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アーシュラ・K・ル=グィン「左ききの卒業式祝辞」(抜粋)

卒業式/入学式の名スピーチというと、以下の3つしか知りませんでしたが、これで4つになりました。

スティーブ・ジョブズの「ハングリーであれ、愚か者であれ」。デヴィッド・フォスター・ウォレスの『これは水です』。上野千鶴子の「知を生み出す知、メタ知識を身に着けよ」。

以下にご紹介するのは、アーシュラ・K・ル=グィンの「左ききの卒業式祝辞」の抜粋(筆者)です。

高橋源一郎さんの本で知ることができました。
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「これは『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・K・ル=グィンがある女子大で行った「左ききの卒業式祝辞」というタイトルの祝辞です。
僕は自分の本(『13日間で「名文」を書けるようになる方法』)で引用しています。
「左きき」は少数派である「女性」をまず意味し、そして潜在的にはあらゆる人々も意味するのです。」

出典:高橋源一郎『「ことば」に殺される前に』

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アーシュラ・K・ル=グィン「左ききの卒業式祝辞」

そう、私はみなさんにご成功を、とは申しません。
成功についてお話しする気もありません。
私は失敗についてお話したいのです。

なぜならみなさんは人間である以上、失敗に直面することになるからです。みなさんは失望、不正、裏切り、そして取り返しのつかない損失を体験することでしょう。自分は強いと思っていたのに実は弱いのだと気づくことがあるでしょう。所有することを目指して頑張ったのに、所有されてしまっている自分に気づくことでしょう。

もうすでに経験済みのことと思いますが、

みなさんは暗闇にたったひとりで怯えている自分を見出すことでしょう。

私がみなさん、私の姉妹や娘たち、兄弟や息子たちすべての人々に望むことは、

そこ、暗闇で、生きていくことができますように、ということなのです。

成功という私たちの合理的な文化が、
追放の地、
居住不可能な異国の地と呼び
否定しているそんな土地で
生きていくことを願っています。

どのみち私たちは異国人ですね。

女性は女性であるがゆえ、男性が自ら宣言したこの社会の規範から除外され、遊離しています。この社会では人間はマン(男)と称し、尊敬すべき唯一の神は男性で、唯一の方向は上昇なのです。

そうです。それは彼らの国なのです。

私達は私たち自身の国を探し求めようではありませんか。

私はセックスのことを言っているのではありません。それは全ての男女がそれぞれ自分で営む全く別の分野のことです。

私は社会のこと、
いわゆる人間の制度化された競争、侵略、暴力、権威、
および権力の世界のことをお話しているのです・・・

そして、それに対して、私は、私たち自身のやり方でことを進めたらどうかとお話しているのです・・・

いえ、彼らに『対抗しろ』と言っているのではありません。
なぜなら・・・それもやはり男性の規則に従ってプレイすることになりますから。

そうではなくて、私たちとともにいる男性と手を合わせて進むのです。

これは私たちのゲームなのです。

大学教育を受け、自立した女性がなぜマッチョの男と戦ったり、あるいは彼に仕えたりしなければならないのでしょうか?

マッチョマンは合理的でも明瞭でも競争的でもなんでもない私たちの流儀を恐れています。ですから彼らはそういったものを軽蔑し、否定するよう私たちに教え込んできたのです。

私たちの社会の中で女性は人生のあらゆる側面を生きてきました。そして、それゆえに軽蔑されてきました。

人生のあらゆる側面には無力、弱さ、病気、非合理的で取り返しのつかないもの、曖昧で受動的で、抑えがきかなく、動物的で、不浄なものすべて――影の谷間、深み、人生の深さも含まれています。

そして、そうしたもの一切に対して責任を取ることも女性の生きてきた人生なのです。

武人が否定し、拒否するもの全てが私たちに残され、私たちとともにそうしたものを共有する男性は、それゆえに私たちと同様、医者ではなく看護の役しかできず、武人ではなく民間人の、首長ではなくインディアンの役割しか果たせないのです。

それが私たちの国なのです。

私たちの国の夜の部分です。

もし昼間の部分、高い山脈や明るい緑の大草原があるとしたら、私たちは開拓者がそれを語る物語しか知らず、そこにはまだ到着していません。

マッチョマンの真似をしたところでそこに行くことはできません。

私たちは自らのやり方で前進し、そこで生活し、私たち自身の国の闇夜を生き抜くことによってのみ、そこに到達するのです。

そこで私がみなさんに望むのは、女性であることを恥じたり、
精神病質の社会機構の囚われの身であることに甘んじたりする囚人としてではなく、
土着の人間としてそこに生きることです。

みなさんがそこでくつろぎ、家を持ち、自分自身の部屋を持つ自分自身の主人として生きることです。

そこで自分自身の仕事に従事することです。

仕事は自分の得意なものであったら何でもよいのです。芸術であれ、科学であれ、科学技術であれ、会社経営であれ、ベッドの下の掃除であってもよいのです。それは女のすることだから二流の仕事だ、などという人がいたら、くたばっちまえ!と言ってやると同時に、男女平等の賃金を支払わせるのです。

また、みなさんが誰かを支配したり誰かに支配されたりする必要に迫られることなく生活していくことを私は希望します。

私はみなさんが決して犠牲者になることなどないよう望みますが、他の人々に対して権力を振るうこともありませんように。

そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、

暗闇こそあなたの国、

あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、

しかし、未来が存在するところなのだ、ということを思い出して欲しいのです。

私たちのルーツは暗闇の中にあります。
大地が私たちの国なのです。

どうしてわしたちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょう――周囲や足下を見るのではなく?

私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。
ぐるぐる旋回するスパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。

上からではく下から。

目をくらませる明かりの中ではなく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。」

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。