③或る共同体の行末、自分でコミューンをつくるなら?
2016年2月4日
ではどうしたら共同体は持続するのでしょうか。
現代に新たな土地でエコビレッジなりスピチュアルな共同体なりを作る場合において留意すべきことに、隣人との付き合いが挙げられると思います。
自分たちのビジョンや価値観を隣人に理解してもらうよりも重要なのは、先の関係性とイメージではないでしょうか。
共同体設立の指南書であるDiana Leafe Christian 著「Creating a Life Together」によりますと、自分たちについて地域の人たちに説明する際には、「コミュニティ」「スピリチュアル」「サスティナブル」「エコビレッジ」などというキーワードは使わない方がいいとあります。
単純に「私たちは単なる家族や個人の集まりで、資源をシェアすることで暮らしを楽しく過ごしやすいものにしたいと思っているんです。安全で支え合うことのできる環境を作りたいんです。」と説明すれば相手も安心するでしょう、と。
もし付け加えたいのならば「太陽の熱で家を温めたり、自分たちで野菜を作ったり、そういうことをやりたいんです。」
ローフードだとかヴィーガンだとかメディテーションだとかヒーリングだとか、そういった事は黙っておくのが賢明だそうです。
あわせて身なりにも気をつけたいところです。
では隣人と良好な関係を築くために、具体的にどうしたらよいのでしょうか。
隣人と良好な関係を築くためのステップとしてこんな話がありました。
1、隣人にアドバイスを求め、また何か手伝えることがあるか訊ねる。
2、隣人に彼ら自身のこと、たとえば畑のこと家畜のこと、この辺りの歴史についてー を話してくれるように仕向ける。
3、地元の消防団、婦人会や催し物などに参加する。
4、隣人らが旅行に出かけるときには、畑の水やりや家畜の世話を買って出る。
5、隣人が建築仕事を始めたら、大工道具を持って駆けつける。
6、例えばオーガニックフードについて、または今の政府の何処が悪いのか、そんなことは口にしない。
7、ただし、彼らの方から何か言ってきた時には、愛想よく丁寧に聞くこと。
「火事や災害が起きた時にあなたを助けてくれるのはあなたの隣人なのです。」
これってつまりは、集落に入るってことなのでは?と大鹿村役場でのやりとりを思い出しましたが、集落で暮らすということは、たとえ共同体という単位であっても、いち住民としての「役」を担うべきなのですね。
「Creating a Life Together 」には、近隣へ与えるイメージの大切さがわかるアメリカでのある事例が紹介されています。
Meadow dance と名付けられたグループは、自分たちの共同体設立のために土地を購入し、必要な土地使用許可を申請したあと施設の開設にむけて作業を始めました。
地元の新聞社からの取材依頼が来たときも、彼らは自分たちの計画を隠し立てせずに話しました。
しかし掲載された記事はずさんなもので、記事内で彼らのことを「コミューン」と表現していました。
それを読んだ地元住民たちは突然、
「Meadow dance の建てた巨大なコミュニティビルは景観にそぐわない」
「彼らに与えられた土地の使用許可を取り消したい」
と言い始めたのです。
さらには、彼らのせいでこの辺りの交通量が増えるのではないかと心配する声も上がりました。
そのためMeadow danceのメンバーはできる限り近隣住民を訪ねて、彼らの心配ごとやアイディアを聞くとともに自分たちのビジョンを伝えるよう努めました。
さらに、問題となったコミュニティビルのデザインや建設場所を変更したプランを見せて回り、また、交通量に関する見通しを伝えました。
しかしデザインを変更したビルに対しての反対意見が次々と出され、彼らをずいぶんと悩ませました。
結果、彼らは第3の選択をとることにしたのです。
ビルを作り直すこともできたし訴訟を起こせば勝てただろうけれど、つまり、その土地を諦めて立ち去ることを選んだのでした。
「私たちは町と対立したくなかったのです。」
例え勝訴しても、彼らはそのようなネガティブな環境でコミュニティを作ることはしたくなかったのです。
このような地元住民と共同体の対立は、日本でも起こりました。
「無我利道場問題」と呼ばれる、観光のために島を開発する企業に対して反対運動を展開する移住者のコミューンと地元住民たちとの衝突です。
