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私、間違ってた(備忘録)

このままでは、ダメなんだ。

そんなことを強く思った。

自分がひどく子供じみた事をいつも言っていることも、
いつだって自分を強く見せようと虚勢を張って大口叩いていることも。

改めて、わかった。

そんな1日だった。

何故か私は昔から、話し方が勝気とかキツイとか言われるのだが、それはいつだって身を守るためで、そうでもしないと負けてコテンパンにされるのでは?という恐怖がいつもまとわりついて離れない。

だから誰かに何かを伝える時程、強い口調で話してしまっていつも相手を嫌な気持ちにさせてしまう。

今日だってそう。

こうした方がもっと良くなるのに、こんな風に変えたい。
だからこんな事をアプローチしてみて、こうしたのに…うまくいかなくて…
そんな思いをある場所で話していた時の周りの空気感で、私だけみんなより少し前で止まっているような感覚に陥った。

そして、自分でもなんて幼稚な事を言っているんだ。
とも思った。

それはもうその場にいたら全ての人が共感性羞恥とやらで恥ずかしくなるレベルで。
なんなら私は帰って自分自身に共感性羞恥を覚えて居た堪れなくなった。

自分のことばかり、自分本位に、ネガティブな事を話している。

滑稽だな。
話しながらそう思った。

しかも恐ろしいことにその空気感を感じるまで、前向きな話だと思って話していたので、この考えはただの愚痴でどこにも進めない八方塞がりな言葉だちなんだと話しつつ気付いた時は血の気が引く感覚がして倒れそうだった。

これじゃあ反抗期の子供と一緒。
親が自分の意見を聞いてくれないから、自分の正義を振り回してもっともらしい理想郷を話しているのと、同じ。

稚拙で、頭でっかちな私の話は、
弱い犬ほどよく吠えるということわざのままに、まさにあの瞬間、その様だっただろう。

その後先輩と話していて、大きな事を言った分行動で示して埋めていかないと。
と大変ごもっともな意見を頂いていて、より一層はっきり、今の自分は「弱い犬」だと思った。

とはいえ私自身はずっと、行動している“つもり”だった。
このnoteでの投稿もそうだ。

でも、やれてなかった。

いや、正しくは「やり方を間違えていた」だ。

何もかもが中途半端。
いつも志半ばでなんか終わっているような形になっている。

自分自身では終わっているつもりはないが、いつも始めるだけ初めて、自分に絶望して、進む道もわからなくなって、正しい道を探して迷子になっているうちに時間が経ち周りから見ると終わっているように見えてしまう。

そうなると、結局口だけのやつ。
どうせ次もすぐに諦めるんだろ?というレッテルを貼られるわけで…存在価値を自ら下げているような形になって、余計に焦る。

そうなったらなったで、下がった存在意義を取り戻そうとまた虚勢を張って「弱い犬」の様に「吠える」。

誤解のないように言っておくが、私は吠えているつもりはない。
強い口調で言っているつもりもない。

ただきっと、誰かに話をわかってほしい、認めてほしいという気持ちが口調を強くさせているのだ。

だけども伝わらなくて、余計に「吠える」の図の如く言葉がキツくなってしまうのだ。

でも今日よくわかった、言葉だけではダメだと。

わかっていたけど、改めて思った。

やはり信頼されている人は、行動していいるし、それを継続している。

自分の置かれたフィールドをよく理解して、その中での役割をしっかりと果たし、ちゃんと必要とされているかつ、自分のやりたい方向へも進んでいる。

ああ、

自分の道を開くために、積んだ信用があるんだな…

そんなことを思ったりした。

そんでもってもう、理想は語らずただ行動するしかないな。
と、思った。

やってみるだけやってみて、ダメでもいいし、正解はないし、成功するかもわからないけど…動くしかない、怖がって理想を垂れ流すだけの私は今日この瞬間シャワーでジャーと流してやる。

張った虚勢も、何もかも洗い流して。

明日からちゃんと弱い自分と向き合って、等身大で、歩く。

そうしないとずっと、もっと、いつまでも、弱いまま。

弱い犬のまま。

キャンキャン吠えてるだけって自覚した今、私の理想郷になんの意味もないことがわかったので、その辺も全部捨てて。

今までの概念がぐるっと変わるのは、結構メンタルにくるもんだなあと思うけど、そんな時も必要だろう。今日はその為の日。

自分の失敗で傷つくことに意味のないことはない。

今日は盛大に精神的に痛かったけど、色んなことに気づけたからよし。

美味しいものでも食べて、精神に優しい映像でも観て、寝よう。

さよなら、私の今まで信じてきた理想たち。

ここでお別れだ。

でも君が居たから、ここまでやれたし今日にたどり着いた。

ここまで連れてきてくれてありがとう。

バイバイ。

そんな気持ち。

それでも間違いを確信したことで悔しい思いは溢れて止まらず、ずーっとネガティブだ。

シャワーでは流せない何かもある。
こびりついた何かがあるな‥とも思ったり。

でも、同じではいけない。
変わらないと本当に良くない。

実はそんな思いをさっきポロッと人に言った。

そしたら「1日で間違いを認めて、1日で切り替えようとすることがすごい」とその人は言ってくれて。そんな考えもあるのか‥と、頼み事をするために通話をしていたので泣くのはなんとか堪えたけど‥でも、心の中の私は号泣していた。
本当に音声通話だけでよかったと思う。

私は間違った。

そう思えたことに意味があるはずだ、そして方向転換していこうと思ったこの感情にも意味があるはず。

その人は「全然まだまだ何度でもやり直せる。何度でも変えられる。」とも言ってくれて、大人なのに、こんな年齢なのに、失敗した自分が恥ずかしい‥そう思っていた私の心に、まだ行けるのか?という思いで少しだけ勇気をくれた。

とはいえ私は現実問題そんなに若くない。
だからメソメソしている暇はない。

悔しいなら変わるしかないのだ。

まだ行ける。

どこまでも間違っていた私を、変えていく。

大丈夫、いける。

さ、仕切り直しだ。

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