見出し画像

ブックレビュー『昭和天皇100の言葉』

大学時代、デパートの催し会場の設営のアルバイトをしていた。毎週変わる催し物に合わせて、ディスプレー台を設置したり、脚立に登って天井から看板を吊るしたり、さまざまな作業を行う。けっこう時給が良くてオイシイ仕事だったので、日々の生活費はなんとかこれで稼いでいた。

設営のために、大工さんが何人か来ることもあった。その中に、一人だけ元軍人のおじいさんがいて、休憩時間に軍隊時代の話を聞くのが好きだった。三十年以上前なのでほとんど忘れてしまったが、一つだけ強く印象に残っているエピソードがある。あるとき部隊でどこかに移動して基地に帰ったあと、一本のネジか何かがなくなっているのがわかったそうだ。すると上官から、「何が何でも探してこい!」と命令され、移動した区間の道路の周辺を、何時間もかけてくまなく探したとのこと。私はその大工さんに、

「そんなんネジ一個なんか見つかるわけないやん」

といったら、

「そう思うやろ。それがな、ほんまに真剣に道路の隅から隅まで探し続けたら、いつかその小っさいネジが見つかるねん。えらいもんやで」

と、当時を懐かしむようにしみじみと話してくれた。

前置きが長くなったが、『昭和天皇100の言葉』に書かれていた次の御言葉を見て、かつて大工さんから聞いたこの話が、私の脳裏にフラッシュバックした。

予算は通過せりとはいえども、皆国民の負担なり。
針一本といえども、無駄にすべからず。

満州事変後に軍事予算が拡大した際、昭和天皇は陸軍相らにこうおっしゃって戒められたとのことだが、軍人さんにとって、軍隊で使っているすべての物資は、「天皇陛下からお預かりしているものだ」という意識が非常に強かったと考えられる。おそらく「国民の税金を無駄にしてはいけない」という教育もされていたのだろう。だからこそ、たとえネジ一個といえども、上官は「絶対に探せ!」と命令したのだ。私個人の想像だが、陛下の思し召しが上意下達で伝わっていくうちに、下に行くほど極端な形でそれを徹底していたのかもしれない。

昭和天皇は旧日本軍の「大元帥」であられた。そのため軍に対する苦言も折々に発せられていたようで、同書には複数掲載されている。

元来軍人の一部には戦争癖がある。
軍備は平和のためにすると口にしながら、
軍備が充実すると、
その力を試してみたくなる悪い癖がある。
これは隣人愛の欠如、
日本武士道の頽廃である。

あくまでも「一部」だと思うが、軍人の中には「武士道」を忘れ、「強大な力を試してみたくなる」衝動にかられる人もいたことがうかがえる。もちろん大半の軍人は武士道を大切にしていたと思いたいが、昭和天皇が「これは戒めなければならない」と感じるような言動や行動が、何人かの軍人に見受けられたのだろう。また何より、昭和天皇が「日本武士道」を大切に思われていたことがわかり、とても感慨深いものがあった。

たとえ連合国が天皇統治を認めてきても
人民が離反したのではどうしようもない。
人民の自由意志によって決めてもらって
少しも差し支えないと思う。

これはポツダム宣言の受託に関して、昭和天皇が皇族会議で発せられた御言葉とのこと。ここには「天皇」という地位に対する執着など微塵も感じられない。それどころか、自分が天皇であるかどうか、皇室がその後も存続するかどうかは、すべて日本国民の意志によって決められるものであって、もしも国民にまったく必要とされないのであれば、天皇など存在するべきではない、という御覚悟すら表れているようだ。
裏を返せば、「君民一体の日本の国柄」を心から大切に思われ、また長い歴史に裏づけられた「君と民との紐帯」を強く信じておられた、ということでもあるのだろう。私はこの言葉を読んで、胸が震えるような感動を覚えた。

この百年間は戦争や平和だけでなく、
いろいろな事件が
あったことを考えると感慨深いが、
この間に国民所得が飛躍的に伸びたことは、
国民がしあわせになったことでよろこばしい。

これは日本が高度成長を続けていた、昭和43年(1968)の記者会見時の御発言である。「百年」というのは、「明治維新から百年」を意味している。昭和天皇は、戦前の日本の貧しさをよくご存じであるだけに、経済成長を遂げ、国民所得が先進国に近づいたことをお喜びになられたのだろう。

ところで、国の経済状態を示す指標として「大卒初任給」の金額がよく用いられる。近年のデータでは、世界一のスイスが「約73万円」となっているそうだ。スイスの数字は2位をも大きく引き離しているようだが、日本はその2位の半分以下であり、スイスの3分の1にも届かない(※令和2年の本記事作成当時)。これがいったい何を意味しているのかを、経済に暗い私もしっかり勉強しなければいけないと考えている。

話がそれたが、昭和天皇の御発言をまとめて読んだのは、これが初めてだった。また本書には、昭和天皇の御言葉だけでなく御真影も豊富に掲載されている。昭和に育った私は、その御姿を懐かしむとともに、御言葉に込められた陛下の深い思いを、ようやく(ほんの少しだけ)味わえるようになったと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?