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家電のない生活。アフロ記者、稲垣えみ子さんの記事を読んで。

以前、この記事をよんだときに、

家電にたよりっきりのわたしが“共感”と言うと、
とても生意気なのだけれど、
わかる気がするなぁっておもったのが正直な感想だった。


家電にたよりっぱなしですが。


元朝日新聞記者・稲垣えみ子さん。

アフロ記者と呼ばれて親しまれている彼女の家には
家電がないのだそう。
電気料金は月200円以下。


家に家電がない』とは、
そんな生活をしているひとで、
ほかに存じあげているのは

野草料理教室などをされている若杉友子さんぐらいだろうか。
家に電化製品が、まったくないかどうかまでは定かでないが、
土に穴をほって野菜をいれ、
土の冷蔵庫』を使用しているのを本で読んだことがある。


家電のない生活は可能なのか、と驚いたと同時に、
ちょっと羨ましく感じたのは、
稀有な分類に入るのだろうか。


とは言え、
じぶんに置きかえて考えてみたときに、
冷暖房器具を手放すのは、メチャクチャ覚悟がいるな、と思った。
住んでる地域や、立地場所にもよるだろうし。


冷蔵庫も、せめて小さいサイズをひとつ欲しいとおもってしまう。
ドライヤーだって、髪の毛を乾かせないと冬は風邪ひきそうだ。手放す候補に、とてもじゃないが入れられない。(それか冬は髪の毛を洗わない、とかにするか…)


手放すとしたら、テレビ、電子レンジあたりから…だろうか。


記事を読んで、きっとそうなのだろうな、と思うことがたくさんあった。

一部、抜粋させていただくと。

冷蔵庫があるときはあれもこれも食べたいと常に目移りして、様々なものを買い込んでは腐らせてきました。


そうだよなー!と頷いた。



▷あるから、そうなる。


冷蔵庫も、あの卵をいれるケースみたいなゾーンがあるから、
そこに卵が並んでないといけない気分になるし、
チルド室があるから、
肉や魚を入れてないといけない気がしてしまう。

野菜室があれば、そこに野菜を詰め込むし、
ドアポケットがたくさんあるから、
ずらりとドレッシングや調味料が並ぶ。
ドレッシングや調味料などは、
とくに、期限を切らしてしまう人は少なくないのではないか。

『ドアポケットがたくさんあるからって、いっぱい入れなきゃいいじゃん!厳選してないじぶんのせい!』なのは、ごもっともなのだが、
『専用スペースが先に用意されているという現実』が、
こちらの行動や思考を誘引するようなそんな作用が、働いていると思う。
困っちゃう。

あるから、必要な気がしてきてしまうのだ。




▷なければ、ないで。


おおげさに例えると、
きっと、むきやすいりんご専用の皮むき包丁、むきやすい梨専用の皮むき包丁、むきやすい柿専用の皮むき包丁、などがズラリと並んで売れていたら。
ふつうの包丁より良さそうな気がしてくると思う。
(え?!要らね!とすぐに思いなおすと思うけど)

それらはわるくはないし、商魂たくましく、
そうやってひとびとは日本を繁栄させてきたし、
便利なのはなによりありがたいし、
人の役に立つものはシンプルに助かる
そして『欲しい』という欲求も
純粋に沸くものである。


こうしてありとあらゆる物がこの世には売られていて、
それは前もって用意される『生活の前提』になる。

これが日本人の生活に必要ですという前提。そして、もっとより良いとされる生活を目指す前提。

それをなんの疑いもなく、
いろんなものを買いそろえ始める。

別になにもわるくない。


壊れたら、最新の製品を買う。
それも別にわるくない。
もちろん素晴らしい商品がたくさんあるからであり、
便利で役に立つから。




ただそこで、『生活の前提』自体を疑ってみるひとは少ない気がする。少なくともわたしは、ずっとそうだった。

ひとびとの生活に、“疑う”ということをする余裕がないとも言えるかもしれない。


疑ったらどうなるのか。
この記事を読んで感じた稲垣えみ子さんの『自由で解き放たれている生き方』が、すこしは味わえるかもしれないなって思った。

自分に要るものとおなじくらい要らないものを知っているひとは、つよい。羨ましく、つよい。




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