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掌編小説「ロールキャベツと入刀記念日」

 未知のウイルスはわたしたち夫婦の生活を変えた。
 わたしの自宅勤務はしばらく続きそうだし、宗一郎さんは来週から時差出勤だ。変わったのは働き方だけではなくて、お気に入りのバルを始め、近所の飲食店は休業を余儀なくされた。こればかりは仕方ない。
 日々の自炊は(時々手抜きはするけど)苦ではないし、宗一郎さんとの晩酌も楽しみだ。それでも外食には新たな発見もある。
 巻かないロールキャベツを教えてくれたのも、例のバルだった。

 雪が降りそうなほどに、うんと寒い日だった。
 深皿で出されたホワイトソース煮のロールキャベツは、雪化粧をした小山のような大きなひと塊だった。店員さん曰く、肉だねの上にキャベツを重ねているそうだ。あまりの存在感に二人で顔を見合わせた。
「僕が切ろうか」
 宗一郎さんは取り分け用のナイフをそろりと動かした。一世一代の場面のような真剣さと白くて丸いビジュアルから、友人の結婚式を思い出した。
 わたしたちも式を挙げていたら、こんな感じだったのかもしれない。
「ウエディングケーキの入刀みたいね」
 ぽろりと呟いた言葉がツボだったのか、宗一郎さんは少し赤らんだ顔を伏せていた。一緒にやろうと提案しないのは、穏やかで物静かな夫らしい。

 あれから数か月後。夕食に巻かないロールキャベツを作ってみたけれど、なかなか悪くない。肝心のホワイトソースも成功した。
 キャベツを崩さないように深皿に移してから、鍋に残ったソースをかける。肉だねの中にチーズを仕込むのもいいし、トマトソースでも美味しそうだ。
 わたしが鼻歌まじりで仕上げのパセリを散らしていると、リビングのドアからスーツ姿の宗一郎さんが現れた。
「おかえりなさい」
「ただいま。一応どっちも買ってきたけど、白の方が良さそうだね」
 宗一郎さんはテーブルにあるロールキャベツを見て、買い物袋からワイン瓶を一本取り出した。聖母像のラベルの白ワインだ。
 玄関で見送った時に献立を伝えたら、「それならワインが合うだろうから」と、仕事帰りに寄り道してもらったのだ。
「わたしが好きって言ってたやつだ。ありがとう」
「あぁ、うん。あのさ、千夜」
「なに?」
 わたしは歯切れの悪い宗一郎さんの横顔を見た。素面のはずの耳は赤く染まり、視線は深皿に注がれている。
 名前を呼んでからたっぷり十秒かけて、彼は静かに口を開いた。
「ロールキャベツ、一緒に入刀する?」
 まるでプロポーズだ。わたしはもつれそうな足で台所に向かった。
「喜んで。じゃあ一番大きなナイフを用意しなくちゃ」
 想定外の、初めての共同作業に胸が躍る。
 二人で握れそうなパン切り包丁を手にして戻ると、やっと宗一郎さんと目が合った。上着を脱いでネクタイを緩める彼は、優しい眼差しをしていた。

 これからの長い人生で巻かないロールキャベツを見る度に、きっと今日の出来事を思い出す。人間は食べたもので作られるのなら、記憶だってわたしたちの血肉になるんだ。
 どうかあなたもそうであってほしい。

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