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壮年とゲームとe-sportsと。

e-sports元年も何度迎えたか忘れたのですがもうこのお題もあと数年は続くんじゃないでしょうか。私もLeague Of LegendsというPCゲームのプレイヤーを経て、2018年はじめて国内リーグであるLJLの春夏の大会、そして国際大会であるMSIやWCSを全部でないものの結構な数みました。

そのうえで先に結論から申し上げますと私から見たらスポーツです。
その理由をいかに書き留めておこうと思います。

遊戯と競技の壁

さて観戦した件のゲームLeague Of Legends(以下LOL)。ゲームです。プレイは基本無料(課金はスキンなどゲーム内の強さに関係ないもの)。なので私も遊べます。ゲームです。ゲームとして遊んでます。そしてこのゲームにはプロがいます。

──好き嫌いを超えたもの……。「これだけ」というと、1日どれぐらい遊んでいるんですか?
Evi氏:
 合計10時間ぐらいですかね。1日のスケジュールで言うと、だいたい13時に起きて、15時から18時までスクリム(他チームとの練習試合)、20時から23時またスクリムがあって、24時から朝の4時まで個人練習をしています。
 ただ、『LoL』について考えている時間を含めると、もっと長いと思います。

これはもう遊ぶとはいわないよ!?実際選手の中には個人練習の時間中配信をしたりカスタムを企画して交流を含めたプレイをしていらっしゃる方もいます。それでも私たちの目に映らないところではまた違った姿勢でLOLに取り組んでいるのです。遊んでいる私といえばもう気楽なもので好きな時にプレイし嫌になったり満足すればやめればいいのです。ゲームですから。気晴らしですよ私にとっては。でも彼らにとっては生活の娯楽の一部の成果を発揮しているわけではない。それを上達させることを仕事にしているのです。


そしてこのゲーム、ランクマッチというものがあるのですが、これがまだプ一般ユーザーの環境では5人のチームを作ってマッチングするということが常態化に至っておらず、複数人のフレンドとランクにいくこともできますが多くはソロでそのゲームごとに急造のチームができあがります。ですがプロシーンはシーズン中5人プレス控えの選手がいて、かなり緊密な連携が求められ彼らのスキルや得意なことによって戦術が決められます。
タイトルとしてはゲームと同じだけど、個々のゲーム体験では得られない競技としての環境が整備されているのです。

私は選手ではありません。ですがこの動画をみて、プロ選手が感じる普通の生活の中でやる遊戯としてのLOLと競技者としてプレイするLOLの違いの片鱗を感じられるのではないでしょうか。(彼のチームは今年のMSI優勝候補のである圧倒的強者IGを倒し決勝にすすみました)

