アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の劇中歌から読み解く、後藤ひとりの世界

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を見た。素晴らしかった。
アニメ全体の出来が素晴らしかったのは先達がすでに語り尽くしているかと思うが、特に楽曲が素晴らしい。自分も思わずiTunesで曲買って鬼リピしているところである。
個人的に音楽物アニメの出来の良し悪しは音楽に大きく依存すると思っており、『けいおん!』や『ラブライブ!』、『四月は君の嘘』、『この音止まれ!』など、心に残る音楽物アニメはすべからく音楽の出来が素晴らしく、物語と強くリンクしていると感じる。

というわけで、劇中歌の歌詞から主人公後藤ひとりの世界がどのように変わっていったのかを語っていきたい。
ここから先の記述はアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』のネタバレが含まれるため、本編未見の方は注意されたし

孤独の中の「もがき」ーー『ギターと孤独と蒼い惑星』

最初の劇中歌。文句なしに素晴らしい。
なにが素晴らしいって、この楽曲は後藤ひとりの原風景と言えるほどに彼女の魂の叫びを感じるからだ。

こんなに こんなに 息の音がするのに
変だね 世界の音がしない

『ギターと孤独と蒼い惑星』©️ZAQ

まずここがたまらなく良い。
Bメロのサビ前の歌詞だが、人前に立った時の後藤ひとりが過剰な自意識に押し潰されて過呼吸になり、周りが見えなくなっている様を体感として綴ることで、似た経験を持つ聴き手の心に鋭く爪を立ててくる。
またこのBメロ全体の構成も美しい。Bメロから転調してボーカルとギターだけになり、後藤ひとりの心境を綴った歌詞と彼女のギターだけを響かせることで「後藤ひとりの内面である」ことを強調してから、上述の歌詞とともにリズム隊が合流し、早鐘のように打ち鳴らされるドラムの音は完全に「緊張で脈打つ鼓動』を表現しているように感じる。

そして激しいサビに入る。
この激しさは「もがき」だ。息もできないほど自意識に押し潰された彼女が、自分はここにいる、誰か気づいてくれ、と声なき声で叫び救いを求めもがく心象風景そのものだ。
もがきながら彼女は叫ぶ。

「ありのまま」なんて 誰に見せるんだ
馬鹿なわたしは歌うだけ
ぶちまけちゃおうか 星に

『ギターと孤独と蒼い惑星』©️ZAQ

「ありのまま〜」は普遍的な悩みでもあるが、後藤ひとりにとって「ありのまま」は少々複雑だ。ギターヒーローとして承認欲求を満たしていた彼女が、リアルでギターヒーローを知っている人物と出会って彼女たちとバンドを組んだ。バンドで本来の実力を出せていない後藤ひとりにとって、「ありのまま」を打ち明けることはギターヒーロー(=自分を唯一肯定できる部分)にすら失望されるという恐怖を伴う。
その葛藤を抱えながら、彼女はギターで自分の心を歌い続けているのだと思うと、バンドの中にあってさえ彼女の孤独は癒やされていないのだと感じるのである。

また「星」という単語も見落とせない単語だ。多くの先達が言及しているように、伊地知姉妹が大事にしているライブハウスは「STARRY」だし、結束バンドが劇中最後に演奏するのは『星座になれたら』だ。またこの楽曲のタイトルにも惑星という形で星の一字が組み込まれている。これが偶然の産物であることはなく、意図的に『星座になれたら』と対になっているのだと感じるのである。
『ギターと孤独と蒼い惑星』における「星」とは文脈から考えると地球のことであり、地球とは宇宙の中で唯一生命を有する孤独な惑星である。これを後藤ひとりに置き換え直すと、「バンドやライブシーンという銀河に紛れ込みながら、自分はまだ異質で孤独なままなんだ」と感じていたのではないか、と想像を巡らせてしまうのである。

世界への拒絶ーー『あのバンド』

『あのバンド』の歌詞は数年前ならきららアニメの挿入歌として考えられないほど尖った内容である。

あのバンドの歌がわたしには
甲高く響く笑い声に聞こえる

『あのバンド』©️樋口愛

これは特定のバンドの歌詞がぬるいとか言ってるわけじゃなく、「他人の笑い声が全部自分を笑ってるように思える」という自意識が誇大化した人間特有の感覚で、自分にもめちゃくちゃ経験がある感覚だ。

