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「自己満足論」ー『孤独のグルメ』を交えて

年末年始の荒波を超えて、ようやく落ち着いてきた。やはり疲れが出たのか風邪をひいてしまい、期せずして四連休を得てしまった。さて、時間もできたことだし「何か書くか」ということで、今回はかの大ヒット作『孤独のグルメ』を交えながら、人間の「自己満足」について述べていこうと思う。

「男の自由」を体現させた主人公

本作の主人公、井之頭五郎。輸入雑貨の個人貿易商。独身。ガッチリとしたスポーツマン体型。下戸で健啖家。個性があると言えばあるが、そこまで派手なキャラクター造形はしていない。

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私が注目しているのは彼の内面である。ここでひとつ井之頭五郎のセリフ(正確にはモノローグ)を引用しよう。

輸入雑貨の貿易商を個人でやっている俺だが自分の店はもっていない
結婚同様 店なんかヘタにもつと守るものが増えそうで人生が重たくなる
男は基本的に体ひとつでいたい

『孤独のグルメ』第2話・東京都武蔵野市 吉祥寺の廻転寿司 より引用

井之頭五郎の価値観はこれに集約していると言っても良いだろう。そしてこれは私の価値観にほぼ合致する。結婚し、子を成し、孫に看取られるというステレオタイプな人生を捨て「軽い人生」を選択した孤独な男の幸福論が垣間見えるようだ。

男性諸君は肌感覚で知っていると思うが、男単体の命はとても軽い。ホームレスになろうが、自殺しようが、苦しみを叫んでみようが、顧みる者は基本的にいない。それは男の「生き物としての定め」とも言える。

男は妻を娶り、子を成すことで初めて他者から「生きる価値」を与えられるとも言っていい。守るべき者の為の価値。それが家父長制における男の価値だと私は思っている。つまりだ。独身の男など、他者にとって何の価値もない。これは事実として受け止めなくてはならない。

しかし「この価値のなさ」は同時に祝福でもある。どういうことかと言えば「好き勝手に生きることができる」ということだ。その生き方を示しているのが本作『孤独なグルメ』である。

仕事は個人商。自分の腕一本で食い扶持を稼ぐ。過去には大女優との恋愛もやってはみたが、俺には合わないと独り身を貫く。そして食事は自分の好きな物を好きなだけ食う(そしてしばしば食べ過ぎる)。なんというか男の理想が詰まっている様なキャラクターだ。恐らく私のような独身だけでなく、既に家庭を持っているお父さん方にも一種の「憧れ」は感じられるのではないだろうか。

ポイントなのが井之頭五郎は「負け組」でない点だ。彼は店は持っていないが自立しておりそれなりに裕福。家族も持っていないが、女に相手にされなかった訳でもない。「男のプライドを保ちつつ、自由を追求する」井之頭五郎は非常にバランスの取れたキャラクター造形が成されている。『孤独のグルメ』がヒットしたのは、男性から愛される要素が詰まった主人公像にあると私は分析する。

「マイルール」は幸せの方程式

さて前章で彼が「自由である」ことを称揚したが、実は全くの制約がない状態は必ずしも幸福ではないと手の平を返してみる。人は何か目標を達成した時、思い通りに事が運んだ時に幸福を感じるのではないだろうか。

大層な話をぶち上げたが、実はそんな大したことではない。「自分はこうしたい」「自分はこういうやり方だ」とぼんやり思っているだけでも良いのだ。何かしらの軸を持っておけば、自分にとっての幸福が何かを探す手掛かりになる。

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第2話・東京都武蔵野市 吉祥寺の廻転寿司 より

井之頭五郎は自分に「マイルール」を課している。冒頭で引用した彼の言葉はそれを顕著に浮かび上がらせている。「独身」かつ「店を持たない」ことが彼のマイルールだ。そしてそれに従って生きることで自由な生活を満喫している。つまり自由が先にあるのではなく、ルール=制約を達成した結果が自由であり幸福なのだ

