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組織文化変革の4つの事例

 本編⑲のところでも述べたように、デザイン思考の導入を梃子にして、組織文化を変革することはそれほど容易なことではない。Dunne(2018)は以下の4つの事例を用いて、一口に「組織文化の変革」といっても、組織ごとに多様な目標があるだけでなく、用いられる手法も多岐にわたることを示している。



1.ATO(オーストラリア国税局)のケース

  1つ目のATO(オーストラリア国税局)のケースでは、目標は組織内に顧客志向の文化を根付かせることにあった。そのためにATOではデザイン思考教育のためのプログラムを作って、デザイン思考家のコミュニティを形成し、プロジェクトや協議会などの機会がある度にそのプログラムを実践して(時には納税申告書の提出プロセスをデザインし、プロトタイプを作成して試運転までした)、組織全体に顧客志向の種をまくことにした。ご多分に漏れず、オーストラリアの納税システムも顧客(納税者)向きには作られておらず、複雑で使い勝手が悪かった。

 ただ、いきなりシステム全体を変更することは不可能なので、まずは組織内に顧客志向の雰囲気や風土を醸成し、その上で使い勝手の悪いシステムを人間中心の視点から作り直すことを目指そうとした。その結果、数年後にはついに、上級管理職が税法全体をリ・デザインする取り組みに着手するまでになった。なお、ATOにはデザイナーがいないどころか、予算の都合上、物理的な活動拠点さえ作られていない(ただし、当初は外部のデザイン・コンサルタントを雇っており、そこからアドバイスはもらっていた)。これは最も手作り感に溢れ、投資がミニマムなケースといえる。


 2.メイヨー・クリニックのケース
 2つ目のメイヨー・クリニックのケースでは、目標は病院内にイノベーティブな文化を醸成することにあったが、かといって、これまで支配的であった(医学の性格とも深く関係している)統計的な証拠を重視し、リスク回避型の組織文化を変えることまでは望んではいなかった。つまり、既存の組織文化との共存に主眼が置かれていたのである。メイヨー・クリニックでは、患者へのケアが行き届いていなとの反省があり、デザイン思考を用いて顧客志向の習慣を現場に定着させようと考えていた。

 2002年に、まずは二人の上級医師がケアサービスのプロセスを研究するための組織「SPARC」を立ち上げ、物理的な拠点を病院内に設けた。そこに医療専門家やビジネス戦略担当者、デザイン思考の専門家など加わった。なお、クリニックにはデザイナーがいなかったため、当初は外部からデザイン思考の専門家を招いていた(現在はデザイナー兼研究者の専属スタッフがいる)。彼らは様々な現場と協働する実践部隊であり、最初の2年間だけで20以上のプロジェクトに参加し、様々なサービスの改善を行った。このSPARCはさらに、「CFI」と呼ばれる組織に進化し、患者のケアデザインに焦点を当てた専門組織へと改組された。ただし、CFIでも様々な改善プロジェクトを実施して好感触を得たものの、従来からのリスク回避型の組織文化に阻まれることも多かった。


3.マインドラボ(デンマーク政府の外郭団体)のケース
 3つ目のマインドラボ(デンマーク政府の外郭団体)のケースでは、目標は官僚主義を破壊し、創造性と新しいアイデアを生み出せる素地を作り出すことにあった。マインドラボは2002年に専属スタッフ5名でスタートした。庁舎から少し離れた場所に拠点(ブティックのようなおしゃれなスタジオ)を構えて、ワークショップの世話人、独自の研究、プレスリリース、講演会の実施などを行ってきた。また、時にはカスタマージャーニーの手法を用いて窓口対応の迅速化や、労災認定の事務手続きの変革などにも関わってきた。しかし、マインドラボの活動はすぐに限界に直面する。スタートから4年後の2006年時点でも、官僚主義的な組織文化はほとんど変わらなかった。その後も、2007年、2011年、2015年と4年刻みでマインドラボ自体のミッションの再定義を行った。

 より具体的には、2007年に第二世代開始を宣言、2011年には自己変革を実施、2015年には、新任ディレクターを置いて、システムのより深い部分にも関与できるようなアプローチを開始した。政府の全面的なサポートの下、デザイン思考の顧客中心の考え方を多くの公的サービスに適応できるように活動範囲を拡大したのである。様々なシステムの変更に立ち会って、公務員がユーザーの視点を発見するための支援を行ったり、省庁ごとにバラバラに取り組まれているプロジェクトに立ち会って、そこに統一的な視点を持ち込んだりすることで、現在では組織文化を変容させる触媒として機能できていると自負している。


