いつかカチコチになって灰になる体
先週、親戚が亡くなった。
95才の大往生だけど、昔から知っている人が亡くなるのは慣れない。
悲しいとか辛いとかいうより、慣れない、と思う。
母が、「おばちゃんがカチコチになる前に会いたいと思ったけど、家族葬だし止めておいた」と言っていた。
カチコチって、と思わず私は吹いてしまった。
母は17才の時に父親を亡くしている。
その時のことも、「カチコチになって、ああこりゃだめだ、と思った」と話していた。
若くしていくつもの死に目に遭った母にとって、死は触感的なものなのかもしれない。
たま、というバンドの曲か、そのメンバーの知久さんのソロ曲かは忘れてしまったのだけど、
“僕の未来は火葬場の灰 大きな生ごみ 海の漂流物”
という歌詞があり、そのゆったりしたメロディーも相まって、ふとした時によく思い出す。
そう、灰なんだよなあ、と。
どれだけ着飾っても、どれだけ乱暴に扱っても丁寧に扱っても、最終的には誰もが等しく灰になる。
もしこれが物語なら成立しないんじゃないかと思うくらいあっさりした幕引き。
私は、いつかカチコチになって灰になる体と生きている。
信じられないけど、本当の話なんだよね。
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