つまりは「自分で決めて」「自分で実行し」「自分で結果を享受する」という自己決定権の行使こそが幸福な状態ではないかと私は思う。そのファーストステップとして目標とマイルールの設定が重要だ。

例えばオープンワールドのゲームがあったとする。何から始めるのもあなたの自由だ、と言われて何も考えずゲームを進めてみても面白さを感じるのは難しくないだろうか。ここで「最強キャラを作る」「自分で考えたキャラクターをロールプレイしてみる」と目標設定してみたらどうだろう。やるべき事が明確になり、そこを目指す楽しさが生まれる。

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井之頭五郎の場合は「目標=重くない人生を歩む」「ルール=結婚しない・店を持たない」「その結果生まれる幸福=誰にも邪魔されず自由で、独りで静かで豊かな状態」である。

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第12話 東京都板橋区 大山町のハンバーグ・ランチ より

私自身が日々追求している幸福も彼のそれと大きく変わらない。独りで静かで豊かな状態を求めて、自分の書きたい文章を書いている。このnoteも誰かの一助になればという願いはあるが、突き詰めれば「自分の考えを表現できた達成感」を自己に与え、満足させる為のものだ。自己満足の為のnoteだ。そこを見誤ると他者の為の労力となってしまう。誰かに決められた枠組みの中で何かをするのは息苦しさが出てくるものだ。

つまりだ。重要なのは井之頭五郎が独身で店を持っていないことではなく、彼が彼の意思で決めた生き方をしていることだ。幸福の追求において、世間や親の目を気にして、なんとなく流れで、という自己決定権の放棄は最も忌むべきものである。あなたがもし幸福でありたいなら他者から決められた「ルール」ではなく自分で決めた「マイルール」を制定してみて欲しい。

セルフケアが求められる時代

私がなぜ自己決定をこんなにも推すのか。それは現代において他者依存の余地が少なくなってきているからである。「公助・共助・自助」というワードはご存じだと思うが、特に「共助」については今の社会で得難いものとなっていよう。そして「公助」も段々当てにならなくなっている。つまり「自助」の比率が高まることは自明のことである。

冒頭でも挙げたが、特に男性は他者から価値が見い出されにくい属性である。悲しい現実だが自分の足で立てなければ非常に厳しい環境に置かれることとなる。

ここは自覚しておいて欲しいのだが、そもそも他者に何かを求める事は加害性を伴う。自分のエゴを基に他者からリソース(人的・時間的)を引き出す行為だからだ。女性から男性の方向であれば、女性の価値を男性が見出しやすく、その要求も加害と認識されにくいが、その逆は男性のリソースが乏しいのもあり価値が見いだされにくく、求めた行為が加害と認識されやすい。平たく言えば、男性が女性に何かを求める事はリスクが伴うのだ。

そして、不幸なことに男性同士は好んで助け合う習性が薄い。だからこそ私はnoteで男性同士の緩い共助を推奨しているのだが、不十分である以上やはり自助が前提となるだろう。

ここで前章の「マイルール」制定に繋がってくる。他者依存から脱却し、自分で道筋を決め歩んで行けること、つまりはセルフケアできることが今後の厳しい世の中で求められているのだと思う。

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第15話 東京都内某所の深夜のコンビニ・フーズ より

これは『孤独のグルメ』第15話「東京都内某所の深夜のコンビニ・フーズ」という話の一部なのだが、ありふれたコンビニメシを五郎は自分なりに楽しむことができる。要は自分の視点次第で「なんでもないもの」から楽しみを享受できるのだ。そして、その究極系がこちらの漫画だろう。

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『定額制夫の「こづかい万歳」 ~月額2万千円の金欠ライフ~』第1話より

Twitterでもよく話題になる『こづかい万歳』である。率直に言うと、私から見てもあまりにみすぼらしい。しかし、現時点においてセルフケアの形としては「究極」と言わざるを得ない。当noteの読者の皆様も今でこそこれを笑ってみて居られるだろうが、今後はこの楽しみ方ができるかどうかで幸福度が変わってくるかもしれないのだ。

