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第12話「欲望の資本主義」

 今年1月1日に放映された、「欲望の資本主義」の再放送を改めて見ていた。その中で「善と悪の経済学」の著者である、セドラチェクと「人新世」の斉藤幸平の話が、噛み合っていなくて面白く感じた。
 新自由主義としての資本主義が限界に来ていて、修正がなされなければならないという点では、一致していたものの、資本主義の中でその解を求めようとするセドラチェクと、コモンズを元に一部を共産主義化すべきであるという斉藤の議論が、噛み合わないのである。それは、セドラチェクがチェコスロバキアの共産主義を生きてきて、肌での限界を「机上の空論でなく実体験として語る重み」との差とも言えたのかも知れない。

 もう一つ面白く感じたのは、スウェーデンの話である。福祉国家であるスウェーデンは、成長をしながら高福祉を達成しているが、そのメカニズムなのである。同業種は、企業は違えども賃金を同一にする。すると、効率的で競争力のある企業は、賃金を払う比率が少なく新たな事業への研究開発費も豊富であるが、非効率な企業は賃金の割合が高く、場合によっては赤字になってしまうので、市場から退場しなくてはならなくなる。

そこで、退場した企業に働いていた人は、効率的な企業に就職することになる。最も大切なのは、ゾンビ企業を生き残らせることではなく、ゾンビ企業はどんどん撤退させる一方で、撤退した企業で働いていた人がすぐに仕事が見つかる環境を作ることにある。

即ち、競争力があり雇用余力のある生き残った企業に異動すれば良いのである。しかし、生き残った企業もそこで安穏としていられず、常に自社の革新や競争力の強化を求められることになり、併せて、人がどんどん流動化していくのである。スウェーデンでは、過去20年間で、一人当たりの所得が50%増えた。そして、高福祉であり、更に、脱炭素の部分でも炭素を減らし続けている。

 そこの根底には、人、すなわち個人の繁栄や幸福を前提とした社会体制があるように感じた。国家がなぜ存在するのか?それは、人の幸せや繁栄のためであって、一部の企業の利益や安易な弱者救済ではないと思う。住んでいる人が繁栄していくことで、国家も繁栄いていく。そして、繁栄があっての弱者との共存も可能になるのである。ここで誤解して欲しくないのは、繁栄であって、発展や経済成長を意味していないことなのである。

 翻ってみて我が国は、どうか?

そもそも、一人一人が、この国を自分たちが作り支えると言う意識が低いのではないか?要は、日本は民主主義ではなくて、個人の利ばかりを追求する個人主義、利己主義の集合体となっているのではないか?それは、企業、特に大企業の在り方にも繋がる気がする。

 国家を自分ごとに捉えず、国家の一員との意識もなくぶら下がってしまっているのではないか、だから某大臣のある宗教との関わりについての他人事の発言は、批判をしても他人事である我々の醜い部分の表れではないか?そんなことを考えてしまったのである。

9月である。還暦まで、あと23日。
Rebornのための時間はもうない。


森の黒ひげ塾
塾長 早川 典重


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