池袋暴走事故 葛藤の日々(原稿全文 TBS「報道特集」11月16日放送より)
今年4月、東京・池袋で乗用車が暴走し、12人が死傷する事故が起きました。運転していた88歳の高齢ドライバー。杖を突いて歩くその姿は大きな衝撃を与えました。私たちはこの事故で妻と娘を亡くした男性に密着。やり場のない怒りと悲しみ、葛藤に苦しみ続けた7か月を追いました。
マンションの階段をゆっくりと上がっていく松永さん、33歳。今年4月、東京・池袋で起きた高齢ドライバーによる事故で妻の真菜(まな)さんと、娘の莉子(りこ)ちゃんを亡くした。
家族のぬくもりが残るこの部屋で
ここは、かつて家族3人で暮らしていた自宅。幸せだった頃を思い出してしまうため事故以来、ほとんど戻っていなかった。今は両親のもとに身を寄せているという松永さん。この日、特別に部屋の中を見せてくれた。
松永さん:
椅子の位置関係も、ここに僕が座って、あそこに真菜が座って、ここに莉子が座って。食事の時はいつも莉子が「3人で手つなぎたい」って言うんですよ。「いいよ」って言って、3人で手つないで10秒ぐらいですかね、そうすると莉子が嬉しそうにニコニコするんですよ。
莉子ちゃん:
父の日、ありがとう。
松永さん:
えっ、何?お父さんに?ありがとう!嬉しい、これ莉子が描いてくれたの?
莉子ちゃん:
これは笑った顔、これは困った顔。
愛娘、莉子ちゃん。
これは去年の父の日に、妻の真菜さんが撮影した映像だ。莉子ちゃんは手作りのケーキをプレゼントした。
松永さん:
ありがとう、嬉しいな、すごい。
真菜さん:
莉子が作ったんだよね、ケーキもね。
莉子ちゃん:
莉子がまぜまぜした。
松永さん:
すごいね、ありがとう。
松永さん:
何か例えば、おしっことか、うんちとか、歯磨きとか、お風呂とか、「1日のうちで莉子ちゃんがやらなきゃいけないこと」を書き出して、できたらひっくり返して。こういうのも1個1個手作りして。
2人の思い出がいっぱい詰まったこの部屋は、時が止まったままだ。
松永さん:
こういうの全部ひとつひとつとってもこの家にあるもの全部、思い出に溢れてて、こうやって泣いてしまうんで・・・。泣いちゃダメとは自分で思わないんですけど、あまり引きずっていると二人が心配するんじゃないかと思って・・・。
事故のあと、ひとりで酒を飲むことが多くなったという。
松永さん:
事故の後はお酒飲まないと眠れなくて。ほぼ毎日飲んじゃってる。いろんな事を考えちゃうし、お酒の力に頼っちゃってるんですけど。暗くなる時の方が多いんですけど、まだ、波がすごいんで、感情の・・・。
「加害者の歩く姿をみて衝撃」
事故現場は、見通しの良い大通り。車はおよそ150mを一直線に暴走し、松永さんの妻、真菜さんと3歳になる娘、莉子ちゃんが亡くなった。
運転していたのは、旧通産省・工業技術院の飯塚 幸三元院長、88歳。事故から1か月、任意の事情聴取に応じたあと両手で杖を突きながら警察署から出てきた。
記者:
「ひと言お願いします!」
飯塚元院長:
「誠に申し訳ございません」
事故を起こしたあと、飯塚元院長は1ヶ月ほど入院していた。退院後は、「高齢で逃亡の恐れがない」などの理由から、逮捕されることはなかった。
事故から一か月あまり経った6月。飯塚元院長立ち会いのもとで実況見分が行われた。
妻と娘の命を奪った加害者をこの目で見たいという思いから、松永さんは事故現場を訪れていた。
松永さん:
ここら辺から見ていました。
当時の映像には、マスク姿の松永さんが映っている。
松永さん:
やっぱり加害者の歩く姿を見て衝撃を受けましたね。今回の加害者は高齢というだけではなく、足があの状態で運転したというのはちょっと次元が違うのかなと、高齢者ドライバー問題というのと。ああいう足だったら、ましてや右足ですから、ちょっと信じられないなっていうふうには思いましたね。
