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長岡歴史旅

司馬遼太郎さんの峠で描かれた河井継之助の映画を最近見てますし、以前より興味を持っていた長岡の歴史を垣間見てきました。

小柄な方のようです。

まずは、河井継之助記念館を訪ねました。

新政府に対抗して独立を守ろうとした、あるいは幕府に忠義を果たそうとしたのか、いずれにしろ彼の行動が長岡の歴史を変えたのは事実でしょう。

実は最近まで地元ではむしろ憎まれていたそうです。その証拠に墓石が一部削られてるとの事。

戦禍を招き町を焼き尽くされてしまったその恨みが、未だにあると言います。

メディアに登場して映画にもなり、評価が少し変わりつつあるようです。

落城してしまったお城はほほ完全になくなってしまってますが、その跡地は長岡駅や市役所、更にアリーナとなって市民に活用されております。

アオーレ(合おう)新潟弁
スポーツや各種催事場

これらの施設は駅から全て繋がっており、泊まったホテルも駅中です。つまりお城の中に泊まったわけですね。

お城跡巡りをしていると、跡地が駅や市役所というのは〝あるある〝ですが、ここまで公共インフラに再利用されてるのは珍しいのではないでしょうか。

そんな歴史を見れる記念館がもう一つすぐ側にありました。ものの数十メートルの距離にあるのが、山本五十六記念館です。

生家を復元した所です。

言わずと知れた日本の偉人です。この場所から見える場所が生家でした。

越後の国からは日本を代表する様な人物が排出します。個人的な考察ですが、雪国で閉じ込められ厳しい環境で生きていかなければならない宿命をもっている人々は、それを反動にして大義をなすパワーがあるからなのかと思います。

2人ともこの地で生まれ育ち、国を守ると言う大義を持ってその信念に沿って戦った人です。

時代と状況は違えども、求めたものは同じ様に感じます。英雄、偉人は時代が作る物だと考えてますが、正にこの2人もこれに当てはまるとその足跡を見ながら感じました。

午前中でお腹一杯感ですが、身体のお腹は少し減ってきたかな。

名物のへぎ蕎麦を頂きました。

へぎとはこの器(枠)の呼び名との事。

長岡城は既にほほ無いのですが、模擬城を作り地域の歴史を残そうとの動きがあり、長岡市郷土史料館を訪ねました。

復元模擬城
これくらいしか残って無い様です。

長岡は牧野氏が長い事治めてた歴史を知りました。時代かもしれませんが、長い間うまく統治されてたようです。

この側に神社があるらしく訪ねる事にしました。

蒼柴神社

真実の程はさておき、こんな話を知れるのは現地に行ったご褒美みたいなものかな。

秋田犬なのがリアリティーを感じます。

今回の旅で過酷な自然環境をイメージしながら色々な事を感じようとつとめましたが、この季節では快適過ぎてとても無理なのを思いました。

隣りの会津を含め悲劇の歴史が生まれる背景を知りたいと考えてましたが、冬に来なければそれは無理です。

機会を設けて豪雪時期に訪ねたいた思います。






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