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昔話 ライター修行 その67

幻の編集長賞


[注釈]これは本シリーズの

に書いた「コーシツ記者」編でのエピソードです。





コーシツ記者として悪戦苦闘していた当時のことである。

ある日、私は友人とそのころ熱中していたビリヤードをしに近所のあるボーリング場にでかけた。

そのころは、1986年に公開されたトム・クルーズ出演の「ハスラー2」という映画の大ヒットが火付け役になって、街のいたるところに "プールバー" なるおしゃれなビリヤード場ができていた。人気の店では2時間、3時間待ちがあったりまえというフィーバー(死語)ぶりだったけれど、駅からちょっと離れた場所にあるこのボーリング場のビリヤード室は、ぼろっちい上に若者に人気の "ポケット台" はほんの少ししかなく、ほとんどが4つ球用の台だったので、いつも空いている穴場だったのだ。

友だちといっしょに、いつものラシャがちょっとめくれた4つ玉台でビリヤードをしていたとき、何の気なしに壁を見ると、そこにはものすごいものが飾ってあった。
「ん?」
 目が悪い私は自分の見たものが信じられず、つつつ~と壁際に歩いていった。
「!!!!!!」
 やっぱりそうだ。なんと壁に飾ってある額の中には、当時の某皇族(あえてボカす)が青年時代、ビリヤードのキューを構えて、今まさに球を打とうとしている写真(もちろん白黒写真ね)が、大伸ばしになって入っていたのである。

 全身の血が、足元から頭のてっぺんに逆流して行くのを感じた。
『ス、スクープだ! 今まで、○○様がビリヤードをしたなんていうエピソード、聞いたことがない(そのころはすっかり皇室通になっていた森下)。ビリヤードブームに引っかけて、この写真で記事が作れる! 編集長賞も夢じゃないかも……』

私が憧れていた「編集長賞」とは、私がコーシツ記者をしていた「戦う女性誌」の名物だった。大物女優と恋人の密会現場だの、某俳優の知られざる私生活だの、とにかくスクープといわれる他誌では今まで掲載されていない話題性の高いネタ(しかも、その見出しを電車の中づり広告にドーンと載せれば、雑誌が即完売しちゃうような)を作ったチーム(フリーのライター&カメラマンとか)に、編集長のポケットマネーから「10万円」だの「20万円」(金額はもらったことないので謎のまま…)という特別ボーナスが支給されるというもの。

結婚式で使うようなど派手な分厚い熨斗袋に入った「編集長賞」は、絶好調で月に2~3度は行われていた「完売パーティ」(編集部に編集者だけでなく、フリーもみんな集まって、すごいごちそうとお酒で盛り上がる会)の席で編集長がスクープを飛ばしたチームに授与する。

その様子を何度も見てきている私は、いつか自分ももらってみたいもんだと密かに憧れていたのだ。

だからこそ、ここは慎重に運ばなくてはならない。できるだけ何食わぬ顔をして(とはいっても、当時はハタチそこそこの小娘。スクープネタに舞い上がって、顔は真っ赤になっていたと思う)、店の支配人に
「この人って、○○様~?」
 と、無邪気に聞いてみた。

「そうそう。ずっと前からあるんだよね、この写真」
 小娘相手なので、支配人も気軽に答える。よぉ~し、本物だっ! このあと写真を買い取る交渉に入るのだが、それは編集者か先輩の仕事。さすがにアシスタントの分際では、具体的な金額を提示する権限がない。
「そ、そっか~」
 心の中でガッツポーズをしながら、友だちの待つ台に戻ったのだった。

さて翌日。大喜びで金子さんに事情を話すと、すぐに周辺取材を始めてくれた。皇族方の社交場であるK会館というところに電話をかけ、皇太子様がビリヤードをしたことがあるかどうかを電話で確認。

スムーズに確認できると思っていたのに、電話をかけている金子さんの顔が曇った。
「だめ。ビリヤードをなさるかどうかは、宮内庁に聞いてくれって」

イヤな予感が私と金子さんに同時に襲ってきた。宮内庁の報道担当の部署には、これまで何度も問い合わせをしたことがあったが、いわゆる「菊のカーテン」というやつで、めちゃめちゃガードが堅い。

案の定、問い合わせをしてみると
「そういう事実はございません」
 という、木で鼻をくくったような答えが返ってきた。諦めきれない私が
「でもでも、私はこの目でちゃんと見たんです、写真を! そこの支配人にも確認しました!」
「どこのビリヤード場ですか?」
「○○△□の××ボールです!」
「……。私共が、そういった事実はないといえば、ないんです」
 電話は切れた。それと同時に私の『編集長賞』も幻になった。

問い合わせの日の夜、例のビリヤード場に行ってみたが、すでに写真が入ったあの額は取り外されていて、日焼けした壁には額のあった証拠に白い四角い跡だけが残っていた。

そうなのだ。皇室ネタだけは、強行突破はありえない。宮内庁が事実を認めてくれなければ、事実は事実でなくなってしまう。今、考えてみると、ビリヤードは博打のイメージのある遊びなので、宮内庁側が認めたくなかったのだろうな、となんとなくわかるのだが、若い私はひたすら悔しかった。とても。

「私共が、そういった事実はないといえば、ないんです」
 という言葉だけが、何度も頭の中で響いた。自分が目で見たものが、誰かのひと言で「なかった」ことになるという体験は、初めてのことだった。編集長賞が幻になったことも悔しかったが、その言葉が悔しくて悔しくて、額の跡が涙でにじんだ。

そのころからだろうか。イケイケな編集部の雰囲気にも飲まれて夢中になっていた皇室の取材、もっといえばスキャンダルだとかスクープに「いったい、どんな価値があるんだろう」と思うようになっていた。

先輩の金子さんと母娘のふりをして、学習院大学の構内を偵察したり、皇族が出演する演奏会の楽屋にコネを使ってもぐりこんだりもした。皇族の夏休みにくっついていって、テニスコートの金網のそばでひがなその様子をながめて日射病にもなった。新聞社にじゃけんにされながら遠くから宮内庁の発表を聞いた(記者クラブに入っていない雑協の私たちは、新聞社の人たちに頼んで情報提供をしてもらったり、一歩引いたところでしか取材ができなかった)。

カメラマンとふたりで1日中車で張り込みをして、私と同世代のお后候補(それもお后になるのはたったひとり。おまけに、結果的には当時の候補者は全員ハズレだった)の顔写真を盗み撮りもした。でもそれに、一体どんな意味があるんだろう……。

最初は「ライター」の仕事ができるのがおもしろかったし、売れ行きのいい雑誌編集部の雰囲気に浸るのにも興奮した。でも、でも、なんか違う。誰かになにかを伝えたい。それがたとえ誰の役に立たなくてもいい。笑ってくれればいい。だけど、私が今してることは、私がしたいことじゃない。そんな気持ちがどんどんふくらんでいった。

[注釈]この経験の後、コーシツ記者に疲れを感じ、

となったのでした。

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