歩くのがやっとの状態で、実況見分に立ち会っていた飯塚元院長。その姿を見た松永さんは動き始めた。
憎しみで心が満たされてしまったら、二人は悲しむ
7月に入って、松永さんは、飯塚元院長に対し、厳罰を求める署名活動を始めた。
繰り返される交通死亡事故に警鐘を鳴らすため、できるだけ重い罪での起訴の上、厳罰に処していただきたく、ここに署名を添えて要望いたします。
署名活動は、妻、真菜さんのふるさと、沖縄でも行った。
松永さん:
このような大きな事故で、軽い罪で終わるようなことがあると、それが前
例になってしまう。少しでもできることが自分があるならば、やろうとい
う思いで今はいます。
沖縄で暮らす真菜さんの父、上原 義教(よしのり)さんの姿もあった。
上原さん:
私たちみたいに苦しむ家族がでないことを願うしかない。
署名活動は2か月にわたって行われ、その数は39万人を超えた。
松永さん:
莉子は莉子で。短い人生でしたけど、真菜っていう素晴らしいお母さんと、本当に片時も離れず生きてましたから。僕は莉子の(遺体の)顔を見たときに、こんな思いをする被害者とこんな思いをする遺族が出てはいけないと思いました。
9月、松永さんは、上原さんとともに、集まった署名を東京地検に提出した。
松永さんの姿が報じられるたびに、ネット上には飯塚元院長に対する批判的なコメントや「なぜ警察は逮捕しないのか」という憤りの声があふれた。松永さんの親族からも、同様の意見が出た。
こうした状況の中、松永さんはひとり葛藤していた。
松永さん:
僕もこういう日常が奪われて、憎しみがゼロって言ったら絶対嘘になるんですけど、憎しみで心が満たされてしまったら、2人は悲しむから。
こう思うのには、わけがあった。
松永さん:
莉子は僕の怒った顔を見たことないですから。2人への「愛してる」って気持ちと「ありがとう」っていう感謝の気持ちで心満たしていたい。
真菜さんと莉子ちゃんが眠る都内の墓地。松永さんは週に一度ここを訪れ、手を合わせている。
真菜さんと結婚して、自分は変わったと話す。
松永さん:
僕は真菜に対して会社の愚痴を言うことがあったんですけど、そういう話もただ微笑んで聞いてくれて、でも自分は絶対に人の悪口とか言わないし、僕が持ってないものをいっぱい持ってた人で・・・。
真菜さんは、莉子ちゃんが生まれてからずっと、我が子の成長の記録をノートに書き綴っていた。
「最近ごはん食べて『んー、おいしい!』『これ、おかあさん作ったの?』『さすが、おかあさん何でも作れるね』と言う」(真菜さんのノートより)
松永さん:
2人が、僕が、人のことをここまで愛せる人間なんだということを気づかせてくれて、僕を2人は、生前は、2人のことを本当に愛していましたから、そういう人間に2人がしてくれて、他人のことを思うようにしてくれたのは2人だと思います、昔はそんな人間じゃなかったんで。
返却された遺品を前に
事故から5か月が過ぎた9月、当時、2人が乗っていた自転車が真っ二つに割れたままの状態で返ってきた。
さらに身につけていた洋服やかばんなど、警視庁からすべての遺品が返却された。
松永さん:
これ・・・あーひどいなぁ、あ、やっぱり無理だ、ごめんなさい・・・。血がついてる・・・。
一度は見るのをためらったが・・・、しばらくして再び手にする。
松永さん:
莉子が着ていた服で・・・。あぁ・・・ぼろぼろだな。公園で撮った写真もこれと同じ服で、それがこんなぼろぼろで汚れて・・・。「(警視庁から)選んで下さい」って言われたんですよ。「持って帰ってもいいし、こっちで廃棄してもいいですし」。でも分かんないじゃないですか。どっちがいいかなんて、捨ててもらうのがいいか、取っておいたあげた方がいいか、そんなの決められないですよ・・・。
返ってきた2人の遺品を前に、涙は止まらなかった。
高齢ドライバー問題、解決は