あのバンドの歌がわたしには
つんざく踏切の音みたい
背中を押すなよ
もうそこに列車が来る

『あのバンド』©️樋口愛

周囲の雑音に押し潰されて精神が極限状態にあることを、「死」や「殺される」など安易な言葉を避けて巧みに表現している。
表現の巧みさと同じくらい、後藤ひとりの心境を凄まじい迫力で表しいてる重要な歌詞だろう。

ほかに何も聴きたくない
わたしが放つ音以外

『あのバンド』©️樋口愛

周囲の雑音を切り離し、完全に自分の世界に引きこもって自分の音と向き合う。
これは人間・後藤ひとりが教室で聞こえる笑い声に耐えながら自分の世界に没入する姿と、ギタリスト・後藤ひとりが売れるための音楽に迎合せずに自分の音楽を追求するダブルミーニングになっているのだと思う。
いずれにしろその根底にあるのは「世界からの害意」と「世界への拒絶」の二つだ。
そしてこの強烈な拒絶の曲をもって、後藤ひとりは結束バンドに危機を救い、無関心な聴衆を「後藤ひとりの世界」に取り込んだという物語の構造がまた面白い。

ひねくれながらも前を向くーー『忘れてやらない』

以降の二曲はアウェーであるライブハウスとは違い、ホームである学園祭というのもあってか、または学生向けに尖りの少ない選曲をしたという背景設定があるのか、ポジティブで明るめなロックナンバーとなっている。
ただし歌詞にある後藤ひとりの言葉には、やはりひねくれた陰キャの匂いが漂っている。

絶対忘れてやらないよ
いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって笑ってやんのさ

『忘れてやらない』©️ZAQ

これは作中でも後藤ひとりが似たような妄想をしていたものの、『あのバンド』のすべてを拒絶するような世界観からするとかなり丸くなっているように感じる。
特にこちらの歌詞では「死」という単語をダイレクトに使っているものの、「いつか死ぬまで」とすることでむしろ死を遠くに見てる感じがして「差し迫った恐怖としての死」ではなく「若者言葉としての死」という感じがしてだいぶ年相応な世界観に変化を見せている。

また、下記の歌詞なんかは後藤ひとりの世界が孤独ではなくなったことの象徴のように感じている。

風においてかれそうで
必死に喰らいついている

『忘れてやらない』©️ZAQ

「風」とはたぶん、結束バンドのみんなのことだ。
ぼっち歴の長い後藤ひとりにとって、自身を孤独な世界から引きずり出してバンドという夢見た舞台に立たせてくれている結束バンドの存在は、優しく背中を押してくれる追い風のようであり、時には予想外に自分を振り回す暴風でもある。
そんな彼女らに「必死に喰らいついて」いこうとする気持ちが表れていて、改めて後藤ひとりがぼっちではなくなったのだと実感できるのである。

彼女がつかんだ新しい世界ーー『星座になれたら』

巷ではぼっ喜多の歌とされているこの曲ですが、個人的にはこの曲は結束バンドというバンドへの後藤ひとりの愛着を感じさせるナンバーである。

君と集まって星座になれたら
空見上げて 指を差されるような

『星座になれたら』©️樋口愛

このあたりなんかはめっちゃ明快ですが、『みんなに憧れられるようなバンドになろう』という読みになり、作中でぼっちが『バンドで売れたい』から『結束バンドで売れたい』にモチベーションが変化した心境が明確に反映されている。

上述を踏まえると、

だから集まって星座になりたい
色とりどりの光放つような
つないだ線 解かないよ
君がどんなに眩しくても

『星座になれたら』©️樋口愛

このあたりの歌詞もめちゃめちゃにエモい。
『ギターと孤独と蒼い惑星』で孤独にもがき、『あのバンド』で世界を拒絶した後藤ひとりが結束バンドとのつながりを大事に思い、絶対に手放したくないという思いをひしひきと感じる。

またバンドや人のつながりを星に例えているのも嬉しい。

『ギターと孤独と蒼い惑星』では「孤独の象徴」や「声なき声をぶちまける対象」だった「星」という概念が、ここに至って「君と集まって星座になれたら」と思えるくらい他者との距離感が近く感じられるようになったのだと思うと、後藤ひとりの世界に起こった変化に感動を覚えずにいられない。

最後に

ここでは劇中歌だけに限定して話させていただきましたが、『ぼっち・ざ・ろっく!』はOPやEDも歌詞が物語とリンクしていてしっかり練られているので、聴く度に発見があって大変嬉しいことである。

最後にわがままを言わせていただくなら、早い内にアニメ二期が見れることを願わずにはいられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?