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モーリーの闘病日記(5)絶望編



2004年1月20日 流動食一日目

36.4℃、36.7℃、37.4℃と朝はよくても午後になると熱が出てしまう。ロピオンの点滴を希望したら、食事が始まったからとのことで、経口剤のロキソニンを出してもらう。効き目はややマイルドだ。鉄剤も経口の錠剤に変更されそうになったので、お願いして点滴のまま続行してもらう。鉄剤って便が真っ黒になって腹が痛くなるんだよね。種類にもよるのかもしれないが安全をみてパスしておく。
それから切開した箇所の抜糸。抜糸といっても糸ではなくホッチキスの針みたいなものでとまっているのだ。それを抜いていく。ちと痛い程度でたいしたことない。もう立派なかさぶたになっていてかゆくてたまらない。
昨日の検査結果ではCRPが3.1、ヘモグロビンが8と少しずつ良くなっているようだ。

今日から流動食の開始。あれほど腹が減っていた時もあったのだが、なんか食欲がない。今はそれよりも湯船にざぶんを浸かりたい気分。早く温泉にでも行きたい。
そんなに腹が減っていないせいか、流動(重湯)など半分程度残してしまう。しかし流動食とはいえ、腹に入ってくるとそれなりに負担になるようで痛みを感じる時がある。それにガスも発生しやすくなるようで、今日はトイレの回数が一気に増える。腹の中でガスや腸液が動くたびに、穴があいたあたりがぎゅるぎゅるぎゅると音をたてる。また漏れたんかとびくびくしてしまう。勝負は5分粥のはずなのだが、前哨戦で早くも弱気。

2月の講演の仕事で共演者が見舞いにきてくれる。簡単に打ち合わせ。また穴があいたなんてことになったら、その仕事もキャンセルだわな。

朝 流動、だしスープ、オレンジジュース
昼 流動、くず湯、野菜スープ、オレンジジュース
夕 流動、ポテト柔らか煮、だしスープ

2004年1月22日 二度あることは三度ある

なんとなく昨日から変な感じがあったのである。やっぱりである。また穴があいたようである。なんでくっつかないのだろう。
腸にガスがたまって圧力を感じた瞬間である。ブブブブブッ、と腸から漏れる感じ。次の瞬間、ドレンから液体がタラーと流れ出て、ガーゼを通り越して腹帯にまで達する。まだ5分粥どころでなく流動食の段階なのに。やっぱりストマをつけるべきだったのかと悔やまれる。
夜、主治医が登場。さすがに真剣な顔。笑みはない。まだ流動食の段階なので、はっきりとしたウンチ色の漏れではない。とりあえず絶飲食にして様子をみることに。
再々手術になるのかどうか知らないが全く困ったもんである。しかしショックといえばショックだが最初に漏れた時よりもショックではない。慣れというか、こうなりゃなんでも来やがれ、ってな感じである。

2004年1月23日 睡眠薬

昨日はさすがに眠れないかと思って睡眠薬をだしてもらう。「リスミー」というものなのだがこれが後をひく。今日も一日中眠くてしょうがない。朝、回診があったと思うのだがよく覚えていない。お見舞いにきてくれた人もいたのだがよく覚えていない。ちなみに見舞いに「週刊実話」をいただく。よく覚えていないということは一日があっという間に過ぎてしまったということで、ヒマしている私にとってはありがたい。なんか消極的だけど。
夜主治医が登場したときに、今後どうするのかを質問する。結局は絶飲食で2週間様子をみようとのこと。う〜ん、またですかい。ストマつけてもいいからとっとと手術しましょうよとお願いするが、手術は癒着もあるし簡単にはできないんだよと言われてしまう。
なんか宙ぶらりんな日々がまた続くかと思うとどうにもやるせないねー。

2004年1月24日 個室に入る

「リスミー」は後をひくので「ハルシオン」という睡眠薬にかえてもらう。朝の目覚めはまだマシだが、それでも午前中はぼーっとしてしまう。
そういえば一昨日から病室が変更になった。女部屋が足りないとのことで、我々がいた男部屋が女部屋に変更になってしまった。で、追い出された私はなんと個室へ。プライベートがばっちりでさぞ快適かと思いきや、それがいがいとそうでもない。まず人の出入りといった変化がないので、思いっきり閉ざされた空間といった感じで閉塞感がある。一日中こもっていたら息が詰まりそうですな。良かったことといえば専用のトイレがあるくらい。あとは携帯電話も使っちゃったりして(本当はいけない)。
ドレンが入っているあたりがじりじりと痛む。それ以外特になし。今後の治療方針がはっきりしないだけにイライラしてしまう。