興行としてのスポーツ、スポーツ観戦という体験

そもそもテレビ中継されているスポーツ、あれはあれで野球というタイトル、サッカーというタイトル(種目ですね)同じルールで小学生でも遊べるものです。じゃあなんで大会とかやってるのかっていうと興行なんですよ。客とって見せて金もらってるんですよ。
LOLでは他人同士が急造のチームを作るのでコミュニケーションのトラブルが起きることもあります。そのときのチャットをはって「これがe-スポーツだ」と揶揄するようなものもありますが、違うんですよ。桃鉄だろうがスマブラだろうがゲームからはじまるケンカなんてオンラインゲーではじまったことじゃない(個人的には顔も知らない相手に投げかけるにはリスク高い言葉をつかっているなーとは思っていますが)
でも大会っていうのはそうじゃない。でかい会場とって、大掛かりな舞台をつくり、決勝にはオケによる演奏まであるセレモニー、演出をこり、大写しにされたモニター、盛り上げるMCその中でただそのタイトルの勝敗の行方を追い求める様が実況され解説されアナリストデスクまで用意される。そこには喜びも悲しみも悔しさも感動もつまっているんです。
私は自分が体を動かすのが苦手なためどのスポーツにもなじめず、また他の趣味もあって固定時間にテレビを見るということも苦手だったため、スポーツ観戦という体験が自校の高校野球の応援くらいしかありません。それが去年は日付をチェックしPCの前においしいものを用意して座って逐一ツイッターで実況して応援してガンバレガンバレと祈りよくやったと褒め一喜一憂して心臓をバクバクさせる。これがスポーツ観戦じゃなかったらなんなんだ?私は30代ですがようやくいままで遠巻きに眺めていたスポーツ観戦に熱狂していた人々のあの感覚を「ああ、こういうことか」と得心がいきました。
地方住まいの私は秋葉原や大型の家電量販店(ヨドバシクラスの)になじみがなく、郊外の店で相談して買ったPCの性能が私のニーズとかみあってないことにほぞをかんだりもしましたが、先日DFMがEdionとコラボしたことによって地方のEdionにもゲーミングデバイスコーナーができました。ありがたいことです。このようにゲーミングチームもさまざまなスポンサーを得ていますし、従来のさまざまな運動競技でも活動を継続するためのスポンサーが云々などの話もテレビでしていたかと思います。そういう経済活動的な着眼点もあってもいいと思います。おそらくe-sportsを切り盛りしている方にとっては敏感に反応することですが、誰かの飯の種ですよ?(というかテレビに映る皆さんもギャラはスポンサーから出てるんちゃうんかと。)※ある程度テレビにあがるときはポジショントーク的なところも考慮して眉つばのような眇めのような感じで眺めておりますが。
またスポーツチームには【地元】という感覚が強いものもありますが、ゲーミングチームでも、九州は福岡のSengoku Gamingのように東京以外に拠点を置くところやENLIFEのように地方産業をテーマにスポンサーをもっている(主催のゲーム大会の景品が牡蠣や肉だったりする。とてもうらやましい)団体もあります。若者が集まっているところに活路を見出していく前向きなとりくみだとおもいます。
ゲームタイトルが特定企業の商品であるというお話もありますが、そもそも大会があるスポーツなんてユニフォームがあり道具があり会場がありモニターがありと複数産業で儲けあっているわけでそれを抜いてタイトルだけの利益云々に目くじらたてるのもなぁと個人的に考えてます。

スポーツ=運動という思い込みが生んだもの

これは少々恨み言にもなると思いますが、その体を動かすということに絶対のポジティブ視してるところも個人的には苦虫を潰したくなります。私は運動が苦手だとお話しましたが、走ること、跳び箱も苦手です。これは苦手ですがどうやったらそれが解決するのか教わってないためです。1クラス30~40人体制ではやむをえない事ですが、個別に見て問題を解決してもらった記憶がほっとんどありません。高校の教師だけはランニング中に早歩きしてたら怒ることもなく競歩のフォームを教えてくれました。そういうの、そいういうのもっとちょうだい!そもそも体育は椅子にはりつけっぱなしの学生たちのフラストレーションの解決として身体を動かすことが始まりだったような記憶がありますがなんか体育は体育で憂鬱でしょうがないという生徒まで生み出すはめになってしまっている現状です。運動を日課にできなかった人間はうまい継続の習慣が得られません。これは社会人になってからの健康にも響く話です。
近年は中学校などで具体的な種目の部活ではなく健康維持のための体を動かすだけの部活も生まれてきているときいてとてもとてもとても羨ましい。
あと部活にしろプロスポーツにしろ根性論の練習で多くの選手の故障や炎天下の練習とか精神的な負荷を生んだ歴史があることを考えると、運動競技の身体性ばかりに着目されるのもなんか歯がゆいんですよ。運動競技だってバチバチに頭脳つかってるでしょ。むしろ戦術とか戦略とか技術とか身体でやるのもそうだけど考えながら体になじませることが大事なわけであって、それをいったらLOLの練習だって意識しながらトライ&エラーを繰り返すわけですよ。
だからこのe-sportsはスポーツかと問うのもいいですが、スポーツとはそもそも何か、といまいちど考えてみるのもいい機会だと思います。

あとこういう動画を見ると身体性はどう考えたってマインドスポーツよりあると思うんですよね…。ちなみに私はリアルタイムで見てましたがこのスローでの解説をみるまでスキル半分くらいわかってませんでした。

