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自分をあらわす

自己表現欲求についてパートナーとお話しした。


わたしのnoteなんかはまさに自己表現欲求をあらわしたものだ。

だれかが見てくれなくてもいい、(みてくれてたら嬉しい)ただ自分の想いを外に吐き出したい。

そんな感情。


思えば、いつの日も自己表現をしていた。
というかみんなそうだと思う。手段はいろいろあるからね。


3歳〜15歳まで続けたバレエ(最近再開!)では、暇な時さえあれば自分でふりつけを考えて踊っていた。


中学生の頃は美術部に所属して、暑い夏の日も、雨の日も美術室にこもって油絵を描きまくっていた記憶がある。


高校生になっても踊ることは続けていた。バレエから阿波踊りに形は変えたが、本質的にはあまり変わらなかった気がしていた。

辛い時も嬉しい時も踊っていて、その時の感情によって纏う雰囲気が違うなというのは友達の踊る姿を見ていても感じていたことだ。


大学生になって、絵とも踊りとも一旦別れを告げた私は「ことば」の持つ魅力に惹かれた。


詩との出会いがあった。


それまで文章といえば「序論」「本論」「結論」から構成されるものだった。
いわゆる小論文用の文章。


受験勉強ガチ勢だったので割とそんな文章を書くことは苦手ではなかった。
だが、特段好きというわけでもなかった。


もともと手紙を書くのは好きで、なんだかそんなあったかい文章を書きたくていろいろ探していたら詩というものにぶちあたった。


これまでは、踊りや絵など非言語のものに挑戦していたが、やはりわたしの気持ちは言葉にしないと伝わらないことにもどかしさを感じていたのかもしれない。

ことばの魔力に気づいた瞬間


そして、大学では詩の授業が開講されていた。これはとるしかない!


毎週詩を書いていた。

ざわざわしてるこのまちの

少年のめせんにたってみたら

空にはたるんだ五線譜があった

ラの鳥が気持ちよさそうにおよいでゆく

あなたは道に迷わないそうで

どこまでいっても体にコンパスがあるようで

そうね、わたしのNと重ねてみたい

はじめての詩


綺麗な言葉を書こうとかそういうことじゃなくて(そういうときもあるけど。)ただわたしのうちからでてくるものを綴っていく。


わたしがやりたかったのってこういうことだ!


言葉はわかりやすい。だから扱いにも注意だ。

でも、自分が自分のためだけに書くときはそういう一切の制限から解放される。
それが、詩というものだったり、エッセイだったりする。


なにか評価を得たくて書くものではない。ただ自分を、己を表現したいだけなのだ。
そして、ありがたいことにこうして記していると読んでくれる人もいる。感謝だ。


この一年くらいは自分のなかで文字のブームが来ている。


あなたは、どんなことで自分を表現していますか?
自分が生きた証しを残すのは我々のロマンでもありますよね。

それでは!


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