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かの上野千鶴子先生が指摘しているように、日本の未来は「平等に貧しくなる」しかないだろう。ごく一部の富裕層を覗いて、庶民の暮らし向きは今より悪化することを前提にして人生設計しなくてはならない。腕に覚えのある上昇志向の方以外は生活レベルを上げ過ぎず慎ましく生きることが「正解」となるだろう。

『こづかい万歳』の世界は遠くない未来の日本において「標準化」される。他者依存から脱却する「自己決定能力」と同じように、自分の身の程を弁える能力「自己分析力」が必要になるだろう。私はこの二本の能力を基にセルフケアを行い、自己満足していくことを提唱したい。

さてここで『孤独のグルメ』に戻るが、五郎が女優との破局を思い出す場面を紹介する。

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第5話 群馬県高崎市の焼きまんじゅう より

小雪の方は五郎との結婚を夢見ていたのだろう。しかし、五郎はそれをはぐらかし最終的に振られたと推察できる。なぜ五郎は彼女とパリに残らなかったのか。それは彼が「身の程を弁えたマイルール」に従い、自己決定したからであろう。自分で決めた人生を歩んでいるこそ微笑みながら「俺にお似合いなのはこういうもんですよ」と言えるのだ。

恐らく小雪と結ばれれば社会的地位も今の五郎より格段に上だっただろうし、ビジネスも一個人商で終わることはなかっただろう。しかし、それは五郎の望む「自由な」生き方ではない。私にはふらふらとメシ屋に入る、どこかうだつの上がらない五郎の方ががとても魅力的に見える。

おわりに

私は『孤独のグルメ』に限らず、原作者・久住昌之先生の作品が好きだ。彼自身の気楽さ、肩肘を張らない人柄が感じられるからだ。

──はじめての一人暮らしに不安を感じる方や、「一生独身で一人で暮らすのでは」と不安に思う方など、「孤独」を抱える現代人が増えているように思えます。満足した人生を送るにはどのように過ごすべきなのでしょうか

うーん、そうですね。まあ、何をするにも“リラックス”をすることが一番だと思うんですよ。最近の若い子って、生きることに焦り過ぎなのではないでしょうか。そう考えると、この「一生一人で生きるかもしれない」というのは、その時点でリラックスしていないと思うんですよね。

CHINTAI情報局 『孤独のグルメ』原作者・久住昌之さんに聞く「孤独」の楽しみ方 より引用

当noteでは自己決定権だとか、自己分析能力が重要だとか少し圧のある話をしてしまったが、そこまで難しく考える必要は無い。まずは久住氏の言うように「前のめり」や「俯いた」状態から一旦リラックスしてみて欲しい。リラックスして余裕が出来れば自ずと視野は広がってくる

五郎もよく作中で失敗する。例えば第1話ではぶたとぶたをダブらせてしまったりとか、第12話ではなぜか店主にアームホールドをかましてしまったりとか行き当たりばったりなところも多い。

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第1話 東京都台東区 山谷のぶた肉いためライス より

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第12話 東京都板橋区 大山町のハンバーグ・ランチ より

自己決定は「間違ってはいけない」ということではない。むしろ自分で選択した結果だからこそ「許せる」し「人のせい」にしなくてすむのだ。謝る相手は自分自身だけ。気楽な物である。

日本の未来は正直明るくないが、それでも私たちは生きていかねばならない。どうせ生きるなら自分で決めた道を歩んで、自己満足を目指して行けば良い。他者満足はその余力でついで程度で行えば良いだろう。

自己満足は自分勝手というイメージが付き纏うが、まず前提として自分が満たされてなければ他者を満たすことなど困難だろう。自分の世話ができない人間に他人の世話ができるか?という話である。

他者を助けたいなら、まず自分を助けよう。

(了)

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