腕や指だって身体ですよ。確かに私たちが見るのはゲーム画面で選手たちの手元を逐一見ているわけではありません。ですがこのスローでないと判別できないほどの即座の判断能力と実行力はこのゲームの魅力であり、余人にはなかなか到達できないことを知っていて皆興奮するのです。

e-sportsは別に日本のこと特別じゃないよ

別に日本人に認めてもらわなくたってe-sportsは海外発祥で(むこうでも否定的な人はいるかもしれませんが)ふっつーに「そういうもん」として運用されているんですよね。そこらへんはカジュアルにカタカナ英語として外来語をつかって変容してしまう弊害がスポーツそのものに働いているからだと思いますが。ただe-sportsは世界規模の大会も多く、最終ステージで使う言語が日本語じゃない場合、そのままe-sportsだってe-sportsってかけばいいだけなのになんでわざわざゲーム大会っていいなおさないといけないのか。誰のために?え?普段関わろうともしない人の違和感をどうにかするために普段e-sports慣れ親しんでる人が折れなきゃなの?それならこっちだってゲーム大会じゃイメージできるものがもはや違うんですよね。日本人だけのビジネスシーンでアジェンダとかアグリーとかいいだすのは私もかえって分かりにくいとは思いますが、ゲーム大会じゃダメなの?っていうならなんでe-スポーツじゃダメなの?って言いかえしたい気持ちがあります。まんまでええやんけ。ゲームだってカタカナやんか。(スポーツで試合の区切りを1ゲームとかいうのもまたややこしいですねえこれ)
バスに乗り遅れるな、みたいな日本はガラパゴスみたいな論調は嫌いなのですが、せっかくまんま海外の言葉をカタカナでつかえる文化があるんだからそこまでe-スポーツ拒否しなくてもよくない?という気持ちです。

ゲームで育つ若者たちと大人の役割

ゲームをするということは、ゲームそのもののプレイにだけとどまらないのが昨今です。共有の手段がとても容易になっている。プロゲーマーになりたい子供が多いというアンケートがあれば眉をひそめる人も多いでしょう。でもプロゲームだってゲームをしているだけではありません。ときに配信をしたり動画をつくったりスポンサードしている企業の商品CMに出演したりインタビューを受けたりします。またスポンサードを受けるということは社会的に信用がおける行動を常に求められます。
またプロとはいわず、普段のゲーム体験の中で動画を作ったり配信をすること―近年これも段々と手段が簡略化していますが―いまは記録が簡単にできることで共有するという楽しみがスタンダードになっており、ゲームをやることで次の拡張目的が生まれることがほとんどです。

e-sportsタイトルではないのですがゲームというくくりで見たとき、私がいままでゲームをすることでさらにしたことをかきます。

ファンアートをかく(pixivアップロード260件超)、個人サイトをつくる、コスプレの衣装をつくる、二次創作小説をかきあげる(文庫100P超)、その小説を本にするため印刷所に発注する、イベントで領布する、動画を録画、編集、投稿する(200件超)、配信を行う、ブログ記事をかく、海外のゲームの情報のために英語を翻訳する。英語で他人のファンアートに感想をいったりもらった感想に英語でお礼をいったりする。

年を取ると何か新しいことを覚えるのが本当に本当におっくうになります。ですが、サイトをつくったり動画や配信などそのアクションをするたびに新しいソフトを探したりインストールしたり操作を覚えたりするわけです。だいたい20代の頃のお話になりますがそのバイタリティに驚くばかり。
またPCでは海外のゲームにばかりにふれました。modという拡張改造要素をいれるために相当数の海外サイトの説明を読みました。
またMinecraftで建築をするためにやたら建材の名前を調べてみたり城の縄張りを調べてみたり川のできあがるまでを調べて見たりスクリーショットを取るための写真の構図を学んでみたりと興味の幅がぐんぐんと広がりました。
またLOLの話に戻りますが最近は英語を頑張って読もうとしています。なぜなら北米サーバーと日本サーバーではサイトが違いそこに置かれているボードも違うからです。またファンアートやコミュニティコミックスを読みたくて仕方ないので機械翻訳に頼りながら訳しました。ただ英語を読もうと思えるのも私が義務教育をうけてきた恩恵が生きていて、主語や目的語や述語の順番、動詞や名詞などの文法知識、be able toで成句になったり過去分詞の存在を知っていたりなどのとっかかりがなければ訳せるかもしれない、とおもわなかったでしょう。中国語やハングルはもうさっぱりです。