コミューンにトラックが突っ込んだり子供の通う学校でのいざこざなど、この事件の詳細は「漂流者たちの楽園」(横田一著)に詳しいです。
※コメントで熊沢正子著「チャリンコ族はやめられない」に「無我利道場」の消滅した経緯が書かれていると教えていただきました。
「Creating a Life Together」の著者クリスチャンがその重要性を何度も指摘しているのが、コミュニケーションスキルを身につけることです。
コミュニケーションスキルに乏しいグループや、身につけるためのトレーニングを行わないグループには、必ずメンバーの意見や感情的な衝突が起こり、コミュニケーションを通してお互いが理解し合えない場合、メンバーがグループを立ち去る、という最悪の解決法しかないという痛ましい事態に陥りかねません。
メンバーがグループから出て行くということは、いずれグループの崩壊を招きます。
それを避けるためにも、定期的なミーティングとスキルアップが重要となってきます。
自分たちのグループにどんな人物を迎え入れるのか、ということも考える必要があります。
その門戸を狭くすることはすなわち、共同体を持続させることに繋がるとクリスチャンは言います。
グループの基本理念と価値観に合う、そしてメンバーとうまくやっていける参加者を見極めなくてはなりません。
こういったフィルタリングは、トライアル期間を設けたりビジターを受け入れたりすることである程度可能です。
かつてヒッピーコミューンの多くは、希望すれば誰でも参加できたことで、その崩壊を進めたといいます。
おわりに
この長い文の終りに、私の思いついた面倒が少なくて気楽な理想の共同体の形を少し書いてみたいと思います。
用意された土地にメンバーだけがまとまって居住し、生活すべてをシェアする共同体ではなくて、ある土地(村・町など)に別々に移住してきた者同士や、共感してくれるのならばその地元の人も含め、皆でカーシェアをしたり共同農園や、資源を共有することができたらいいと思うのです。
もちろんそこには何かしらの共通する価値観や理想があるべきだと思います。
野菜は種類豊富に作るとか、調味料も手作りしたいとか、大工仕事が好きだから特殊な道具をシェアしましょうとか、大きなひとつのグループでなくても、目的の違ういくつもの小さなグループがあっていいと思うんです。
それは、意図された共同体ではなくて、自然と生まれる共同体ということです。
物理的にこぢんまりとした、住みやすい集落が見つかれば共同体のよいゆりかごになるだろうし、お互い一定の距離を保てることがプラスになるだろうと思います。
そして家族という単位でもすんなり加われる最善の形ではないでしょうか。
山尾三省さんの暮らした屋久島の村は、彼が移住したときには廃村から復活を遂げたばかりで1、2軒の移住者が住むだけの集落だったそうですが、やがて都会からの移住者が集まり、87年当時では10世帯が暮らしていたようです。
長野県の伊那地域でもまた、都会からの先行移住者を追って移り住む仲間がポツリポツリと増えているという話もあります。
それからもう一点、資産と支出は自己管理すること。
無所有、共同所有を行う歴史的な共同体もありますが。
イスラエルのキブツ、インドのオーロビルなど。
よっぽどしっかりとした思想と規律と指導者があってこそだと思います。
つまり、ひとつ屋根の下に眠り、車座になって食事し、火を囲んで唄を歌うような擬似家族的で集団欲を満たすような(主催者にお金を支払って参加する)共同体ではなくて、お互い距離を保った、小さくても独立した家を持ち、いち部分を共有しつつそれぞれの単位で暮らすというのが、より現代的で持続可能な形である気がします。
自身もエコビレッジを運営しているクリスチャンの著書には、共同体で起こりうる問題と解決法、運営法などが事例とともに詳しく書かれています。
共同体を始めようとする人たちのうち9割が失敗する中で、残りの1割になるための解説本です。
資金ゼロで共同体を作った人の話など興味深いです。
かつてスチュアート・ブランドはこんなことを言っていました。
「コミューンとは色々試して失敗して間違いを学ぶ場である」
Q : コミュニティを探しています。お金もやる気も若さもあります。何かアドバイスをください。
A : コミュニティは作るものであって探すものではありません。自分で作りましょう!
(Whole earth catalogより)
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