私の母親のお話

私の母親は毎日毎晩酒を飲んで、
毎日毎晩泥酔している。
飲んで寝て起きてトイレをしての繰り返し。

いつからだろうと思い出すと
私が物心ついた時からだった。

保育所、小学校、中学校の頃の朝ごはんは
毎日卵かけご飯だけ。
私はこれが普通だと思っていた。

だって、幼い頃から母親に出された朝ごはんは
毎日卵かけご飯だったから。
なんの違和感もなく美味しいと思って食べていました。

歳を重ねるにつれて、ああこれは一般的じゃないんだなと
思うようになって、高校生になってから、
朝は自分でおかずを軽く用意するようになった。

私が保育園の頃の話

私の母親は、昔も今も休みの日はパチンコに行っている。
それでストレスが解消されるなら別にいいけど、
金がないと再三自分でも言っているのに
酒とパチンコにたくさん金を使う。

そんな私の保育所時代の思い出は、
朝の八時くらいだろうか?
母親の車に乗せられてどこかに行く道中、
母親が行くパチンコに寄って、

母親「ちゃんと下に隠れてるんだよ?」

駐車場の影の方に車を停めて、そう言われる。
幼い頃の私は素直に頷いて後部座席の足元に
体育座りをして母親を待った。

幼い頃の母親との思い出はこれ。
鮮明に覚えているのはこれ。

私の小学校の頃のお話


私の両親は共働き。
土日は父親しかおらず、母親と過ごす時間は
仕事から帰ってきた夜だけ。

思い返してみれば、
小学生の頃の母親との思い出がない。
話はこれで終わり 笑

私の中学校の頃のお話

私はソフトボール部に所属していました。
親ぐるみで部活動をやっていたのですが、
相変わらず働いていた母親は休みも取れずなのか
取らなかったのか、
試合に来てくれたのは中学3年生の最後の中総体
だけだった。

私だけ母親が来なくて、
4人しか同級生がいなかった部活動で
1人で行動することが多かった。

辛かった。
なんで私だけ?と、毎回思った。

寂しかった中学時代です。

私の高校生の頃のお話

今現在私は20歳なのですが、
高卒で就職して、上手くいかず
1年経たずにその仕事をやめました。
今はご縁があって、別の場所で働いている。

本来であれば専門学校に通いたかった。

高1の時に進路の相談を母親にしたら、
「お母さんがやれなかった分好きな事を頑張って欲しい」
そう言って貰えて頑張ろうとなりました。

高2の時、本格的に決定する時期に差し掛かり、
私がまた専門学校の話をしたら
「お金かかるし、うちには借金もあるんだよ?」
急に手のひらを返され、
驚きを隠せませんでした。

また改めて、こうなりたい、ここに行きたいんだと
気持ちを打ち明けたところ、

「アンタには無理だよ。誰かのコネがないと
   そんな見た目じゃ無理。」

全て否定されました。

そこから全てが怖くなった。
否定されること、
怒られること、
何かを誰かに話すことが怖くなりました。

今考えたら幼い頃から褒められた記憶が
私にはありませんでした。

怖くなった私は自分に負けて、
けっきょく敷かれたレールを走るような
事になり、紆余曲折あって今に至ります。

まとめ?


所謂普通に暮らしていて、仕事をしていて、
私は私が可笑しいんじゃないかと思う時が
沢山ある。

訳もなく急に泣き出したり、

怒られてもない、むしろアドバイスを受けているのに
泣きそうになったり、

ちょっと話を否定されただけで
全てを否定されたように思えて泣きそうになったり、

人が怒られているのを耳にすると
自分の事のように気になったり、

集中できなかったり。

気の迷いだとか、気にし過ぎだよとか、
言われることも分かるけど、
私にとってはすごく大きなこと。

生きていても無駄で、社会不適合者で、
母親の負担になるなら癇に障るなら
消えてしまった方がいいんじゃないかと、
いつも思ってしまう。

どこにいたってストレス。
一人暮らしをするにもお金が間に合わない。

母親といると気が狂いそうになる。
どこに居たってストレス。

どうやって自分と向き合って生きていけばいいのか
私には全く分からない。

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