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イーグルス Most Of Us Are Sad

80年代前半、音楽と映画の話が合う男女七人は、学生時代の良き友でした。
(トムウェイツの記事)
その中の一人は、サトルと呼んでいて、七人の中では私と一番音楽の趣味が近く、アコースティック趣向でポコやイーグルスが好きでした。

彼と一緒に何かの団体旅行に行った時、バスの中で幹事さんが「誰か歌いたい人いますか」に彼が手を挙げて、曲名を聞かれて「あ、たぶんオケ無いから、マイクだけで大丈夫です」と言ってイーグルスのティモシーBシュミットが歌う「言い出せなくて」をアカペラで歌ったのです。

サトルは大勢の前でもアコギで歌ったりして、人前で歌うのは得意でしたから、バスでも私は驚かなかったのですが、歌い始めると後方の席で賑やかだったおばさんグルーブが手拍子をつけ始めまして笑、演歌風に迫る手拍子が可笑しくて「手拍子するような曲じゃないですよー」とは私も(言い出せなくて)ニヤニヤしていました。

ティモシーBシュミットは、ソロになった時「ソーマッチインラヴ」が大ヒットしましたけど、イーグルスに加入した時の事はよく覚えてます。ホテルカリフォルニアの後のランディマイズナーの後任はいったい誰なのか!世界中が注目してたと思うなか、私や周囲の友人が初めてティモシーBシュミットを目にした姿はコレです↓

シングル盤 二人だけのクリスマス 

右端の貧弱そうなロン毛の男?が新加入ベーシスト??軟弱じゃん!と当時の友人といじってましたけど、その後新譜が出て「言い出せなくて」がヒットした時、いいやつじゃん!と思いました。

サトルは、実はそのティモシーよりもバーニー•レドンが好きで、当時3rdのバーニー作の「マイ•マンがイイ」なんて言ってまして、私は地味な曲としか思っていませんでした。
思えばその頃は、ジョーウォルッシやドンフェルダーのグイグイするアダルトイーグルスが好きでしたけど、年月が経って最近は、バーニーレドンが中核だった初期の、青空コーラスイーグルスがイイんですよね。あの頃から私が、イーグルスのアコースティックな美しさをもっと感じていれば、ポコが好きなサトルとも、より感じ合えたのかな。
My man はイーグルスでのバーニーのベストソングでしょう。グラムパーソンズを想う彼の気持ちが、軽やかで優しいメロディーにのって歌われます。

バーニー•レドン

イーグルスの「絶対ヒットしないイイ曲マイベスト3」は、My man /After the Thrill is Gone /Most of us are Sad です。

After the thrill is gone
イーグルスが4thの「呪われた夜」を出した頃はメンバーはもう、このバンドに飽きていて仲良しではなくなっていました。グレンフライとドンヘンリーがVoを分け合って歌うこの曲は、グレンがインタビューでこれは自分達の友情関係が冷めてしまった事とダブルミーニングだ、なんて言ってます。
グレンとドンヘンリーが冷めた友情の炎を、最後にまた燃やす歌なんだと思います。
(スリル)の発音が艶っぽくて、そこの歌い方が好きです。

最後に Most of us are sadですが、これはつい先月、私がnoteでフォローしてる方の記事↓を読んで改めてよく聴いてみたところ、凄く良かったのです。作曲はグレンフライで、彼のキメ曲「テキーラサンライズ」をワルツにした感じでしょうか。ヴォーカルは何故か作者グレンではなくランディーマイズナーで四人のメンバーの純粋なコーラスが美しいです。

Most of us are Sad  
イーグルス ファースト 1972年

考えてみれば、ランディーマイズナーも、ティモシーBシュミットもポコ出身だし、この曲の哀愁もポコを彷彿します。

(歌詞)
誰もそれを見せることはないけれど、
大抵の人は悲しみを持って生きている
それを越えるにはどう生きたらいいんだろう

ジョーウォルシュとドンフェルダーのエレクトリックイーグルスには私は、とっくに飽きていて、最近ではバーニーやランディーを感じる初期の、青空あるいは夕暮れハーモニーのイーグルスを聴きます。

あの頃、サトルはバーニーレドンのように、一歩大人だったなぁ。男女七人は、何かしようという時、だいたい意見が分かれるけど、結局サトルの言う事が一番納得できて、それに落ち着くのでした。

音楽的リーダーの六角は(ベンワットの記事)あれこれ言って引っ掻き回すタイプ、姉妹三人は、三人同時に話すので結局なんにも伝わらないタイプ(トムウェイツの記事) 私は「どっちでもいいよぉ〜」って感じで「自由人」と呼ばれる男。そしてもう一人、少年の様に純粋な男がいるのですが、彼のことはまた別の機会にお話ししましょう。

何十年もスルーしていた、
Most of us are sad を聴いて
私はサトルや昔の友を思い涙していました。

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