち着いて暮らしている。
にいには自由人なので、仕方がないから、このまま自由気ままに余生を送ろうと思う。

ふと、こんなことを考えながら、友田とん氏は『百年の孤独を代わりに読む』を書いていたのだろうか、と思った。
この度文庫版が発売されましたね。百年の孤独に頓挫したら、友田氏に代わりに読んでもらうことを強くお薦めする。
数珠繋ぎのような連想ゲームのようなそんな本書を読んでいるうちに、きっと百年の孤独を代わりに読んでもらったことになっているはずである。

『カフカの日記』はなかなか骨太な読書体験だ。とりあえず今わかっていることは、父親との確執、そして、芸術鑑賞には余念がないこと。(芸術に触れるって大事だなあとつくづく思う)そして友人との知的な会話の場面は心躍る。
こういうの良いなあ。理想的生活。
と思ったら、なんかほとんど寝ずに仕事に行ったりして、それでもこんなに大量に文字を書いていて、狂気の沙汰である。まあこれがカフカの魅力なのかもしれないが。

それでも読み進めている、一日2ページくらいでギブアップしてしまうのでいつ読み終わるかわからないのだが、だれか代わりに読んでくれる人は現れるだろうか。もしくは、僕が代わりに読めば良いのだろうか。
カフカの生活と僕の生活になにか共通点はあるだろうか。今のところ不眠と夜中にこうやって訳のわからないことをボソボソと言っていることは共通しているかもしれない。

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