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自分への「ごほうび」という概念が無いんだ私
○○したら、自分へのご褒美に○○買うんだー!
とか、
○○頑張ったんだから、いいケーキぐらい食べてもバチ当たらないよねー!
とか、
そんな言葉を聞く度に、自分にはこの概念が無いなと思う。
最近ウィッシュノートを作っていた時、それをより痛感した。
ウィッシュノートには、出来たらやりたい事とか食べたいものとかを書く欄があるのだが…
私自身、何をやったらそれが貰えるに値するのか分からず悩んだ挙句、そのページはTO DOリストとして活用することにした程、ご褒美という概念がない。
これを話すと夫は驚き、生きるの大変そう…と言った。
確かに、自分が頑張ったという事を、具体化出来ないってしんどい。
私は良く、何をやっても何も出来ていない感が強く、もっと頑張らないと!もっと!としているうちに息切れを起こして走れなくなることが多々ある。
そうすると走れない自分に苛立って、自身に出来損ないのレッテルを貼り、息切れしてる自分をもう一度走らせようと躍起になって、イライラしてしまう。
そんな自分がまた嫌いなる…の負のループ。
いつもそうなので、何をしても達成感がない。
これは子供の頃からだ。
理由は明確で、褒められた記憶が無いから。である。
褒めたことで、自分は出来る!と、変な自信を持ったら、大人になった時に苦労するから褒めない!という教育方針の下育てられたという事に加え。私自身勉強も運動も芸術から生活態度に至るまで褒めるところの無い子供だったので褒める所がなかった…。というので褒められた記憶が本当にない。
逆に、○○ちゃんの親になりたかったわ!って言われるほど周りより劣っていることはよく指摘された。
そんなこんなで自分の出来る範囲というのは、褒められる程の水準では無いという考えがずっとある。
お手伝いをしても、何かで賞をとっても、仮にテストが良くても、ご褒美を貰うという習慣もなければ、褒められることもなかった。
まあでもこれは、困らないように親がしつけたことなので別にいい。
そうして大人になった私は、自分のすることに「出来ました」のハンコを押すことができなくなってしまったのだ。
そんなことを言うと良く、人にも厳しそう…
と言われるのだが、実は人に対しては180°違う感情を持っていて、
例えば夫が仕事に出ていく姿を毎日見て「えらいなぁ」と思うし、友達が家事を頑張る話を聞いて「さすがやなぁ」と思う。
ちなみに自分自身も、仕事も家事もしているのだが、自分にはこの感情がわかない。
自分と自分以外で何故こんなにも評価がちがうのか?というと、自分以外の人は自分と同じことをしていても、自分より高い水準で出来ていると疑ってやまないからだ…と推測する。
自己肯定感低すぎない?とこれまた夫に言われた。
ちなみに夫は自己肯定感高すぎお化けである。
そんな自己肯定感の低さを指摘されつつ、なかなか治すことができないのが生まれ持っての概念で‥ご褒美なんて言葉を考えることは現在に至ってもない。
だがしかし、このご褒美制度、あるなら儲けたいなぁ‥と思うのだ。
その方が張り合いもでるし、目の前に人参ではないが、そう言うものは必要だと思うときは結構ある。
人間気力だけではどうにもならないことって結構あるもんだ。
だがしかし、わたしはどの程度がご褒美を獲得するに値するかがわからない。
これはどこかで養われる感覚なのだろうか?
そして、こんな大人になってから養われるものなのだろうか?
その辺りが疑問かつ、心配な点だ。
皆さんはどの程度で自分にご褒美をしているのだろう?
統計をとってそれに従えばなんとかなるような気もしたりしなかったり‥。
自分の感覚で生み出すのはもう難しいように思う。
いつか、自分にご褒美をあげてみたいので皆さんの感覚も教えて欲しい。
そこから統計をとって、いい塩梅で色々決めていきたい。
そうでもしないと、自分へのご褒美を知らぬまま。
なんかそれは、なんとなく、なんとなくだけど‥いやだな。
そんな事を思った、31歳の冬だった。
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