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②或る共同体の消滅、コミューンが消えてなくなる理由

2016年2月3日
《その1》「或る共同体の寓話」からの続きです。

60年代の終わりから70年代初めにかけて数多く存在したコミューンでしたが、それらの共同体はいつしか消滅し、その代表的存在であった「部族」もまた同じでした。

なぜコミューンは消えてしまったのか、山尾三省さんの本「ジョーがくれた石」(地湧社)に「部族」解散の原因に対する彼なりの見解が書かれていました。

山尾三省さんは、ななおさかきさんらと共に部族を結成した中心メンバーのひとりで、「ジョーがくれた石」は、(もう亡くなられてますが)屋久島で暮らす山尾さんが手にしたさまざま「石」にまつわる、昔と現在とが交錯する精神と身体の旅の短編集です。

その中で山尾さんは何度も「部族」について触れています。

ここからは、「ジョーがくれた石」からの引用とともに、部族というコミューンが消滅した原因を探っていきたいと思います。

①家族

「部族が、わずか14,5年の間に跡形もなく消滅してしまったのはなぜであろうか。
(中略)
僕達が、組織性において貧しかったことが第一に挙げられるし、経済の問題や社会性においても貧しかったこと
(中略)
僕が思うにその最大の欠陥は、家族という、人間にとって最も大切な根源的な問題があることに、ぼくらがほとんど気づいていなかった点であった。」


部族は、その中心的存在であった者たちのほとんどが独身であり、そこに集まった若者たちもまた独身でした。

理想も生活も財布も多くを共有してきた者が子どもを持ち、子どもを共有することに疑問を持ち、やがて共同体という擬似的家族から独立していく。

学齢に達した子供を育てるということは、おそらく、経済的な面からも社会的な面からもコミューンという形でやっていくのには難しかったろうと思います。

②土地の文化

コミューン崩壊の最大の原因が「家族」であるならば、第2の原因として「土地の文化」が挙げられると思います。

トカラ列島の諏訪之瀬島に、バンヤンアシュラムと呼ばれたコミューンがありました。

60人足らずの島民が暮らす小さな島に、ある日ヒッピーがやってきたのです。

島民の驚きと警戒と好奇心は、計り知れないものがあったでしょう。

先祖より永きに渡って島に暮らし、島であるが故の共同体を作り上げてきた人びとからすれば当然のことです。

島への移住者たちはしばらくはコミューンに暮らしていましたが、しかし、ひとりまたひとりと島の部落へと仲間入りし、やがてバンヤンアシュラムは消滅、残った人もまた部落へ加わりました。

島の部落へ入るということは、共同体における「役」を何かしら負い、報酬のためでなくお互いがお互いのために働くということです。

「なにしろ総人口が60名そこそこの島である。島に住む限りは勝手なことは言っておれず、旧島民と力を合わせて、島で生きていくほかはない。(略)

島で生きる技術、すなわち文化という観点からすれば、旧島民の力は絶大であるから、かつての「部族」の人々は一年一年と時間をかけて、その文化を学びつつ島民になっていったのである。」

「諏訪之瀬島の中の特殊な共同体は、長い時間をかけて本来の島共同体へと消滅していったのである。」

山尾さんも指摘している通り、もしも「部族」が統率力のある組織としてまとまっていたのならば、結果は違っていたのかも知れません。

③「場」を見つける

諏訪之瀬島へ移住した部族たちは、島の御岳の頂にそびえる岩を、その姿から「シヴァリンガ」と呼び、独自に神聖視していました。

シヴァリンガという名前からも分かるとおり、インドやネパールへの巡礼のバックパッカーの旅は、彼らにとって儀礼的で重要な意味を持っていましたし、その宗教観や生活文化の与えた影響は、壮年を超え老齢になってもなお息づいているほど強烈なものでした。

特にブッダ覚醒の地、巨大石塔マハボディー寺院の立つブッダガヤ、ダライ・ラマの臨時政府の置かれたダラムサラ滞在によって仏教やチベット密教に傾倒していった者も少なくなかったようです。

そして部族から出家得度する者が続きました。

これがコミューン消滅の第3の原因だと思うのですが、つまり、部族に参加したのち、自分の進む道を見つけた者が、だんだんと抜けて行ったこと。

部族とは、「一人一人の人間が本当に自由に生きられる"場"を、直接に自分達の手で作り出して行こうとする自由共同体創出のムーブメント」であった、だのに個々人が他所に「場」を見つけ共同体を離れていくということはまさに、その崩壊を意味します。

これはマハボディ寺院内にある、菩提樹の木です。
この菩提樹の下でブッダは瞑想しました
飲まず食わずで修行するブッダに乳粥を与えたスジャータを祀った寺院。ブッダガヤにて。

④そして自然消滅

「やがて(コミューンが)自然消滅するに至って…」

「コミューンが解消し…」

と、さまざまな本で目にする度に、およそ自然消滅という理由にならないような理由に納得できなかったある日、そう言えば…と前回の記事の最後に載せた男性の話を思い出した次第なのです。

ひとつひとつのコミューンの終わりを見てみれば、きっと単純なものなのかもしれません。
学生が社会に出るように、最新号の雑誌のページを飾る洋服のように、環境や流行が変わるのに、そのままで居るものは少ない。

次回はどうしたらコミューン(共同体)が持続するのかについてのお話しです。

この話題はまだ続くのです…。

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