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『論語』断想~天命を知る~

(※平成28年12月のブログ記事の再録です)

『論語』巻第一
爲政(いせい)第二

子の曰(のたま)わく、
吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(した)がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩(のり)を踰(こ)えず。

先生がいわれた、
「わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
五十になって天命をわきまえ、
六十になって人のことばがすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって
それで道をはずれないようになった。」

『論語』金谷治訳注(岩波文庫)より

……◇……◇……◇……◇……◇……◇……◇……◇……

まず、私自身のこれまでの歩みに重ねてみたいと思います。

「出版関係の仕事がしたい」と意識するようになったのは、
確か十七歳か十八歳くらいだったと記憶しています。
三十一歳のとき、編集プロダクションを退職して独立し、
フリーのライターとなりました。
四十歳くらいになって、迷わないというよりは、
なんとなく「人生を開き直った」気分になりました。
五十歳を過ぎたくらいから、
残りの人生の目標が見えてきて、
五十二歳の今、自分の天命を意識しつつあります。
このように書くと、
孔子の歩みと(少しだけ)共通点があるようですが(笑)、
実際の姿は、自分の理想とは程遠い状態だと痛感しています。
その焦りに突き動かされて頑張ったり、
易きに流れて時間を無駄にしたり、
そのせいで自分を責めたり励ましたりしながら生きているわけです。
これから先、孔子の百万分の一でも努力できれば、
何か世の中の役に立てると信じて頑張っていきます。

この言葉は、『論語』では序盤に出てきますが、
下村湖人先生の『論語物語』では、
クライマックスとなる最終話でその様子が克明に描かれています。
七十歳を過ぎた孔子が、弟子たちを引き連れて「泰山」という山に登り、
自分の人生をしみじみと振り返って語る場面は、
読み手に深い感動を与えてくれます。

『論語』を一通り読んだあとで、
下村先生の『論語物語』を読むと、
まるで孔子や弟子たちが自分の目の前で会話を交わしているような、
その声が耳に聞こえてくるようなリアリティーを感じます。
同時に、『論語』の言葉がいっそう深く理解できるような気もします。
二冊を合わせて読まれることをお勧めします。


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