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ブックレビュー『成熟脳~脳の本番は56歳から始まる~』黒川伊保子著

黒川伊保子さんの『成熟脳~脳の本番は56歳から始まる~』は、私が時々参加している「オンライン読書会」で他の方が紹介され、非常に興味がそそられて購入した一冊だ。私自身、(※本記事作成時の)令和2年中に56歳になるので、「脳の本番が始まる」という魅力的なサブタイトルに、藁をもつかむ気持ちで飛びついたのが正直なところ(笑)。
黒川さんは人工知能(AI)の研究開発に長年携わり、そのとき人間の脳について深く学び、脳生理学に精通されたとのことだ。本書の内容には黒川さん個人の仮説も含まれているが、説得力があり、これからの人生に希望が持てると思った。同書から一部引用し、感想を述べていきたい。

ヒトの脳は、遠く離れた脳とも連携する。
二〇〇四年ごろだったと思う、東大の研究グループが興味深い研究成果を発表した。以心伝心が起こるとき、遠隔地の二つの脳が40Hzの整数倍の周波数で連動していることがわかった、というのだ。
(中略)
しかも、脳の構造から言えば、感性の回路が似ている相手ほど、その思念伝達は起こりやすい。双子や、意気投合できる友、同じことに意識を集中している同カテゴリの研究者同士などの間では、きっと思念連携は起こりやすいはず。

「祈りの科学」という小見出しがつけられた項目の中の一節である。恋人同士がまったく同じ時間にお互いに電話をかけていたとか、一緒にいる人に、頭の中で鳴っている音楽を尋ねたら同じ曲だったとか、その人のことを話していたり、考えていたりしたときにたまたま連絡が入ったとか、誰でも一度くらいそんな経験があるのではないかと思う。「噂をすれば影」ということわざもある。そうした不思議な現象が、実はすでに科学的に証明されていたことを知り、非常に驚いた。
私は朝夕神棚に向かって手を合わせているが、神棚の前では、ふだん思い浮かばないような言葉が、ふいに浮かんでくることが時々ある。そのとき、もしかすると見知らぬ誰かの脳に共鳴している可能性もあるのではないかと思った。

ヒトの脳を装置として見立てていくうちに、面白いことがわかった。
人生最初の二十八年間、脳は、いちじるしい入力装置なのである。
入力装置としてのピークは、たしかに二十八歳まで。ヒトの脳を、「新しいことをすらすら覚えられる」ことをもって頭がいいと言うのなら、ここをもってピークとし、後は老化と呼ぶのもわからないでもない。
(中略)
(しかし、私たちがもって生まれたたった一つの脳は、ただ情報を入力するだけではなく=※中略部分の要約)
その脳にしか見えないもの、その脳にしか出せないことば、それを見つけてこその「この世で唯一の装置」なのではないだろうか。
つまり、出力の質のほうが、人間の脳の真髄と見るべきでは?

年齢を重ねれば、誰でも若い時代のようにすらすらと暗記することが困難になる。それは「入力装置」としての性能の低下ではあるのだが、単なる衰えではなく、その後「出力装置」に進化していくための、通らなければならない脳の変化のプロセスなのだろう。それが人間の脳なのだと考えると、かなり気が楽になり、また現在の役割への覚悟にもつながる。

激動と惑いの三十代を駆け抜けると、脳は、次のゾーンに入る。相次ぐ「攻めの失敗」で、要らない回路を見極めた後は、成功事例の積み重ね期に入るからだ。四十代は、脳が成功事例を積み重ねていくときで、脳の持ち主には、「おれも一人前になった」という感覚が訪れる。
しかし、この少し前から、少しずつ始まる「あれ」がある。真面目な日本人を不安に陥れる、あれ。もの忘れだ。
要らないところに信号が行かなくなるのだから、当然、もの忘れは起こる。
(中略)
けれど、もの忘れは想定内の進化なので、どうか安心してほしい。
本質を瞬時に見抜く脳になるために、すなわち、究極の直観力に到達するために、脳は、「今、生きるのに、直接必要ない」とおぼしき回路の優先順位を下げていく。

私は31歳のとき、フリーランスライターとして独立したが、最初の数年間は食うや食わずで、何度も失敗をして痛い目に遭い、胃潰瘍まで患った。しかし失敗はすべて自分の改善ポイントとして強く脳に刻まれ、確かに同じ失敗はまず繰り返さないようになったと思う。
そして、自分の中では特に変わった実感はなかったのだが、40代に入ると、それまで受注したことがなかったハイレベルな仕事を依頼されるようになった。あのときは本当に不思議な気持ちだったが、それまでの経験を活かしながら、さらに一つひとつチャレンジを積み重ね、ライターとして成長できたように思う。
そして50代に入ったときに、自著『ホンカク読本』を上梓し、ある意味「次のステージ」に進んだといえるのだろう。これは30代から40代にかけての「経験と学び」がなければ、上がることはできなかった場所だと確信する。もちろんさほど高いステージではないが、それでもほんの少しは進化しているはずだ。
本を読むときの味わい方も、「自分の無知をより強く自覚できるようになった」という意味で、いくらか深まったのではないかと思う。これまでの歩みを改めて振り返ってみると、同書に書かれた脳の進化説と、私自身の「脳の成長プロセス」が、かなりぴったり符合しているように感じられる。

五十代の知る本質は、文脈依存の本質。因果関係の真理を言い当てる。どうすればいいか、何が正しいかに迷いがなくなる。
六十代に入ると、本質の回路の抽象度が上がり、直感の域に入ってくる。存在の真理が腹に落ちる。ことばにならない納得が、降りてくるのである。
(中略)
若い世代は、六十代以上の人生の師を持つべきである。これほどの、人生羅針盤はない。特に、惑える三十代、もがく四十代は、成熟脳世代の友人を持つといい。まるでモーゼのように、混沌の海を割って、道を作ってくれるに違いない。

たいへんおこがましい言い方だが、現在の私は、自分が経験して得たものを「人に伝える段階」にいると考えている。細々と行っている「文章講座」が、私の「出力装置」としての新しい仕事の一つだ。
もちろん私自身の大事なテーマである「日本の古典」の勉強も進めながら、そして食い扶持も確保しながら、なんとか踏ん張っていきたいと思う。
黒川さんがおっしゃるには、脳の成長の周期として、「56歳」から、出力装置として活躍する充実した期間が続くとのことだ。もちろん私の努力次第であるが、ちょっとした「もの忘れ」にいちいち落ち込んだりせず(笑)、この年齢だからこそできることに取り組んでいきたいと願っている。
また、現在二十代、三十代、四十代の方も、将来五十代六十代になるときのために、本書を読んで「脳の成熟のプロセスを予習」しておけば、日々の悩みがいくらか軽減できるのではないだろうか。

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