2004年1月25日 寝てばかり

睡眠薬を服用しているせいかそれとも個室に入ったせいか寝てばかりいる。なーんにもやることがないので眠くなってしまうのもしょうがないのだが、それにしてもよく寝られるもんだと感心してしまう。あんまり部屋に閉じこもっていても精神衛生上よくない。てなわけでがんばって歩く。10周を2回。ちょっとした運動だ。ギターでも持ってきて弾いてようかと考えたが、大部屋が空き次第、移されちゃうだろうしな。そしたらギターなんか弾いてらんない。仕事とか他にもいろいろとやることはあるのだが、どうにもやる気せず。
体調は特に変化なし。ドレンの入っているところの痛みは相変わらず。熱は36.8〜37.0℃。

2004年1月26日 絶不調

入院時の必需品、頼みの綱であるパソコンが絶不調である。数週間前からおかしくなり始めていたのだが、いよいよヤバい感じ。フリーズしまくり、立ち上がらないこともたびたび。この日記を書くのも実は何回も途中で止まりながら大変な苦労をしている。まだ入院前に購入したばかり。早く修理に出したいのだが退院しないことにはどうにもならない。困った困った。
午後には障難協の人たちが見舞いにきてくれる。おばちゃんパワーで少々強引なまでに笑わせてくれる。おかげ少し元気に。
今日も頑張って20周。熱は夜になると37.2℃。ちと気持ち悪い。

2004年1月27日 やっぱり風呂は気持ちいい

採血の結果、CRPが0.7、ヘモグロビンが10.0と血液をみるかぎりでは順調な経過。
朝の回診時、主治医が今後どうしようかと悩んでいる。腸の状態を確かめるのにはもう一回食事を始めるか注腸の検査をしてみるしかない。で、とりあえず水曜日に注腸の検査をすることになる。でもどうせその検査じゃはっきりしたこと分からないんじゃないかな、と思う。
飲水はOKになっているので少しは飲もうと水を飲む。しばらくするとなんかまた腸から漏れた感じ。ブブブブッ。なんだかなー。もうくじけちゃうよ。
それでも午後から久しぶりにシャワーを浴びる。腹にドレンのチューブが刺さったままなので、その箇所はべたべたと防水のテープ止めをしてもらう。点滴したまま入浴。さすがに湯船には入れなかったが、熱いシャワーを浴びるだけでもめちゃめちゃ気持ちがいい。軽くタオルで身体をこするだけで垢がぼろぼろ出てくる。ばっちいーの。
夕方、三雲社のクッシーと森田さんが見舞いにきてくれる。

2004年1月28日 また部屋が移動する

もしかしてくっついたんじゃないか、という淡い期待はやっぱり裏切られる。ちょいとトイレを我慢していたら今後はガスが漏れるのがはっきりわかる。あーあ。明日の検査なんて意味ないよ。もうストマつけるでいいから早く手術して退院してー。
明日が手術だという患者と部屋を入れ替える。また大部屋だ。幸い窓際だが前とは反対の位置。日の出は寝たまま見られないが、またちょっと景色が変わって気分転換。

2004年1月29日 やっぱりね

今までで一番苦しい検査だったかもしれない。痛くはなかったけどね。排泄を我慢するのがこんなに苦しいとは。がんばってがんばって限界になって、最後はちびってしまう。そんな注腸検査。もう二度と経験したくない。
で、そんなにがんばった検査だったのに結局「穴」は確認できず。だから最初から分からないんじゃないのかと思ったんだよ。
病室に戻ってきてあまりにもぐったりしていたら看護婦さんに心配される。痛くないですかというので、ドレンが入っているところが痛いというと、痛み止めの点滴をしましょうかといわれる。普段ならそんな点滴を使うほどではないのだが甘えて使ってしまう。久々の「ロピオン」。ただの解熱鎮痛剤なのだがなぜか元気になっちゃう。精神的なものか?

