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「フランケンシュタイン」を読んで

メアリー・シェリー作「フランケンシュタイン」を読んだ。ドラキュラや狼男に並ぶ化け物の話として有名だが、あまりに有名なので、逆に原作を読んだ人はあまりいないのではないだろうか。かくいう僕も、今回初めて読んだ。そこそこ分量のある物語である。

内容は、一言で言えば、身勝手で浅はかな男が自ら作り出した不幸の物語である。でも、本当に不幸なのは、作り出された瞬間にその創造主から不幸のどん底に突き落とされた怪物の方であろう。

念のためですが、フランケンシュタインは怪物を作り出したこの話の主人公の名前であり、怪物には名前が無く、ただ怪物と呼ばれています。

怪物に対する一般的なイメージは、知能が低く人の感情も持たない乱暴な大男で、小さい無垢な女の子に差し出された一輪の花を受け取って、初めて人の優しさを知り涙するといったものでしょうが、そんなシーンは原作には出てきません。小さな子供が怪物と係わるシーンが2つ出てきますが、一人は川でおぼれたところを助けられ、一人は首を絞められて殺されてます。

怪物は、始めは目もよく見えないのですが、そのうち五感が開け、次第に言葉も覚え、失楽園や若きウェルテルの悩みなどを深く読み込む程になり、ついには人の考えを変えてしまうほどの弁舌の才を持つようになる。実は、とても高い知能を持っているのです。

そして、本来は善の心を持っていた。怪物みずから、己の心は本来情愛と共感を受け止めるようにできていた。ねじ曲がり憎しみから悪行を成すようになったのだと語っています。

見た目の醜さのみから、差別され攻撃され、孤独に陥れられ、悪行に走る。
人の世で犯罪者と呼ばれる人の中にも、いろんな理由で差別され攻撃され孤独に陥れられ、悪行に追い込まれた人も多いのではないかと思います。悪人として生まれてくる人はいない。環境が、人を悪に追いやる。そう考えさせられました。

物語の構成ですが、まず主人公を助けた人とその姉との手紙のやりとりから始まり、次に主人公の語りになります。怪物が本格的に出てくるのは、話の真ん中当たりから。そこから語り手が怪物に変わりますが、また主人公の語りに戻ります。最後は、また主人公を助けた人の手紙の形になりますが、怪物の語りを最後に記して終わりになります。

怪物が出てくる怪奇小説だと思ってハラハラしながら読み始めると、最初の手紙のやりとりの部分が冗長に感じられ、また全体的に怪物に係わらない場面も多くちょっとイライラしましたが、これは単なる怪奇小説ではない、人間の心の深いところを書いたものだと思ってからは、じっくり読むことができました。

作者のメアリー・シェリーは、この物語を19才から書き始め21才の時に出版しています。若いのに、このような物語を書くことができるなんて本当にすごい才能だと思います。

また、物語はスイスやフランス、イギリスそして北極圏を舞台に展開され、当地の情景が生き生きと描写されていますが、この物語の書かれたのはナポレオンがワーテルローの戦いに敗北しセントヘレナ島に流された頃であり、20歳前後の若い女性が各地の様子をどうやって知ることができたのか不思議です。まさか、各地を旅して回ったことがあるとは思えませんが、何かしらの伝聞を元に想像して書いたとすれば、これもまたたいした想像力だと思います。

この物語は、確かに怪物は出てきますが一般に思われているような怪奇小説ではなく、人の心の深いところ、弱さや身勝手さ、愛情や友情、そして悪しき心は生きる環境によって生じるということを描いた深みのある物語だと思いました。

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