そんな松永さんのもとに、1通の手紙が届いた。送り主は、交通事故の遺族で作る団体の代表者からだった。
松永さん:
『どうか一人だけで戦わないで下さい、私たちもサポートできるし』とこの手紙とノートを貰って自分は一人じゃないんだなって・・・。
関東交通犯罪遺族の会、通称「あいの会」。ここでは交通事故で家族を失った人々が悩みを分かち合うため、定期的に交流会を開いている。今、松永さんは月に一度、ここを訪れている。
松永さん:
僕でかいの、行っちゃっていいですか、ワハハハ。
「あいの会」では、交通事故を無くすための対策を提言する活動も行っている。この日は、高齢ドライバー事故について国土交通省に要望する内容を、話し合っていた。
後を絶たない高齢ドライバーによる事故。警察は免許返納の呼びかけを強めているが、解決はそう簡単ではない。
「あの人は何で車を運転してたのか」
池袋の事故で、飯塚元院長にはね飛ばされた被害者のひとり。79歳になるこの男性は、手足を骨折し、半年近く入院した。
飯塚元院長に対し、強く憤っている。
男性:
許せないですよね。あの人は何で車を運転してたのかなと思って、悔しくてしょうがないですね。
実はこの男性も事故に遭うまでは、日常的に車を運転していた。事故後、家族は運転を辞めるよう求めた。
男性の家族:
ちょっとぶつけたりしていて。いやー本当に運転はしてほしくないです。
しかし本人は・・・。
男性:
事故っていったって細かいのはバックしてドンとぶつけたというのはあるけど。ゴルフやるのに迎えに来てくれれば車はいらないけどね。私にとって便利ですね(免許が)あればね、どこでも行けるからね。
その後、家族と話し合った末、免許を返納することを決めた。
加害者を直撃「おごりがあったかなと思って・・・」
11月12日、飯塚元院長は過失運転致死傷の疑いで書類送検された。警視庁はブレーキとアクセルの踏み間違いだとしているが、飯塚元院長は事情聴取で、「車に異常があった」と話したという。私たちは書類送検の直前、本人を直撃した。
記者:
今のお気持ちをお聞かせいただいてもよろしいですか。
飯塚元院長:
いつも申し上げているように、本当に被害者の方に申し訳なく思っております。
謝罪の言葉を口にしたその一方で・・・。
飯塚元院長:
まあ、安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしいと願っております。
自分の運転技術については、こう話した。
記者:
高齢者のおごりという風におっしゃったんですけど、具体的にはどういうことなんでしょうか?
飯塚元院長:
自分の体力には、当時は自信があったんですけど、それは高齢者としての判断ですから第三者が見てどうだったかは、わかりません。そういう意味でただ高齢というだけでみなさん、不安を感じていると思いますね。それは個人差が非常にあると思いますので、自分にはわかりませんけれど。医者に(運転を)止められてたというんですけど、医者からは止められていなかったんですね。確かに歩くのが少しずつ困難になってきてたんですが、なかなか診断が定まらなくて、ただ症状はずっと事故後に悪くなっちゃって、歩行が本当に、現場検証の時よりさらに悪化していることは事実です。
飯塚元院長は、今後、車を運転しないと明言した。おぼつかない足取りで壁に手を突きながらゆっくりと自宅に戻っていった。
あの事故から7か月間、松永さんが積極的に活動を続けてきたのは、2人の死を無駄にしたくないという思いからだ。
松永さん:
本当は僕の隣りでずっと生きていればなって正直思っちゃいますけど、2人の大切な命によって救われた命があるんだったら、2人にとってもせめてもの救いかなと思うし、この辛さを、苦しさを、一人でも体験しないで済むんだったら、だから僕は動きたいんですよね、知ってしまったからこそ、この苦しさを、もう誰にも体験してほしくないので、本当に・・・。