さてさて今後いったいどうするのか。先生と相談した結果、とりあえず食ってみようと。で、明日の昼からいきなり5分粥。一か八かですな。

2004年1月30日 肩すかし

昼から五分粥。どうせ漏れるのを確認するために食べるようなものだから、何食ったっていいだろう。売店でパンも買って、外に出て食べようかな。う〜ん、なんか幸せな感じ。あんぱんはあるだろか、さすがにカツサンドはやめた方がいいよな、おおにぎりをほおばるってのも幸せを感じそうだ。
なんて昨晩から考えていたのだが、朝の回診時、お腹のガーゼ交換であきらかに漏れと分かるうんこのようなカスが・・・。
はい、夢膨らむお昼計画は即中止となりました。ちと悲しすぎ。
もうあとは手術するだけ。明日でもいいからと先生にお願いする。
もう、一日くさって寝ていようかと思ったががんばる。午前中には先に退院したSさんがリンゴジュースを持って見舞いにきてくれ(どうせ飲めないが)、昼にはシャワーを浴びる。午後からは病院の敷地内にある散歩コースへ。駐車場の裏手あたりがちょっとした公園のようになっていて、外出気分を味わえるのだ。知ってはいたのだが寒いし面倒だしと敬遠していた。が、入院仲間から勧められて行ってみる。
2ヶ月半ぶりの外。確かにかなりの気分転換になる。この日の横浜、風はおだやかで日はさしていたのだが、やはり寒い。パジャマの上からジャンパーを着て靴下を履いただけでは厳しい。
ベンチに座ってぼーっとしていると、散歩中のおばあさんに声をかけられる。例によってどこが悪いのという話になって、腸が悪いというとそれはヘビにたたられているんだという。昔、ヘビを殺したことがあるだろうといわれ、そんなことはないというと、先祖が殺したのかもしれないから氏神様でも神社でもお祈りに行った方がいいといわれてしまう。
ヘビ→ぐにゃぐにゃしている→腸、なんだそうだがなんか短絡過ぎないか? 昔からそんな言い伝えがあるのだろうか。とりあえず神社には行けないので心の中で治ってくださいとお祈りする。


2004年1月31日 来週に手術だ

しつこくお願いしたからか、ここまで長引いているからか、来週に手術の予定を入れてくれるという。ありがたや。聞くところによると2月はもう予定がいっぱいで、通常の手術が終わってからの手術になりそうだという。つまり結構遅い時間になるようだ。イレギュラーなので来週のいつになるのかはまだわからず。とりあえず月曜日に家族説明。
夜、主治医がそろって登場。もうストマ造設決定、というか穴があいている部分はいじらずにストマ造設のみをするそうだ。そんなちゃんと縫合しなおしましょうといってみたが、今この状態では下手にいじらないほうがいいし、注腸の検査で分からないくらいの穴だったら、ストマにすれば自然に塞がるという。
なんか気分的にはちゃんと縫い直してもらった方がいいような気がするのだが、確かに手術が連続しているし、なんにも食べてないし。
縫い直すにしてもストマの間にちゃんと食事をとって、間隔をあけてからのほうがいいという。
言われてみればそんな気もするが、うーん、そんなものか。とりあえず月曜日にもう一回説明してもらおう。

2004年1月31日 入院仲間

もう一月も終わりである。友人からは退院したら新年会をやろうなんて言われていたが、何月になってもアリだろうか。まったくいくらなんでも来月中には退院できるんだろうな。先月も同じこと言っていたぞ。
しかしこれだけ入院が長くなるといろいろと知り合いも増えてくる。ここの病棟にはIBDがごろごろしているし。こちらから声をかけなくても、友達の輪みたいに広がっていく。
今日退院していったYさんは、もともと地元が一緒で顔見知りだったのだが、今回は偶然にも入院が自分と重なった。私よりも経験豊富で・・・、ということはそれだけ大変な目にあってきているということなのだが、まったく落ち込む様子を見せることなくあれこれと明るく話してくれる。たかだかストマくらいで落ち込んでいる自分が情けなくなるくらい。話を聞いてストマにもいろいろとメリットがあり、少しは受け入れられるようになった。たぶん。
しかし一度の入院で3回もオペするなんて聞いたことないよといわれ、やっぱりそれなりに自分は大変な目に遭っているんだなと思う。そうだよねー。だって月いちペースで手術だもん。そんなヤツそうそういないでしょ。


2004年2月1日 パソコン

友人にwindowsのノートPCを持ってきてもらう。障難協で使っていた富士通のFMV。Win meなのだが、フリーズしまくりのMacより十分マシ。ゲームもたくさんできるし暇つぶしには事欠かなそうだ。
ついでに某TV番組を録画したものを持ってきてもらう。パソコンでテレビが見れちゃうんだから全く進歩したもんだ。で、ちょー笑っちゃう番組なのだが、前手術の時、術後、間もないときに見てしまったときには、腹の痛みと笑いとで悶絶。術後すぐには笑いは禁物です。
また自分で映像をつくってみたい欲望がうずうずしてくる。やっぱり笑えるのがいいねー。そのうちネットTV形式でアップしてやろう。

ふと手術のことを考えると、痛いことを思い出す。そんなんだよ、痛いんだよ。手術の後は。いやだなー。また地獄の二日間になるのか。
とっととストマ付けて退院したいのだが、その手術の痛みを考えるとまた憂鬱になる。

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