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キャンプというエシカルライフ -3-

僕たちは何かに染まって生きる

もし周りは関係なく能力で自分の行動が決まるなら、
なぜ日本語を、関西弁を、沖縄弁を話すのか。
なぜ家では靴を脱ぎ、エスカレーターでは決まった
側に寄って、ハイタッチには恥じらいを覚えるのか。

能力や才能というより、どこで生活し、どこで誰と
いるかで自分というものは構成される、ってわけです。

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筋トレならジムという場所があり、同じように自分に
ストレス(負荷)をかけて目指す仲間が周りにいることで、
サボれなくなりますよね。笑

そういう意味では、
キャンプの適度な不便さは、言わば

”エシカルジム”

と言っても過言ではないのでは
と、思ったわけです。

まずは、月に何回エシカルジムに通えるか。

その頻度を上げていくのが、エシカルライフの始め方、
きっと気づいたら、短期的な持続不可能なものに負けずに
エシカル消費が当たり前の自分が作り上げられているはず。

そうだ、キャンプに行こう。笑

というわけでここからは、いかに不便、、

ではなく、
キャンプをしているとどんなアトラクションが体験
できるのか。

きっとこれから、キャンプという習慣が、
エシカル社会の常識になる日が来るはず。

つづく。

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