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#8 勉強はいつ始めても良いし、いつやめても良い。

こんばんは。守田です。今回は、勉強についてお話ししようと思います。
勉強とは若者の特権ではない。
というより大人になってからの方が勉強の重要性に気づき学ぶことを始める人も多いのではないでしょうか。
まあ、高校生とかだと、勉強というのは受験のためであって、それが無意味だとは思いません。勉強の素地を身につける、物事を体系的に捉える訓練として有意義だと思っています。もちろん勉強なんかしなくても成功する人はわんさかいると思うのですが、勉強って大事だなと思っています。

特に義務教育なんて意味がない、いつ使うねん、なんて抜かしている人もいるのかもしれませんが、小学校中学校できちんと学んだ力というのは役に立つのだと僕は思っています。
そんなもん使わないから意味がない、という意見もあるのかと思いますが、使うか使わないかは後から決めれば良いことで、未熟でばかな状態である(これは自分自身の相対的な意味である)この時代に学ぶことを見限ってしまうのはあまりに惜しいことだと思います。
まあそういうと、教師の教えかたが悪いとか、とにかくやらないことを正当化しようとするのだと思うのですが、結局社会に出るということは、学ぶということなのです。それを教師は伝えるべきなのですが、いや伝えているのですが、こればっかりは子どもが理解できるかどうかは難しい。実際にそうなってみないとわからないことって多いですからね。
学ぶことの面白さを四十人のよくわからん集団にはたして伝えられるのか。
伝えられる人はいるのだろうけれど、僕は、手のかかる生徒ももちろん大事にしないといけないと思うし、蔑ろにするのはよくないと思うのだけれど、教師の話を真剣に聞きたい、真面目に取り組みたいと思っている生徒もいるはずです。そういう人たちの姿勢を無視してはいけない、というより本来はそっちを優先すべきではないかと思っている。
よくわかんないけれど、なにか講演でも、インストラクターでもいいですが、真面目に話を聞いて真剣に取り組もうとしている人とどうでも良いと思っている人に話をするとしたらどちらが良いですかってこと。

もちろんすべての教科で良い成績を取れる人はいる。そうでなくても何かこれだけでも頑張ろうというのは大事なんじゃないかな。国語でもいいし、数学でも、美術でも、なんでもいいんです。学問の入り口として挑戦してみるというのがとても大切なことだと思います。

勉強の難しさって効果がとても遅いということなんですよね。実感しにくい。
だからやっても意味ないじゃんっていうことになる。
でもテストに向けて計画を立て、しかるべき手段を講じ、時に難問に苦しんだ時には力を借りる、そもそもその手順を踏まえないと、自分が何をわかっていて、何がわからないのかを知ることができません。
そこまでいけば、先生に聞けばいいわけです。
すでにこの時に成長している自分に気がつくでしょう、
数学がわからんー、ではなんともしようがないですが、
この問題の、ここまでは理解できるのだが、この後の解説が僕にはわからない、と先生に言えば丁寧に教えてくれるでしょう。

学ぶってこういうことなんですよね、きっと。
自分が何がわかって、何がわからないのかを整理する。この手順をきちんと身につけるのが義務教育、もしくは高等教育のあるべき姿、というよりじぶんでそう臨んでいく訓練のようなものです。

大学に進めば、わからないこととわかることを整理し、答えを見つけていく、ところから、自身で問いを探すというのにシフトしていきます。

ということがわかれば、別に大学で学ぶ必要もないのです。
もちろん大学に進めばより専門的な教育が受けられ、適切な助言を受けることができます。

でも自分自身で問いを探して、自分なりに研究していくということは、別に今からでも遅くないと思っています。

本を読む。面白い本だと思った。
ではなぜ面白いと思ったのか。
筋書きか、心情の描写か、文体か。
なにか素敵な一文に出会ったのか。
読書一つとっても自分なりに考えることができる。

もちろん一人では限界が来ることもあるだろう。僕は、今は孤軍奮闘しながら、本を読み、何かを書いているが、僕が面白いと思っていても、それは単なる独りよがりの可能性が否めない、というより、自分がいまいちかなあと思った方が、面白いと言ってもらえたりするのだからますますわからない深みにハマっていくことになる。

だから、学びたいと思うのだ。
何かにぶつかってわからないことが出てきた時、どう解決しようか迷った時に人は学ぼうと思う、もしくは学んだことを生かそうとする。

学校の勉強はほんの入り口です。
学校で勉強していないからと言って悲観することはありません。
今からでも十分学ぶことはできます。
動画サイトなんかをうまく使えば、ほとんど無料で学べる時代が来たのだからこれほどありがたいことありません。
とはいえいくら便利になったとしても、するかしないか、というのはこれから先も変わることはないのだと思っている。僕たちは、否定するのが得意だ、やらない理由を探すのが得意だ。さてそれに抗うことができるのだろうか。


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