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君には君の優先順位があるか

「はい、大丈夫です。」
二つ返事のシフト変更の承諾が私と大切な人を引き裂いたのだ。

人生は選択の連続だ。
1日に約9000回の選択を繰り返しているそうだ。
果たしてその内の何回を自分の優先順位に照らし合わせて選択できているだろうか。

これは、優先順位を意識しなかったがために、自分が「素敵と信じてやまない大切な人」と会えずじまいになってしまった時の話だ。

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時は2015年秋。
ずっと忙しかった卒業制作と大学院入試が終わり、
私はひと段落したこのタイミングで2年近く会っていなかった、
ばぁちゃんに会いに行こうと思ったんだ。
そう、「素敵と信じてやまない大切な人」それは,、ばぁちゃんである。

日程が決まった、三連休の土曜日だった。
当時、私は結婚式場でバイトをしていた。
そして人が集まりやすい三連休は結婚式が多く開催される。
もれなく”その三連休"も大忙しだった。

3日のうち1日でいいからバイトに出てくれと言われていた。
私は三連休、最終日月曜日に出ることになっていた。

それは三連休前の木曜日だったと思う。
どうしても土曜日のバイトの人が足りないと理由で、
土曜日に変えてくれないかと頼まれた。それに対する返答が冒頭の言葉だ。

ばぁちゃんに行く日を日曜日に変えてもいいか聞くと、

「いつでもいいから、待ってるよ」
ばぁちゃんは、常に私を優先してくれた。

土曜日、バイトが終わった。
今思えばそこから、ばぁちゃんちに向かうこともできた。
しかし、くたくただった私は家に帰ったのだ。
思い返えせばこれも選択である。

次の日の朝、私の携帯には母親、父親、弟からの着信が何十件と入っていた。
恐る恐る一足早く土曜日にばぁちゃんちに行っていた弟からのLINEを開く、そこには見たくもない内容が広がっていた。

「ばぁちゃんが朝起きてこなくて見に行ったら心臓動いてないんだけど。」「今から救急車が来るけど、もうダメかもしれない」「ねぇ何してるの?」 |「ばぁちゃん、亡くなったよ」

私は悔やんだ。
考えてみればわかったはずだ、バイトなんていつでもできると。ばぁちゃんに比べたら自分のこれからの人生の方が確率的に長いと。

さらに邪な考えをするならば、バイトをして得る収入よりも多くの収入をばぁちゃんからもらえたかもしれないと。

でも、私は答えてしまったんだ。
「はい、大丈夫です」と。

こんなことばかり繰り返し考えながら、私はもういないばぁちゃんちへと向かった。
そこから葬式まではあまり覚えていない。押し寄せる悲しみが重すぎたのだ。

そして迎えた葬式の日。
喪主である叔父さんは挨拶でこう語った。

「話を聞いても孫のばかり、孫のことしか頭にない人だった。そして誰よりも他人に迷惑をかけたくないと思ってる人だった。最後、前の晩までみんなをもてなし、入院することなく、すっと旅立つ。母さんらしい。そんな生き方を誇りに思う」

そうだ、本当にそうだ。
これほどまで心に響いた言葉は他にはない。

ばぁちゃんは、
①誰よりも何よりも孫のことを可愛がる
②身の回りの人に迷惑をかけない
この2つが最上位優先事項の人であった。

その日以来、私は誓った。
人生、大切に思うことに費やそう。
優先順位に照らし合わせて生きようと。

「なぁ、ばぁちゃん、私は信じる優先順位に生きているだろうか。」

きっと、そんなことすらどっちでもいいかのように私をその偉大な愛で包みこんでくれるだろう。

そして、このエピソードにはもっともっと書けないぐらいのボリュームがある。
私は絶対に忘れはしないし、心に鮮明に残っている。
だって「忘れない限り心で生きているから」

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優先順位は社会によっても、会社によっても、上司によっても、友達によっても、さらには家族によっても規定されるものではない。

自分にとっての優先順位が明確な人間。
そういう人間こそがかっこいい、素敵な人生を歩める、いや歩んでいると私は信じている。

私は今日も自分に問いかける、
「君にとっての優先順位はなんだ?」
自分が大切だと思うことを大切にできるように。

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