4.P&Gのケース
  4つ目のP&Gのケースでは、目標は組織内にイノベーティブな文化を醸成することにあった[注1]。そのような改革は、同社が成長戦略を見出せず株価の低迷が続いていた2000年に、CEOに就任したアラン・ラフリー(Lafley, A. G.)氏によって始められた。彼は就任翌年の2001年に、クラウディア・コッチカー(Kochker, C.)氏をデザイン戦略とイノベーション担当の副社長に任命し、手始めにデザイン事務所のIDEOを使って、経営陣にデザイン思考の2日間のワークショップを実施した。しかし、問題は10万人いる従業員に向けたデザイン思考教育をどうするかであった。

 そこで、コッチカー氏は2004年に、問題解決のためのラボとデザイン思考の訓練施設を兼ね備えた「クレイストリート」を本社近くに開設し、従業員に向けたデザイン思考教育を開始した。デザイン思考の信奉者を大量に生み出し、彼らによる大規模な社内ネットワークを構築することで、官僚主義的な組織文化からイノベーティブな組織文化への変容を目指したのである。その結果、デザイン思考の修得者(デザインシンカー)は2004年のゼロ人状態から、2008年には100人まで拡大した。さらに、2012年には350人にまで拡大し、この流れは順調に続くかのように見えた(ラフリー氏は2010年にCEOを退任したが、それ以降も拡大傾向を示していた)。しかし、2012年にコッチカー氏の後任のシンディ・トリップ(Tripp, C.)氏が退任すると、リーダーシップが変化し、デザイン思考教育や組織文化の変容は停滞した。それが復活するのは、2013年のラフリー氏のCEO再任後である。



4.まとめ
  以上のように、一口に「(デザイン思考を梃子にした)組織文化の変革」といっても、組織ごとに目標にバラつきがあるだけでなく、用いられる手法も多岐にわたっている。それらを簡単に整理すると、以下のようになる。

 まず、目標部分に注目してみると、ATOの目標が最も緩やかであるのに対し、P&Gの掲げる目標は最も厳しいように見える。これは、非営利組織と営利組織の違いに依拠するものと考えられる。前者は、非営利組織であり、イノベーティブな文化が望しいといっても、イノベーション創出の有無がそこまで業績に直結するわけではない。それに対して、後者は、イノベーション創出の有無が業績に直結し、ひいては企業の存亡にまで影響を及ぼす。残るメイヨー・クリニックとマインドラボは両者の中間にあると考えられるが、メイヨー・クリニックの方が、それまでの支配的な組織文化の変革を目指していない(共存を目指している)分、若干緩やかな目標といえるかもしれない。

 次に、手法部分に注目すると、まず、ATOには、デザイン思考教育のためのプログラムはあったものの、専属スタッフもいなければ活動拠点も用意されていなかった。デザイン思考家のコミュニティが自発的に活動を行っていただけである(しかも、その活動の大部分は啓蒙的な色合いが濃い)。そのため、相対的にお手軽で費用のかからない取り組みであるといえるが、その反面、そのような活動を維持することや、そこから大きな成果を得ることは難しいかもしれない。一方、メイヨー・クリニックではATOとは異なり、専属スタッフと活動拠点を保有していた。しかも、その拠点は病院内にあり、彼らは様々な部署と協働プロジェクトを行う実践部隊であったため、ライン組織に近い存在といえる。マインドラボはそれとは正反対に、活動拠点を庁舎外に置き、仕事の中身も主としてコンサルティングであるため、どちらかといえばスタッフ組織に近い立場にある(ただし、近年ではその活動の中身をアドバイザーから共同問題解決者へと変えつつある)。最後に、P&Gでは活動拠点は社外にあり、そこではデザイン思考教育が行われると同時に、様々な部署との協働プロジェクトも行ってきた。その意味では、スタッフ組織とライン組織双方の機能を有しているといえる。


[注1] P&Gのデザイン思考を使った組織変革は、Lafley and Charan(2008)やMartin(2009)などに詳しい。



●参考文献
Dunne, D.(2018), Design Thinking at Work :How Innovative Organizations Are
 Embracing Design. Rotman-UTP Publishing. (菊地一夫・成田景堯・木下
 剛・町田一兵・庄司真人・酒井理訳『デザイン思考の実践:イノベーショ 
 ンのトリガー それを阻む3つの緊張感』同友館、2018)
Lafley, A. G. and R. Charan. (2008),The Game-Changer. Random House. (斎藤
 聖美訳『ゲームの変革者』日本経済新聞社、2009)
Martin, R.(2009), The Design of Business. Harvard Business Review Press.



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