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薄皮の心で書く1年子育てにっき

3月31日。明日から新しい生活が待っている、わくわくのイブ。期の始まり、入園、入学、入社…

がらっと毎日が変わる1日。

妊娠中、仕事もしていなかったので毎日まいにち1日が過ぎる時間が長く、日の境目もぼんやり。
でも、植物を眺めると、確実に昨日と違う小さな変化を見つけられてうれしくなった。「昨日と今日は違う日なんだ」と思わせてくれた。

今は、植物をゆったり眺める時間は格段に減り、昨日と今日でまるで別人のように成長していく我が子を見て、そのスピードに焦っている。気持ちがなかなかついていかない。

毎日まいにち昨日のことを思い出して忘れないようにしてる。
でもどうやっても忘れるようにできてる人間の脳みそ。
恨んでもしょうがないので、文章を残しておこうと思う。

出産雑レポ

無痛分娩予定だったので、のんきにお産に備えていた。夫に立ち会ってもらいながら、昨晩テレビで見たペヤングの商品開発秘話なんてしていたら、緊急帝王切開となった。
半身麻酔は、感覚が全く無くなるんじゃなくて体のほとんどがビリビリすることを知った。正座してしびれたときのビリビリが来る。

副作用なのか何なのか、最初にワッと血圧が下がって真っ青になった後、超絶ハイテンションに。見たこと・感じていることを麻酔科の先生にペラペラペラペラ。

手術中も「ワッすご〜い!意外と感覚ある〜!」子どもが出てきたときも「わ〜〜っ赤ちゃんですね〜〜!ち、小さ〜〜い!」とバラエティ番組みたいなオーバーリアクション。

しばらくしたら全身がぶるぶる震えはじめ、ガチガチと歯を鳴らしながら先生に「も、もしかしたら…今さらですが…私は…きょ、恐怖しているのかもしれません!!」と報告していたのは良い思い出。ニコニコ聞いてくれていた先生は後から聞いたら院長先生だった。
人生初の大部屋で入院して、プライバシーも何もなかった感じはあったけど、楽しかったな。

眠れなかった夜のこと

子どもは1歳になり、夜通し寝てくれるようになった。
でもこのまる1年間は2-4時間睡眠を数セット繰り返すような毎日だった。
生後1ヶ月は「これ…どうなっちゃうの…」とゾッとしたけど、人間の慣れる力のすごさよ。全然つらくなくなる。はいよ〜って起きて、寝て、起きて、寝て。朝はケロッとしている。
でも、生まれてすぐの、まだ私もホヤホヤの母親だった頃はちょっとつらかった。
寝てても緊張しているのか、ガバッと起きて「生きてる!?」と呼吸を確認する。ホッとしてると「フニャ…」と起きる我が子。そんな感じの繰り返し。

寝てくれないホヤホヤの子を抱えて、窓の外を見る。
4時か5時くらいの空が朝に向かって真っ白になっていく。
「地球が爆発する直前ってこんな感じかな」と想像する。
子を抱えて、横にはすやすや眠る夫。今なら地球が爆発してもいいかもと思う。親も妹も友達もみんな元気。私のいちばん幸せな瞬間は今ですって言ってもいい、って思える時間だった。
スタートアップで「これから世の中変えたる!」って人や、人生これからすぎる我が子には申し訳ないけど、今なら爆発してもいいですよ。って。なぜかぼたぼた涙を流しながら。深夜の寝不足脳みそはセンチメンタルで極端な思考になる。

薄皮になった心

仕事やプライベートでどんなつらいことがあっても、うれしいことがあっても涙をグッとこらえる。そんな我慢に慣れていた自分だったけど、この1年で涙が全く我慢できなくなってしまった。

心の皮が和菓子みたいになっちゃったんだよ。
フヤッと指で触った部分がその形になるように、弾力がなくなって、何も跳ね返せない。

1ヶ月の里帰り生活を終えるとき
仕事を始めたとき、泣いてる我が子とMTGの両立でテンパったとき
卒乳を意識して、今までの授乳シーンを振り返ったとき
こんな地球にして…
こんな日本でごめん…と我が子に思ったとき



すぐに涙が出てしまうのはちょっと子どもっぽくて恥ずかしい気持ちと「素直な感じで悪くないじゃん」って気持ちがして、35歳にしてキャラが変わりそうな予感もしている。

いつかは忘れてしまう今日のこと

みんなから愛されて「かわいいね」と声をかけられて、おならをしてもゲップをしても「いいぞ」と言われて、フニャフニャと泣いていたら「大丈夫、ここにいるよ」と抱きしめてもらえる。

こんなに愛されて大切にしてもらっている今日のことを、この子は忘れてしまうのだ。私が自分の赤ちゃんの頃を覚えていないように、絶対に忘れてしまうのだ。そう思うと寂しくてまたちょっとだけ涙が出る。

今日の空気を、この雰囲気をどこかに保存しておいて、いつか将来つらい時や悲しい時に取り出して吸い込んでほしい。
でも、忘れないでいてほしい気持ちはおこがましいのかもとも思う。こちらが忘れなければそれでいいのかもしれないし、記憶としては忘れてしまうのかもしれないけど、大切にされた時間はきっと肌とか頭の中の奥の方にしみこんで、一緒に成長していってくれるような気もする、というか、そう願っている。

私は絶対絶対絶対今の時間を忘れたくないよ。忘れないよ。
親側の思い出は一生ものなのかもしれない。

記号「赤ちゃん」

道行くご老人に「かわいいね、何歳なの?」とやさしく声をかけられるシーンが増えた。最初は「子どもは公共のものって感じなんだな…」と戸惑ったけど、最近は慣れて楽しめている。
(言うべきことではないかもしれないが、知らない人とのコミュニケーションが嬉しめなものが多い分、悲しいコミュニケーションがあると落差が激しくて倍傷つきやすいと思う)

ご老人たちはおそらく、わたしの子どもを通じて、愛しい誰かの記憶にアクセスしている。「うちの孫も見て」と写真を見せてもらうことも割とあるし、「もう50年前のことだわ〜」なんて自分の子育て経験話をちょろっと話してもらうことも。

赤ちゃんはみんなにかわいがってもらえる、というか、赤ちゃんとの優しい記憶を刺激するちからがあるのだろう。記号としての赤ちゃん。

PCにちょこちょこメモしておいたことを改めてまとめた1年子育てにっき。
次書けるのはいつになるんだろう。

3月31日だけじゃなくても、いつでも、がらっと毎日が変わるたくさん1日のこと。


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