ゲームばかりしていると学業の時間が、とおっしゃいますが、むしろいま修めようといる学業がどう活かせるのかを見せることができるのは社会に生きる大人です。実際英語訳すにもちょっと脳みそに蜘蛛の巣かかってつらい。でも推しが何喋ってるのか解読したいという欲求はすごい。アニメで日本語覚えた外人のやる気がちょっとわかりました!(私は耳できいたことの判別が弱いのでリスニングは苦手ですが文字は何度も読み直せるのでありがたい文化ですインターネットありがとう)「なんで勉強しなくちゃいけないの?」の答えに苦心してないで「あーこれ学校でちらっときいておいてよかったわ!」って楽しんでいる姿を見せればいいと思います。そして学びなおしは後からいくらでもできることも。

そしてLOLの話にもどると、プロ選手の試合の振り返り配信を拝見しにいくと、「この場面ではこれこれこういう状況だったからこれはこう判断してこうしたけど間違いだったね」とその時のことを事細かに記憶して自分の判断や行動まで覚えている。びっくりしますね。私なんぞ試合がおわったらもうわすれるというかその場の集団戦終わったらもう忘れる。プロ選手じゃなくっても、皆すごくしっかりしていて努力していて、そして挑戦をおそれないで見るたびに若人すごい…。となります。もちろん若さゆえ未熟さなどチャットのコミュニケーションにもあらわれますが、使う言葉は聞いた言葉であるので若人を批判しとる暇があったら己の衿を正して先ず自分から、そしてより大人から正していかないといけないなと肝に銘じる次第です。若者の心配しとる場合かと。

あと人口が海外にどうしても遅れる日本なのでどうしたら人口が増えるかと考える傍ら初心者や未熟者につらくあたるというのはゲームタイトルにかぎらずよくあるというか…あと配信者みてたらプレイしてる人の成長具合や現状判断をせずに自分の言いたいことだけ指示しみたり、大会でも失敗に対してびっくりするほどの野次がとんだり。20代10代の選手に浴びせる言葉かと眉をひそめますがなんかスポーツ観戦してる中でもそんな人いるよねと思うと若人はほんと大人というか社会の鏡ですよ自己反省!!教育についてつくづく考えさせられます。

総括

まとめいたしますと
〇タイトル的に同じゲームでも遊ぶのと競技では体験内容がかけ離れる
〇興行の形態や産業の関わり方などみても従来のスポーツと変わらない
〇観戦の体験や応援の真理としても従来のスポーツと変わらない
〇スポーツの身体性ばかりに重きを置く認識を改めるべきでは
〇海外で発生した語句をわざわざ日本だけかえることに利便性を感じない
以上をもってe-sportsはスポーツだしe-sportsあるいはe-スポーツでいいじゃない派とする理由といたします。
私が体験しているのは1タイトルのみなのですべてのまとめがあてはまるわけではありません。(たとえばチーム競技ではないタイトルの場合一番上はあてはまらないかとおもいます)

またこれはゲームのメインターゲットより少し上の年代の提言として
〇e-sportsをはじめゲームで生計を立てたりすることに否定的になったりゲームをやることを心配するよりゲームを糸口にした拡張目的に期待
〇ゲームをする子どもの様子を鏡とし現在大人が行っている教育姿勢を自省したいね

といったところです。最後に付け加える事。
それは私がオンラインゲームをしていなければこれほど多くの人、地域も年齢も違う人と交友することはなかったということでしょう。ある程度私もあうあわないで人を選びますが、人を通して多くのことを知ります。自分の知見だけで悪口が口から出ればそれは友人のご家族にあてはまることだった、みたいなことになると目もあてられません。あっちの人の事情をまるのみしたらこっちの人が困るということもあるでしょう。極端な意見に流されないことは自衛にもつながるとおもいます。
もちろんそれはゲームじゃなくても得られる糸口かもしれません。でも、私が一番自然体でそれを得たのがゲームだった。それだけのおはなし。

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