使い手の時間を現す、育つ革とレザー・バックパック
随分と前からブランドの定番となるヌメ革を探していて、数ヶ月前にようやく「これは」という革を見つけた。
ピットなめしのイタリア産のその革には、程よくコシがあり、ハリがあった。
育つ革だ。
これでアレを作ったらどんなふうに育つだろう?
使ってみたい!
と、靴ではなく鞄を作って(なんでやねん)、ほぼ2ヶ月、毎日使っている。
久々に染色をしていない、無垢の革を使って作ったその鞄は、背負うとなんだか他人行儀で、少し恥ずかしくなった。
けれどそれは、少しづつではあるが形を変えて、1ヶ月も経たない間に「そこに在るべきモノ」として、ぼくの背中に溶けていった。
陽の光にあたり、表皮は微妙に焼けたし。
擦れたところは、艶になった。
たくさん触れる背中のポケットには爪痕が残り。
金具と擦れる箇所は黒くなった。
ぼくは鞄の中に、PCに本に弁当箱のほか(ここまでは想定内の容量だ)、着替えや靴なんかも入れてしまうものだから、見た目は膨らんでいて毎日パンパンだ。
そのせいか、たまに財布とスマホだけ入れて背負ってみると、形がぺたんと煎餅のように平らなっている。
せっかちで、そそっかしい。
わずか2ヶ月ながらその鞄は、ぼくらしく形を整え、とうの本人の背中にいやおうなしにぶら下がっている。
その様がなんだか愛おしく、微笑ましかったりする。
モノはその人を写す鏡だと僕は思う。
丁寧に使う人にはそれなりの、雑に使う人にはそれなりの形状となる。
そんなこんなが一層顕著に現れるのがヌメ革の特徴で、面白いところだと思うし、そのどれもが(育て方において)間違いではないと思う。
使い手の時間を現す、育つ鞄。
いろいろな物語を、よければ一緒に。
靴作家・森田圭一
工房12月展にて販売開始いたします
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